noteはサードプレイスの入口なんじゃないか、とガチ考察してみた。

これは「私の場合は」のお話。

昨日の私の記事でサードプレイス(第三の場所)を作った方がいいということを書いたのだが、書きながら「あれ?」という考えがぷこぷこ浮いてきた。


(…え、待って)


「…noteってサードプレイスじゃね?」



【関連】昨日書いた記事は、コチラだ!

〈引用〉
第1の居場所が自宅でしょ。第2の居場所が職場とか学校。その往復だけになってる人、多くない? スタバに行こう。スタバのコンセプトは「サードプレイス」だから。もちろんスタバじゃなくてもいい。とりあえず…(以下略)
みんなnoteで何やってるかっていったら
noteにサードプレイスを作ってる


ということで今日は「noteサードプレイス論」について書いてみようと思う。

ゆっくりと焦らず読んでほしい。

〈余談〉
note毎日投稿も今日でちょうど8ヶ月目。将来生まれるであろう子どものために書いているはずなのに、いつのまにかこんなことを書くニワカ野郎になってしまった。
ふふふ



まずはこの頭の中を追体験するために、

そもそもサードプレイス(第3の居場所)とは何なのか、その大枠をつかんでみよう。


【サードプレイス?】困ったときのWikipedia

〈wikipediaより〉
>サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである。アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグはその著書『ザ・グレート・グッド・プレイス』(The Great Good Place)で、市民社会、民主主義、市民参加、ある場所への特別な思いを確立するのに重要だと論じている。




第3の場所について、まずみなさんと共有しておきたいイメージはスターバックスである。



みんな大好きスターバックスは、
サードプレイスの代表格なのだ。

これはなんとなくわかる。



このイメージを共有した上で、じゃあ、どんな場所がサードプレイスと言えるのか? という定義を見てみる。

調べてみるとサードプレイスの提唱者である
米国の社会学者オルデンバーグさんは、ご丁寧にもサードプレイスを8つの項目で定義してくれている。


どんな場所が、自宅・職場・学校以外の、自分のサードプレイス(第三の場所)になるのか?



まずは、オルデンバーグさんの
サードプレイスの定義を見てみたい。

結論だけ読みたい方は以下の目次の
「▶︎noteサードプレイス論」へ飛んでね

▶︎“サード・プレイス”の8つの特徴


[1]中立領域

サード・プレイスは特定の個人や団体、政治組織や宗教組織に属していない場でなければならない。また、その構成者は義務感からそこにいるのではない。彼らは、経済的、政治的、法的に縛られること無く、喜んでやってくる。


[2]平等主義

サード・プレイスは、個人の社会における地位に重きをおかない。経済的・社会的地位は意味がなく、ありふれていることが許容される。サード・プレイスでは参加するために、何も必要条件や要求がない。


[3]会話が主たる活動

遊びココロや楽しい会話がサード・プレイスの活動のメインフォーカスである。会話のトーンは気軽で、ユーモア、ウィットがあり、優しい遊びココロは高く評価される。


[4]アクセスしやすさと設備

サード・プレイスはオープンで、みなが訪れやすい環境。柔軟で親切で、集まる人のニーズにこたえるところ。


[5]常連・会員

サード・プレイスは、常連がいて、空間やトーンを形成する。その場所らしさを彼らがつくる。新たな訪問者を惹きつけて、新参者にも優しいところ。


[6]控えめな態度・姿勢

サード・プレイスは、健全である。その中には無駄遣いや派手さはなく、家庭的な感じ。偉ぶったり、排他的であってはいけない。いかなる個人、あらゆる階層の人を受け入れる。


[7]機嫌がよくなる

サード・プレイスでの会話のトーンは、けっして緊張や憎悪を生んではいけない。その代わり、陽気でウイットに富んだ会話、気さくな冗談は歓迎される。


[8]第2の家

サード・プレイスにいる人たちは、しばしばあったかい感情を共有する。あたかも同じ家に暮らす者同士のように。この場所に根ざしている感情を持ち、精神的に生まれ変わることを得る。

▶︎noteサードプレイス論

なぜサードプレイスが欲しいのか


やっぱ、noteはサードプレイスに近い。


で、基本的なところに立ち返って思うわけ。


全員が全員ではないが、でも多くの人は、自分のサードプレイスが欲しいのではないか。


で、探してる。自分と同じレベル、もしくは自分を一段引き上げてくれるような場所を探してる。

今の自分よりも数段レベルの上の場所は少し怖い。だから探してる。ちょうどいいサードプレイスを探してる。自分を認めてくれる人がいる場所を探してる。そういう人が増えたとも言える。

いや、


ちがう。増えたわけじゃない。インターネットのおかげで見えるようになったのだ。そういう人も場所も太古からあったはず。テクノロジーの力でそれが可視化されただけだ。



noteは本当のサードプレイスか


さらに言えば、


noteはサードプレイスにはなり得ない。

会話がないからだ。

コメント欄ではたしかに交流が生まれこそするが、これは厳密に言えば会話ではない。ラリーが続かないからだ。これを排したいと思って始めた実験が「勝手にリレーエッセイ」である。


勇敢なヘラジカさんに感謝だ。


が、リレーエッセイすら会話とは言えない。
たしかに交流っぽい気はするし、やってる本人は楽しいのだが、これでも双方向のラリー式の会話は生まれていないからだ。


なら、この時代ならではの
サードプレイスはどこにあるのか。


音声配信にありそうだ。


自分が興味のある人がどんな口調なのか、どんなことを話すのか、どんな考え方をするのか、そのパーソナリティに私たちはとても興味がある。

できることなら、その人たちと話をしてみたい、交流してみたい。で、欲を言えばその様子を誰かに覗かれてみたい。自分の思考と言動を、他者に覗かれてみたい承認欲がある。なぜか。


人間だから。


だからこそ、リレーエッセイ期間中に
stand.fmでメンバーの皆さんと会話をするために、スピンオフ的にライブ配信をスタートした。



参加してくださっている方々、
お忙しい中、どうもありがとうございます。


先日のstand.fmでも話したが、誰だって自分の人生については語れる。誰もが自分の人生の中では自分の専門家で、自分だけが自分の良き理解者だ。


この人生を受け入れてくれる第3の場所を、
きっと心のどこかで探してる。


もちろん「その気持ちになる意味が分からない」という方のご意見も受け入れたい。しかし、少なくとも私は探してる。みんなの考えが聞きたい。

〈参考〉
2023年1月29日、stand.fm、
「日本のやきそば」の回でそんなお話をした。
(該当箇所は01:41:55から)


思うに、noteは完全なサードプレイスにはなり得ない。がしかし、サードプレイスの入口にはなれる。


今日、この記事は自分の脳内からひねり出した考えだけど、きっと過去に私よりもはるかに優秀な人が、鼻から宇宙を生み出す勢いで考えてくれている。そういう時代にもうなっている。

一部の言論の専門家の話を聞くのももっともだが、そんな賢い人は少数派なのだ。専門的なことに考えが及ばないが、でも毎日なにかを考えながら生きている人の方が多数派かもしれない。


自分だけのサードプレイス。

だけど、それが誰かにとっても居心地のいい場所になるならうれしい。
noteさんとしては、こういうのをメンバーシップでやって欲しがってそうな気はするんだけど、果たしてどうかな。


noteをスタートして8ヶ月が経過すると、
こんなことを考えるようになったもんだなぁ。


なんか、いい参考書籍がないか、探してみよう。


いや、違う、答えはもう出てる。


<あとがき>
第3の場所って、ありそうでない気がします。理想は、近所のスターバックスのすべての店員さんが知り合いで、ある曜日のある時間に行くと、気心知れた仲間がいて、そこで何かを語らう、ってことなんでしょうけど、むずいんです。かといって、サロンみたいなものを作るのも気がひける。絶妙な何かを模索してみます。今日もありがとうございました。

【関連】毎日投稿1発目で同じこと言ってた

<引用>
私たちには、なぜ友だちがいないのか?
それは、作り方を知らないからだ。
だから、みんなが集まれる場所が必要だ。

そういう場所をこれから作ろうと思う。
言ってるじゃん!



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