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JW101 皇太后と呼んだ日

【懿徳天皇編】エピソード2 皇太后と呼んだ日


紀元前510年、皇紀151年(懿徳天皇元)2月4日、大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとも・のみこと)(以下、スッキー)が、新たな大王(おおきみ)となった。

懿徳天皇(いとくてんのう)である。

そして、9月14日頃には、先代の大后(おおきさき)、すなわち、スッキーの母親を皇太后(おおき・おおきさき)と尊んだのであった。

侍臣(おおまちぎみ)の物部大禰(もののべ・の・おおね)と大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)による、皇太后の解説は続く。

大禰(おおね)「実は、初代の時も、二代目の時も、皇太后と尊んだ・・・という記事があるんですが、詳しい月日が書かれてなかったんで、割愛してたんですわ。」

スッキー「それで、唐突に登場した感が否めなかったのか・・・。」

モチ「なので、これまでも、先代の大后は、皇太后と呼ばれていたんやに。」

スッキー「ところで、9月の14日頃と、曖昧な記載になっておるのは、どういうわけじゃ? 詳しい日付・・・とは、言えぬのではないか?」

大禰(おおね)「そうなんですわ。『日本書紀(にほんしょき)』に、己丑(きちゅう)と書かれてるんで、日付は、確かに書かれてるんですが、二千年後の言い方では、何日になるのか、はっきり分からへんねん。」

スッキー「きちゅう?」

モチ「これまで、何も語っておりませんでしたが、実は、『日本書紀』の日付は全て、〇日という記載ではなく、己丑とか、丙午(へいご)といった感じの書き方になってるんやに。」

スッキー「モチよ・・・。解説のようで、解説になっておらぬ。もそっと、詳しく話せっ。」

モチ「こう言えば思い出しますか? 『辛酉(しんゆう)』の年に即位した・・・。」

スッキー「辛酉・・・たしか、エピソード66で、初代、神武天皇(じんむてんのう)が即位する際に、その年でなければならなかったとか、なんとか・・・。」

大禰(おおね)「まさしく、それやで。十干(じっかん)という十通りの文字と、十二支(じゅうにし)という十二通りの文字を組み合わせて、時間を表現するっちゅうやり方や。」

10干
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モチ「全部で六十通りになるっちゃ。なので、六十干支(ろくじっかんし)とも呼ばれてるに。」

スッキー「それは、年だけではなく、月や日も表現するのか?」

大禰(おおね)「その通りやねん。甲子(こうし)から始まって、癸亥(きがい)で終わるねん。」

モチ「そして、再び甲子に戻るんやに。」

スッキー「そんなやり方が・・・。我々より、あとの時代であろうな・・・。」

大禰(おおね)「大陸から伝わった知識やから、そうでしょうなぁ。」

スッキー「されど・・・おかしいぞ。」

大禰(おおね)「何がだす?」

スッキー「ここを見よ! 『日本書紀』の記述では、乙丑(いっちゅう)と書かれておるぞ。文字が似ているため、作者が間違えたのではないか?」

モチ「さすがは大王! しかし、作者はあえて、乙丑(いっちゅう)を己丑(きちゅう)と読んだんやに。」

スッキー「あえて?」

大禰(おおね)「前回紹介した、先代を葬った記事ですが、日付が8月1日になってはるやろ? そこに書かれてるんが『丙午(へいご)』やねん。そこで、9月1日は、どうなってるかというと『丙子(へいし)』やねん。」

スッキー「ん? 大禰よ。全く解説になっておらぬぞ。どういう意味じゃ?」

大禰(おおね)「六十干支(ろくじっかんし)っちゅうのは、六十通りの時間の表し方やと、紹介しましたが、これには順番が有んねん。」

スッキー「順番?」

そこへ、久米佐久刀禰(くめ・の・さくとね)(以下、サクト)がやって来た。

サクト「それでは聞いてください。六十干支の歌・・・。」


甲子(こうし)が全ての始まりさ。二番目、乙丑(いっちゅう)、三番、丙寅(へいいん)、④丁卯(ていぼう)、⑤戊辰(ぼしん)、⑥己巳(きし)と来て、⑦庚午(こうご)、⑧辛未(しんび)、⑨壬申(じんしん)、⑩癸酉(きゆう)、⑪甲戌(こうじゅつ)、⑫乙亥(いつがい)、⑬丙子(へいし)だよ・・・。


大禰(おおね)「はい。いったん、止めますよぉ。」

スッキー「な・・・なにゆえじゃ?」

大禰(おおね)「十三番目に出てきたのが、9月1日とされてる干支(かんし)やで。おかしいことに気付きましたか?」

スッキー「全く分からぬ。」

モチ「では、二番目を見てくんない。」

スッキー「二番目・・・乙丑(いっちゅう)・・・。『日本書紀』が皇太后と呼んだ・・・と書いていた日付の干支じゃな? それがどうしたのじゃ?」

サクト「大王。一か月は、三十日くらいっすよ?」

スッキー「そのようなこと、知っておる。」

モチ「では、十三番目が一日の場合、最終日の三十日は?」

スッキー「簡単なことじゃ。十三に二十九を足せば・・・。あっ!」

大禰(おおね)「二十九を足しても、四十二番目や。二番目には届きませんなぁ。」

スッキー「で・・・では、実際は10月だったのではないか?」

サクト「それが、大きく9月と書かれてるんすよ。」

スッキー「な・・・なんと・・・。」

大禰(おおね)「そこで作者は、昔の人が、書き写している時に、『己丑(きちゅう)』を間違って『乙丑(いっちゅう)』と書いてしまったんやないかと・・・。」

スッキー「なるほど・・・。ちなみに『己丑』は何番目なのじゃ?」

サクト「二十六番目っす。それでは、続きを聞いてください。」

こうして、家臣たちによる、六十干支の解説は続くのであった。

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