マガジンのカバー画像

神武東征の旅

20
『古事記』『日本書紀』に記される神武天皇の東征譚。史実なのか、つくり話しなのか。東征ルートをたどってみたら何か感じることができるかもしれません。いっしょに時空を超えた旅をしてみま…
運営しているクリエイター

#記紀

第12話  吉野の国つ神の巻

第12話 吉野の国つ神の巻

神武東征の旅 第12話  吉野の国つ神の巻

皇軍は八咫烏の先導で紀伊山地を越え、吉野から宇陀に入ります。

『古事記』は、吉野川の河口に着き、最初登場するのは贄持之子、次に井氷鹿、次に岩押分之子、そして宇陀へ入ります。

『日本書紀』は逆で、まず最初に宇陀に着き兄猾を討ちます。その後に吉野を巡幸され、井光、石押分之子、苞苴担之子の順で登場します。

〝記紀〟共に、石押分之子と井光(井氷鹿)は尻尾

もっとみる
第9話 五瀬命死す その2

第9話 五瀬命死す その2

神武東征の旅 第9話 五瀬命死す その2

 五瀬命が「賤しい奴のために手傷を負って死ぬのか」と怒り嘆いてお亡くなりになった。それでその港を男水門という(古事記)

 「日本書紀」は、亡くなるのは紀国 竈山、雄たけびをあげたのは茅渟海の山城水門でした。

 和歌山市にある水門吹上神社に、「古事記」に記す男水門の顕彰碑があります。

 〝記紀〟共に、墓は竈山と記します。和歌山市和田の 竈山神社。本殿

もっとみる
第8話  五瀬命死す その1

第8話 五瀬命死す その1

神武東征の旅 第8話 五瀬命死す その1

まず日本書紀の方から、

 古事記には「ちぬのうみ」の語源が記されます。

 〝記紀〟の記述を元に、和泉国(大阪府泉南エリア)と紀伊国(和歌山)に伝承地があります。

まずは、「皇軍は(和泉の海)茅渟の山城水門(別名 山井水門)についた」という記述に関連する伝承地を訪ねます。

 大阪府泉南市男里にある 男神社(おたけびの宮)。ご祭神は、神日本磐余彦命

もっとみる
第7話  孔舎衛坂の巻

第7話 孔舎衛坂の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第7話 孔舎衛坂の巻

 3月10日、河内国 草香邑に到着した皇軍は、兵器を整え、4月9日 竜田に向けて歩いて進軍を開始したが道が険しく引き返しました。

 一旦引き返した皇軍は、今度は一気に生駒山地を越えて内つ国(大和)へ入ろうとしたんですが、それを察知した長髄彦軍が全兵力を動員して待ち構えていて、孔舎衛坂で激戦となりました。

 皇軍が山を越えようとした道が日

もっとみる
第6話 難波碕の巻

第6話 難波碕の巻

 神武東征の旅 第6話 難波碕の巻

その時の様子を、

と記します。

「古事記」は浪速国の由来について記述はありません。

到着したのが草香村の白肩之津。〝青雲の白肩津〟と瑞祥表現が使われているので、ピンポイントでここという場所はわかりませんが、「津」は港。草香村は古くからの地名で現在の東大阪市日下町あたりです。

上の地図を見ていただくとわかりますが、赤丸の場所(東大阪市日下町)

もっとみる
日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第4話 筑紫への巻

 速吸之門

 日向を出発した神武天皇の船軍が速吸之門(豊予海峡)に至ったとき、珍彦という漁師が小舟に乗って現れました。天皇は珍彦に椎のさおをさしわたして舟に引き入れ椎根津彦という名前を与え水先案内としました(日本書紀訳)。

 椎根津彦は水先案内だけでなく、後に大和の天香山の土を採取、兄磯城討伐などでも活躍し、東征メンバーの中で智将的な働き

もっとみる
第3話  神武天皇お船出の巻

第3話 神武天皇お船出の巻

〝記紀〟には船出の詳細は記されていませんので、地元伝承のルートを辿ってみます。

宮崎神宮・皇宮神社

湯之宮神社

神武天皇が湯浴みをし、休息した際に地面に突き立てた枝が芽吹き梅の木になったと言われる「湯之宮座論梅」の伝承があります。

都農神社

神武天皇が東遷の折に立ち寄り、海上平穏や武運長久を祈ったと伝わります。日向国一之宮。都農神社の氏子には三輪姓の方が多いそうです。ご祭神からしても大和

もっとみる
第1話 神武天皇の生誕地の巻

第1話 神武天皇の生誕地の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】神武東征 第1話は神武天皇の生誕地です(日本書紀・古事記 共に神話から始まるのですが、神話については適当なタイミングで書こうと思います)。 

 神武天皇の生誕地は日向国で、現在の宮崎県高原町に伝承が残ります(宮崎県高千穂町にも伝承有)。神武天皇は幼少の頃 狭野尊と呼ばれていました(日本書紀)。生まれ育った地名を幼名とする風習がありこの地が伝承地となったのでしょ

もっとみる