わたしのはなし:柿と狂気から学ぶこと
わたしが住んでいる家は借家で、敷地に柿の木がなっている、柿付きの優良物件だ。
大家さん自慢の美味しい次郎柿が、毎年美しく実るので、私は玄関を出てもぎ取るのを楽しみにしていた。しかし、仕事を終えて夜帰宅すると、柿の実が全て切り取られていたのだ。
楽しみにしていたのに、ただの枝になってしまった柿の木を見て、わたしは少なからずショックを受けた。そろそろ食べれそう!と楽しみにしていたからだ。わたしは、なんで!と独り言を言い始めた、楽しみにしてたのに!と止まらなくなった。可哀想な事に、うるさく鳴くうちの猫に八つ当たりをしてしまった。いつもならしっぽの付け根をトントンしてあげるのに…。
次の日柿を食べたいとそれとなく伝えたら、大家さんはすぐに沢山くれた、美味しい食べ方のメモも添えて(!)わたしは幸せな気持ちになり、世界の全てが愛おしくなって、小躍りをした。
頂いたつやつやの柿は、まだ硬いのに甘くてとても美味しかった。
お礼の手紙を書いて、美味しいチョコと一緒にポストに入れた。
しかしふと気づいた、前日のわたしのままだったら、わたしはやさぐれたままだ。
そう考えると、何とも恐ろしい。
昨日と今日のわたしでは、180度世界が違う。
何もしでかさなかった事に感謝した。
“夜明けは必ず来る”とはこの事だったのだ。
ただの食いしん坊の話なのだが、昨日の気持ちを詩にするとこんな感じだった。
ただの食いしん坊の、身勝手な暴走が食い止められて本当に良かったです。
こんな誰かにとっては些細な、何でもないことでも、ひとたび心が乱されてしまうと冷静な判断もできなくなり、間違った選択をしてしまう瞬間があるのだな…と実感して身震いしたのでした。人間って不思議。
こんな時、感情に任せずファンタジック(優しい言い方ということ)に先ずは伝えて見ることも大事なんだな〜と同時に学んだのです。
紙一重で危うい精神をコントロールしながら、楽しく安全に生きようと心に決めた11月なのでした。
fin
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