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kikuzirou
2022年2月1日 09:50
【綏靖天皇編】エピソード16 そして祖父になる紀元前557年、皇紀104年(綏靖天皇25)1月7日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が皇太子を定めた。皇太子こと日嗣皇子(ひつぎのみこ)となったのは、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)であった。そして、皇太子妃について、家臣たちと語らう
2022年2月2日 10:36
【綏靖天皇編】エピソード17 そして神になる紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)は、ついに、その日を迎えようとしていた。そこに三人の大后(おおきさき)がやって来た。すなわち、五十鈴依媛(いすずよりひめ)(以下、イスズ)と川派媛(かわまたびめ)(以下、カワ)、糸織
2022年2月3日 14:35
【安寧天皇編】エピソード1 三代目即位紀元前549年、皇紀112年(綏靖天皇33)5月10日、第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が崩御(ほうぎょ)した。ちなみに、崩御とは天皇が亡くなることである。そして、同年の7月3日、日嗣皇子(ひつぎのみこ)こと皇太子が、新たな大王(おおきみ)として即位(そくい)した。磯城津
2022年2月4日 12:56
【安寧天皇編】エピソード2 父の古墳と遷宮紀元前548年、皇紀113年(安寧天皇元)10月11日、先代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)(以下、ヌンちゃん)の陵(みささぎ)が完成した。この地に、ヌンちゃんは葬られたのである。ここで、新たに大王(おおきみ)となった、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が、ツッコミを入れてきた。タ
2022年2月5日 13:17
【安寧天皇編】エピソード3 疑惑の影紀元前546年、皇紀115年(安寧天皇3)1月5日、立后(りっこう)がおこなわれた。立后とは、大后(おおきさき)を定めることである。ここで、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)が語り始めた。タマテ「私の妃(きさき)については、エピソード87と88で紹介しているので、割愛させていただきます
2022年2月6日 00:33
【安寧天皇編】エピソード4 三兄弟の妄想紀元前538年、皇紀123年(安寧天皇11)1月1日、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が皇太子に就任。父の磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)も、励ましの言葉を送る。そんな矢先、長男の息石耳命(おきそみみ・のみこと)(以下、トコッチ)と三男の磯城津彦(
2022年2月6日 09:42
【安寧天皇編】エピソード5 出雲より愛を込めて紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。皇太子決定から二年後のことである。タマテ「勅命とは、天皇の命令という意味です。」ここで、大伴稚日臣(おおとも・の・わかひおみ)(以下、ワッキ
2022年2月8日 08:14
【安寧天皇編】エピソード6 海の中の祭壇紀元前536年、皇紀125年(安寧天皇13)のある日、磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)は、何を思ったのか、勅命(ちょくめい)を下した。内容は、出雲(いずも)の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)を遷座(せんざ)せよ・・・というものである。出雲(いずも)の君主、櫛瓺前(くしみかさき)(以下
2022年2月9日 10:07
【安寧天皇編】エピソード7 綏靖天皇の神社前回は、出雲(いずも)の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)を遷座(せんざ)した一件で、いろいろと語り合った。それから数日後か、数か月後か、数年後のある日の事。磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あんねいてんのう)(以下、タマテ)のもとに、二人の家臣が駆け込んできた。磯城太真稚彦(しき・の・ふとまわかひこ)(以下、フト
2022年2月10日 12:10
【安寧天皇編】エピソード8 九州以外の神社前回は、先代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと「ヌンちゃん」を祀った神社の紹介をさせてもらった。想った以上に、たくさんの神社が有り、前回は、九州地方のみの紹介となってしまった。そして、今回は、その他の地域の神社について、紹介がおこなわれるのであった。ここで、大王(おおきみ)の磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)こと安寧天皇(あん
2022年2月12日 21:17
【安寧天皇編】エピソード9 甲斐から来た男前回は、先代の綏靖天皇(すいぜいてんのう)を祀(まつ)った神社を紹介させてもらった。しかし、それだけでは終わらないのであった。ここで、三代目天皇、安寧天皇(あんねいてんのう)こと磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)が過敏に反応した。タマテ「そ・・・それだけでは終わらない・・・とは、どういうことでしょう?」それ
2022年2月15日 12:33
【安寧天皇編】エピソード10 今日でお別れ 甲斐国(かい・のくに)の開拓報告から、更に幾数年の時が流れた。紀元前531年、皇紀130年(安寧天皇18)2月のある日のこと。三代目天皇、安寧天皇(あんねいてんのう)こと磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)のもとに、津守天忍男(つもり・の・あまおしお)(以下、アマオ)と葛城久多美(かずらき・の・くたみ)(以下、クタ
2022年2月17日 18:00
【懿徳天皇編】エピソード1 四代目即位紀元前511年、皇紀150年(安寧天皇38)12月6日、三代目天皇、安寧天皇(あんねいてんのう)が崩御(ほうぎょ)した。崩御とは天皇が亡くなることである。そして、翌年の紀元前510年、皇紀151年(懿徳天皇元)2月4日、息子の大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が、新たな大王(おおきみ)となったのであった。ここで
2022年2月19日 18:00
【懿徳天皇編】エピソード2 皇太后と呼んだ日紀元前510年、皇紀151年(懿徳天皇元)2月4日、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が、新たな大王(おおきみ)となった。懿徳天皇(いとくてんのう)である。そして、9月14日頃には、先代の大后(おおきさき)、すなわち、スッキーの母親を皇太后(おおき・おおきさき)と尊んだのであった。侍臣(おおまちぎみ)の物