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庭園という方法(モード)

津久井五月『コルヌトピア』(早川書房 2017年, ハヤカワ文庫 2020年)の舞台は、2084年の「緑のメトロポリス、東京」。植物の計算資源化や緑地発電システムというヴィジョンは、最初、化石燃料の代わりに植物を技術的に利用して便利で快適な生活を求める未来を描いたNetflixの"The Future of Houseplants" (2022)と重なるように思えた。けれども途中で、それは違うと気づいた。どちらの作品もクールな未来を描いているようにみえるが、"The Future of Houseplants"が人間中心主義的発想を踏襲しているのに対し、『コルヌトピア』は人間と植物の関係を倫理的に探究している。

「使う、使われるではなく、人類と植物の間に、より相補的で倫理的な関係が生まれるとしたら。そう、たとえば、庭園のような」

「庭園という方法」により、計算資源化した植物=フロラと「正しく関係すること」を探究する。人間が人間ならざるものを支配する、あるいはそれに支配される、という状況には「思考」は介在しない。極端に言えば、それは惰性の生存だ。「庭園という方法」は、「生存することではなくて、自分の生存を思考すること」の謂でもある。

まだこの作品の全体像を把握しきれておらず、植物と人間の関係が多様な視点から描かれている、という紋切り型のコメントしか書けないが、「庭園という思考」をキーワードに再読しようと思う。