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戦時下の薔薇

レベッカ・ソルニット『オーウェルの薔薇』川端康雄/ハーン小路恭子訳(岩波書店、2022年)を読み終えたとき、生涯にわたって木を植え、庭をつくり、小説やエッセイを書いたジョージ・オーウェル(1903-1950)に、ふと、グレートベイスンで暮らす義母の姿が重なった。日々のパンを得るのに精一杯の都市生活者だったときも、人里離れた荒野に移り住んだ後も、義母は丹精込めて木々や花や野菜を育てていた。薔薇の花が咲くと、すばらしい香りだよ、そばにきてごらん、と微笑んでいた。

表紙の見事な薔薇の写真に惹かれて、一本の薔薇を買って部屋に飾った。しかし、鼻を近づけても匂いがしない。花卉産業の生産・流通ルートにのった薔薇は大地から切り離され、世話(ケア)されることもない。「香りは一種の声であり、花が語るひとつの方途である」とすれば(p. 255)、声を奪われた工業製品の薔薇は「偽りの象徴」にほかならない(p. 262)。大地に根をはった薔薇とのつきあいは「物事を知り、関連づける能力」を育むが(p. 263) 、工場生産された薔薇は、その生産様式が示すように、自由を封じ込める。

自由を奪うもの、それが戦争であり全体主義である。戦争が途切れなく続いた生涯、オーウェルが木を植え、庭をつくり、薔薇を育てたのは、それが自由の砦だったからなのだろう。自由の束縛に対するオーウェルの文学的抵抗は、自由、野生、美の源泉である庭を基盤としていた。

『オーウェルの薔薇』は、ソルニットが、かつてオーウェルが住んでいた家に行き、数十年前に作家の手によって植えられた薔薇の木を見たことから始まる。作家の没後半世紀以上経っても生き生きとしてそこにある薔薇の木は、人間の時間を優に超える樹木の「時間(サエクルム)」を体現していた。エトルリア語で「存在する最長老の人が生きた時間」を示す「サエクルム (saeculum)」をゆるく準拠枠として応用し、ソルニットは、人間の行いの「守護者であり目撃者」としての樹木と、その時間(サエクルム)が人にもたらす自由について、オーウェルの作品をひもときながら考察する。

「植樹は、特に長命な堅い木を植えることは、金も手間もほとんどかけずに後世の人に残すことのできる贈り物であり、もしもその木が根づけば、善悪いずれにせよ他の行為の目に見える結果よりも、はるかにあとまで生き延びるだろう。」

オーウェル「ブレイの牧師のための弁明」(『オーウェルの薔薇』p.9に引用)

贈与の感覚が際立った一節である。オーウェルが感得した樹木の〈永い時間 (long time)〉ーーそれは野生であり、美的経験の源泉でもあるーーは、戦時下においても未来に信を置く希望の身ぶりであると、ソルニットは洞察する。戦時下とは、オーウェルが経験した第一次世界大戦、アイルランド独立戦争、第二次世界大戦といった固有の戦争を指すだけでなく、帝国主義や全体主義が蔓延る世界の謂でもある。ソルニットがオーウェルの希望の身ぶりを詳らかにするのは、それが現代の私たちにとって思考の羅針盤になると考えているからだろう。

話は飛ぶが、神宮外苑再開発問題が混迷を深める状況も、非常時であり一種の戦時下である。大量の、しかも樹齢一○○年を超える大木を多数含む樹木の伐採を伴う再開発計画に対して、「樹木伐採反対」の声が高まっており、そこには私の声も含まれている。なぜ樹木伐採に反対するのか。それは、小池百合子・東京都知事に宛てた坂本龍一の手紙に端的に記されているように、「先人が一○○年かけて守り育ててきた)樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎ」ないからであり、樹木の恩恵に思いが至らない再開発計画に違和感を禁じ得ないからだ。

坂本龍一の手紙は、再開発計画に対して声高に反対を唱えてはいない。静かなトーンで、計画の見直しを求めている。これは、坂本の意志を継いでつくられたサザンオールスターズの『Relay〜杜の詩』にも言えることだ。かれらの抵抗にはーーそして私自身の抵抗にもーー自然の贈与に対する感謝と責任が滲んでいる。外苑再開発の見直しを求める動きには樹木のサエクルムが絡んでいる、と言っても間違いではないだろう。

薔薇の木のサエクルム=〈永い時間〉は、薔薇の花の美しさと香りの〈儚さ〉を抱えもつ。これは、潮の満ち引き、月の満ち欠け、誕生と死に表れるような「一貫性というパターン」(p. 227)の一側面であり、そうした自然の時間的秩序に触れたとき、私たちはそれを美的経験とよぶ。

言うまでもないが、ジョージ・オーウェルは本名ではない。「学生時代にギリシア語とラテン語を頭に詰め込まれていたオーウェルは、〈ジョージ〉の語源が大地と労働であり、その名が農民、つまり大地で働く者を意味すると知っていただろう」と、ソルニットは記している(p.200)。天候をはじめあらゆる変化に常に対応してきた農夫のあり方に、イギリスの美術批評家で作家のジョン・バージャーは「生存の文化」を読み取った。オーウェルの文学とは、ある意味、「生存の文化」から発せられた「進歩の文化」に対する警告だと言えるのかもしれない。

「生存の文化」は、文化とよびうる価値体系を有しているのであって、単に生存することとは異なる。カジノでウェイトレスをしていた義母は、生存(パン)のために必死で働きながら、美的経験(薔薇)を手放さなかった。彼女もまた生存の文化の末裔だ。生まれ育った里山で私は樹木や花や作物と身近な関係にあったはずだが、薔薇の香りがもたらす思想的奥義に気づいたのが、大学院留学先の荒野の義母の庭であったことに、今更ながら可笑しみを感じる。エコクリティシズムに従事し始めた私の思考は、大学だけでなく、義母の庭でも育てられた。

書物と大地を往還するソルニットの思考に大いに揺さぶられ、線を引きまくりながら『オーウェルの薔薇』を読んだ。そのほんの一部を書き留めておきたい。

人を鼓舞して社会問題に取り組むようにさせるものは、〔……〕不正や苦しみを描き出した芸術作品とは限らない〔……〕。いまこの瞬間の政治を描いたものでない芸術作品は、自己と社会への意識を、価値とコミットメントの感覚を研ぎ澄ますものとなりうる。注意を傾ける力さえも高めるのではないか。そうした意識や力を身につけてこそ、人はその時代の危機に立ち向かえるものなのだ。

『オーウェルの薔薇』p.114

〔……〕倫理と美学が切り離せないようなこの美、言語とそれが記述するものとのあいだ、ある人と別のだれかのあいだ、共同体や社会の構成員たちのあいだにある全体性やつながりのようなものとして現れる、真実とインテグリティに満ちたこの言語的な美こそが、彼が自らの政策において志した決定的な美だったのだ。

『オーウェルの薔薇』p. 276