とあるオッサンの主張(笑)。
社会は「差別」という言葉に敏感になってきていて、時に悲しい事件があったりもしますが、少しづつ優しい世界になっていると思っていますし、そう信じています。
「差別」という問題は、とてもデリケートですよね。
話し手が全く意識していなくても、聞き手にとっては耐え難い言葉であったりしますが、それを全て事前に察知することは不可能でしょう。
相手が変われば、当然に言葉のチョイスも変えなければいけないでしょうし、それを苦痛に感じる話し手は、下手をすれば「対人恐怖症(傷つけるのが怖いと思う)」になるかもしれません。
特に感受性が豊かな若年者にとっては、通過儀礼のごとく、誰しもが一度は悩み苦しむ問題なのかもしれません。
話し手としても、聞き手としても、傷つけてしまったり、傷つけられたと感じてしまったり。うーん、ホントに人間関係の構築って難しいですよね。
今回は、そんな「差別」というキーワードについて書いてみようと思いますが、読んでくださる方が重い話だと感じないようにしようと思いますので、楽に読み進めてほしいと思います。
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私は、現在40歳なので、まあまあのオッサン属性がついている状態です。
お腹周りには年季を感じる脂肪もついている状態です(笑)。
さて、この「オッサン」という立場になると、世間の風当たりを非常に強く感じます。いくつか事例を挙げてみましょう。
まず、道端に佇んで、季節の植物や散歩中のペットと飼い主、元気よく走り回る子供たちを眩しそうに眺めるとします。…これでもう「不審者扱い」されたりします。
…オッサンだって癒されたいんだよぉぉっ!
たまに甘いものが食べたくなって、近所の喫茶店でスイーツを頼んだとします。…若い女性のグループやカップルに見つかると二度見されます。「あの人、一人でパフェ食べてるよ…」
…オッサンだって食べたいときもあるんだよぉぉっ!
ショッピングモールとかで、名前はわかりませんが、カワイイぬいぐるみを見て癒されたいと思う時もありますが、これも社会の目を気にして、素知らぬふりをしつつ、横目で堪能します。
…オッサンだってカワイイモノ好きだったりするんだよぉぉっ!
ぜはー、ぜはー…なんてオッサンに優しくない世界なんだ(T_T)。
もちろん、そういった社会の目が様々な犯罪を未然に防いでいるし、オッサン以外の属性についても、こういった悩みがあったりもすると思います。
今回の話は、「オッサンにも多様性がある」ということではなく(笑)、メディアに取り上げられない立場や肩書に対しても、人は意識的・無意識的になんらかの先入観を持って、他人を見てしまう、という事実を改めて感じてほしかった、ということです。
同時に、私自身も先入観や思い込みで人に対して何らかの「レッテル」を貼ってしまっているかもしれないので、その戒めの意味もあったりします。
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まずは、「自分には先入観や思い込みがある」という事実を認めること、そして、「相手と分かり合いたいと思う気持ち」を持つことから始めてみませんか?
ということで、今回の投稿は以上です。
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