「芸術家こそ教養人であれ」
技術が先行しがちな音大生
在学中は楽器練習だけに心血を注ぎがち
かくいう私もそうでした。特に高校生の時は、1日7時間以上練習するのが当たり前。レッスンに間に合わないと感じたら、普通科目の授業を休んだりしていました(猛省)。今思えば、サボった数時間で変わるわけないんですけど、追い詰められていた、というのも事実です。
自分のレッスン曲だけでなく、室内楽、オーケストラ、コンクール課題曲・・私たちは常に譜読みと練習に追われていましたし、それがこなせなければ、プロになるのは難しいというのも事実です。
でも、純粋に実技練習に没頭していたか、と問われると「怒られるのが嫌だった」「劣等感から練習していた」と、今は思います。
人間の集中力はそんなに持続しない
社会人になって思ったこと。
人間の集中力はたかが知れている、ということです。
割と自由な社風の会社に勤めていたので、スタバ片手に仕事をしてました。
労務という仕事は集中力が欠けると話になりません。
すべて法律に基づいて作業をしていますので、労務には「正解」が存在します。そしてミスは許されず、合っていて当たり前、それが労務です。
(他の職種も同じだと思いますが、法律のプレッシャー半端ないです)
1時間集中すると、ソイラテを飲む、一息ついてまた仕事・・・
そうしないと、ミスしてしまうんですよね。
5分の息抜きを削ると、取り返しのつかないミスにつながるのであれば、5分の息抜きはむしろ「必要業務」だと考えていました。
そうなると、高校生時代の7時間練習は、集中力をもって、意義をもってしていた、とは考えにくいと、社会人になってから気づきました。
音楽家である前に
母に叱られたエピソード
こちらの記事でもエピソードを紹介しておりますが、音楽高校生で料理をする私は異色の存在でした。
料理=けがをする可能性がある
という理由で、同級生のほとんどが料理ができませんでした。
(調理実習できちんと包丁が使えたのは私だけ・・・)
ここで、私がすこし尖っちゃうんですよね。
母に「同級生は掃除とか家事をしないんだって。指が大切だもん」と言ってしまったんです。だから、私は兄妹のなかで特別扱いしろ、というニュアンスで言ってしまったんですよねぇ、ハハハ(猛省)。
「よそ様の家と比べないの。私は家事ができないような大人になってほしくない。あのね、音楽家である前に人としてきちんとしなさい。」
そして続けざまに
「けがをしないために、若いうちから家事をしておいた方がいいと思うけど。大人になって急にやってもできないし、その方がけがをするじゃない。いい歳して「家事できません。教えてください」って言うの?せめて私が生きているうちに生活できるようにしてちょうだい」
ハイ。ぐうの音も出ませんでした(笑)
我が家のモットーは
精神的、物理的、経済的に自立した大人になること
そのおかげで、高校卒業時には一通りの家事と、料理はできるようになっており、成人してから家のことでは何不自由なくこなせています。
母には頭が上がりませぬ(-_-)ありがとう
文学科教授とのエピソード
教授から頂戴した言葉が
この記事のタイトルです
文学の教授で、音大では教養学として文学の教鞭を執っていた方です。
私は幼少期から読書が大好きで、高校生のときの楽しみは漫画と文学を読み漁ることでした(当時、ガラケーですし)。
ラノベ、推理小説、純文学、プロレタリア文学など、ジャンル問わず何でも読んでいます。それは現在進行形です。
同期生はこういった教養科目はあまり興味がないのか、出席率も悪く、全出席したのは数人だったと記憶しています。
研究室を訪ねた時に出席率の話になり、ふと仰ったんです。
少しだけ悲しそうな顔をされていたのを覚えています。
練習に心血を注ぐのも大切ですが、練習だけ闇雲にしていても大きな上達があるとは思えません。
高校時代の経験から、私はそう自信を持って言えます。
常にアイディアを持っているか
楽器に触れる前に考えておくこと
これは海外から招聘した先生のレッスンを受けた時に聞かれたことです。
「あなたは楽器練習の前に何を考えていますか?」
私の答えは「何も考えずに練習していた」でした。
先生は「そうだろうと思った」と言って、こう続けました。
雷に打たれた気分でした。
それまでは「練習しよう」と思ったら、すぐにバイオリンケースを開けて、バイオリンを出して、エクササイズから始めて、課題曲をする。
それが当たり前だったんです。
私が奏でる理由
いくら正確にピッチを捉えることができても、楽譜通りに超絶技巧ができたとしても、それは人の心を打つ演奏になるでしょうか。
「指が早くまわっててすごいな~」と、思うかもしれませんが、琴線に触れる演奏と言えるでしょうか。その演奏は【私】が奏でる必要があるでしょうか。私よりスキルがあるバイオリニストは星の数ほどいます。
その中で、私がバイオリンを続けていく理由、バイオリニストとして生きていく理由は
私にしか表現できない音を模索し、実現すること
なのではないか、そう思い至りました。
表現したいものを想像するには経験と知見が必要
私は公開レッスンで内面性の重要さを指摘されたことによって、文学科教授の言葉がリンクしました。
しかし、「こういう音を出したい」という想像やアイディアをひねり出そうとしても、そう簡単にポンポンと出てくるものではないと気づきます。
そう、人間は出会ったものしか想像できないんです
私は「バイオリニストとしてさらに成長したい」と考え、文学だけでなく、美術、伝統芸能、映画、様々な創造に触れることにしました。
私が幸運だったのは、仕事として「オペラ」「バレエ」「演劇」「クラシックコンサート」は年間100公演以上観れたことです。
特にオペラとバレエは、有名タイトルは全て観ていますし、様々な演出や舞台装置まで目に焼き付いています。
仕事でもなければ、この量の公演は観られないと思います。
(オペラ、バレエは特にチケット代が高いんです)
本を通して、他の人生を経験できることは大きい
本の主人公を通して、その人生を追体験できるのは大きなことです。
私の人生だけで経験できることは限られていますし、想像する世界にも限界があります。
私はこのことをキッカケに、SFやファンタジーにも興味を持ち始めました。
特に心に残ったものを挙げておきます。ご参考までに(*^^*)
攻殻機動隊:士郎正宗(アニメから入りましたが原作もすごい)
勾玉三部作・RDG:荻原規子
モモ:ミヒャエル・エンデ
カラフル:森絵都
1984年:ジョージ・オーウェル
沈黙:遠藤周作
読書シリーズの記事書こう!と今、思っています(笑)
最近はkindleで本を読んでいますが、好きな本は紙で読みたい派なんですよね。ここで挙げたものはすべて紙の本を大切に持っています。
荻原規子さんのお陰で、日本の神話に興味をもち、「古事記」「日本書紀」「出雲風土記」「万葉集」なども読みました。
教養がなければ多彩な表現はできない
私の結論です。
全ての創造は、今あるものから着想を得ています。
もっと大きなことを申せば「すべてはマネから始まる」とも思います。
たくさんの「素敵」「好き」をマネして、いつしか「オリジナル」表現ができあがるのではないでしょうか。
そのための材料は多ければ多いほど良いのです。
人として生きていくにはもちろんのこと、音楽家として表現していくには、「教養」が必要不可欠です。
練習室に閉じこもっていないで、どんどん外に出ていって、たくさんのことを見て、聞いて、体験して、自分の血肉にしていきたいと思います(*^^*)
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