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JW414 科野より愛を込めて

【東国鎮定編】エピソード5 科野より愛を込めて


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

崇神天皇の皇子(みこ)、豊城入彦(とよきいりひこ)(以下、トッティ)は東国へと旅立った。

付き従う者たちは、下記の通り。

トッティの息子、八綱田(やつなた)(以下、つなお)。

大伯父の大彦(おおひこ)。

そして、多建借間(おお・の・たけかしま)(以下、カシマ)。

采女筑箪(うねめ・の・つくば)(以下、つっくん)である。

一行は、甲斐国(かい・のくに:現在の山梨県)にて、大彦の孫、武川別(たけかわわけ)(以下、ジュニア)を訪ねる。

そこで、科野国造(しなの・のくに・のみやつこ)に任じられた、多武五百建(おお・の・たけいおたけ)(以下、イオ)に出会ったのであった。

系図(トッティ、つなお、大彦、ジュニア)
系図(カシマ、イオ)

カシマ「して、科野国(しなの・のくに)とは、何処(いずこ)にござりまするか?」

イオ「おお! よくぞ聞いてくれた! 科野国とは、千年後の信濃国(しなの・のくに)じゃ!」

つっくん「二千年後の長野県だってばさ。」

地図(科野国→信濃国→長野県)

トッティ「そ・・・そうか。では、我(われ)らには、東国の使命が有るゆえ、これにて・・・。」

イオ「左様ですな。手っ取り早く、解説を進めましょうぞ。」

トッティ「え?」

イオ「我(われ)が国造(くにのみやつこ)となった頃に、創建されたと伝わるのが、生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)にござる。」

生島足島神社(鳥居)
生島足島神社(拝殿)

大彦「名前から察(さっ)するに、生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)を祀(まつ)ったのかな?」

イオ「その通りにござる。島が生まれる状態を表したのが、生島大神で、島として成長し、満ち足りている状態を表したのが、足島大神にござる。」

ジュニア「エピソード23にて、御初代様も祀っておられまするな。」

つなお「これよりのち、科野国が栄えることを願って、建てられたのでござるか?」

イオ「そうではないかと思いまする。まあ、我(われ)が建てたとは、書かれておりませぬので、断言は出来ませぬが・・・。」

カシマ「して、何処(いずこ)に鎮座(ちんざ)しておりまするか?」

イオ「よくぞ聞いてくれた! 長野県上田市(うえだし)の下之郷(しものごう)じゃ。」

地図(生島足島神社)

トッティ「そ・・・そうか、で・・・では、我らは・・・。」

イオ「あっ! そうであった! 上田市では、もう一つ、社(やしろ)を建てたのじゃ!」

つなお「それは、何と言う社にござる?」

イオ「科野大宮社(しなのおおみやしゃ)と申しまする。祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)にござりまする。こちらは、しっかりと我(われ)が建てましたぞ。御安心くだされ。」

科野大宮社(鳥居)
科野大宮社(拝殿)

ジュニア「こちらの社は、親子神が祀られておるのですな?」

イオ「左様! ちなみに、鎮座地は、長野県上田市の常田(ときだ)にござる。」

地図(科野大宮社)

トッティ「そ・・・そうか、では、解説も終わったことだし・・・。」

イオ「しまった! 肝心の勾玉(まがたま)が、抜(ぬ)けておったわ!」

トッティ・つなお・大彦・ジュニア・カシマ・つっくん「勾玉?」×6

勾玉とは、何のことであろうか? 

次回につづく

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