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JW479 従兄弟が建てた神社

【垂仁天皇編】エピソード8 従兄弟が建てた神社


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前28年、皇紀633年(垂仁天皇2)10月、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)が造営された。

垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、大后(おおきさき)の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)と共に解説をおこなったのであったが、そこに乱入者が現れる。

それは「イク」の兄、彦五十狭茅(ひこいさち)(以下、のまお)であった。

系図(さっちん)
系図(のまお)

のまお「異議有り! 異議有り!」

イク「兄上? どうしたの? 異議が有るって、どういうことなの?」

のまお「纏向珠城宮には、もう一つの候補地が有るのじゃ。」

さっちん「義兄上? それは、まことにござりまするか?」

のまお「まことじゃ! その地は、国中(くんなか:奈良盆地)ではなく、山代国(やましろ・のくに)なのじゃ。二千年後の京都府南部ということじゃな。」

イク「ど・・・どうして、国中じゃなくて、山代なの?」

のまお「よく分からぬが、京都府久御山町市田(くみやまちょう・いちだ)に、珠城神社(たまきじんじゃ)が鎮座(ちんざ)しておってな、そこが、宮の跡という伝承が有るのじゃ。」

地図(珠城神社)
珠城神社(鳥居)
珠城神社(拝殿)

さっちん「不思議な話ですね。山代は、大王(おおきみ)とは、縁(えにし)も所縁(ゆかり)も無い地・・・。なにゆえ、そこに宮が造営されたと伝わっているのでしょう?」

するとそこに、「イク」や「のまお」の従兄弟で、「さっちん」の腹違いの兄弟、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわか・のきみ)(以下、つつきん)がやって来た。

系図(つつきん)

つつきん「読者のみなさん、お久しぶりです。エピソード234以来の登場にござりまするぞ。」

イク「エピソード234で初登場して、それ以降、特に活躍がなかった『つつきん』じゃないか!」

つつきん「そういう言い方は、おやめくださりませ・・・。彦坐王(ひこいます・のきみ)こと父上の『くらんくあっぷ』にも立ち会えず・・・(´;ω;`)ウッ…。」

さっちん「と・・・ところで、義兄上? 如何(いかが)なされたのです?」

つつきん「実は・・・『のまお』の申していることは、誤(あやま)りなのじゃ。」

のまお「なに?! 誤りと申すか? なにゆえじゃ? これは、れっきとした伝承なのじゃぞ?」

つつきん「実はな・・・。珠城神社は、我(われ)が創建した社(やしろ)で、まあ、分かりやすく申せば、宮の跡に、我(われ)が社を建てるわけがないだろう・・・ということじゃ。」

イク「えっ? 『つつきん』が建てたの? なんで?」

つつきん「大王が、お隠れになったのち、我(われ)が、大王を顕彰(けんしょう)しようと思い立ち、創建したという伝承も有りまして・・・。それに、山代であれば、我が治めていた地にござりますれば、その方が、辻褄(つじつま)も合いまするし、現実的ではないかと・・・。」

イク「ぼ・・・僕が死んだあと・・・なんだね・・・(;^_^A」

のまお「そ・・・そんな・・・まさか・・・。異なる伝承が有ったとは・・・(;゚Д゚)。」

さっちん「されど、なにゆえ、珠城神社などという、紛(まぎ)らわしい名にしたのですか?」

つつきん「何を申しておるのじゃ。大王を顕彰せんがための社ぞ? 宮の名を付けるのは、当然至極(とうぜん・しごく)のことではないか。最も相応(ふさわ)しき名であると思うぞ?」

こうして、なにはともあれ、宮の解説が終わったのであった。 

つづく

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