仮説はロジカルじゃなくていい
noteの投稿に関しては、自分で考えた仮説は必ずしもロジカルでなくてもいいと考えています。
なぜならば、多くの投稿者の問題は質の前に量だからです。
連続投稿に挑戦する方は、今まで蓄えてきたインプットを消費しながら、投稿していると思います。
個人差はありますが、いつかは、今まで貯めてきたインプットというものが枯渇する日がやってきます。
つぶやきを続けていれば、さほど問題にはならないのかもしれませんが、一記事あたりの文字数が増えれば増えるほど、内容に拘れば拘るほど連続投稿というのは厳しくなります。
文章を書くことでお金を稼ぎたいと考える方は、量と質のバランスに苦しまれているのかもしれません。
この先、物書きとして食べていくのだから中途半端な文章ではだめだ…と考えながら、毎日投稿を続けたいけれども記事が書けない…というジレンマを抱える方も少なくないのではないでしょうか?
ということで、今回はそういった悩みを抱えている方に向けて、「仮説の投稿」にフォーカスして書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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文章を構成する中でよく用いられるのが「PREP法」だと思います。
結論を述べ、理由を述べ、例示して、結論に戻る。
こういった論理的な文章構成を考えていると、必然的に文章の質そのものが向上する反面、「型」にハマりやすいので似たような文章となっていく方もいると思います。
個人的な意見ですが、こういった文書作成術を多用すると、人によっては投稿に対して苦手意識を抱えることもあります。
私の文章は、基本的には思いついたまま書くので、先に述べたPREP法などはあまり使っていません。
だからこそ、何かに特化した文章は書けませんが、幅広いジャンルの文章を書くことができているのだと思います。
例えば、何かのデータを基に仮説検証する記事を書いた場合、このPREP法というのは非常に有効な手立てだと思います。
ですが、日々の生活の中で感じたことや、考えたことをこの手法に当てはめようとすると、どうしても堅苦しい言葉が並んでしまうといったことも起こり得るのではないでしょうか?
PREP法に限らず、仮説を立て物事を論理的に解釈していくという思考法は、ビジネスのみならず日常生活においても多くをもたらしてくれることかもしれません。
しかし、noteにおいては、あるいは人によっては、その縛りによって自らが求めることを手放してしまうこともあるのではないでしょうか?
そういった懸念を感じる方が、もしいるのでしたら、一度ロジカル・シンキングを手放すことをしてみてもいいのではないでしょうか。
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ロジカルではない文章と言うと、感覚的であったり、的を得ない発言が書かれていたりと、低くない確率で見るに耐えない文章となるかもしれません。
しかし、その文章の細部にあなたの考えや価値観というのが垣間見えるのであるならば、そういった記事をあえて世に出してみるということもアリなのではないでしょうか?
私も書き始めの頃は、質を求めてあれこれ模索しましたが、時間的制約や自らの文才のなさを鑑み、質のハードルを下げるという選択をしました。
何割かの人にとって、このような選択をした私の投稿を、見るに耐えない投稿者だと感じる人もいるでしょう。
ですが、質を追求できる人と私とでは、文章を構成する力そのものに差がありすぎるということや、noteに取り組む目的そのものが違うということも挙げられると思います。
SNSというのは、個人によって扱い方が全く異なります。
投稿のスタイルも、絶対的な正解は存在しないと私は思っています。
だからこそ今回のタイトルにあるように、必ずしも「仮説はロジカルに検証しなければならない」と考えるのではなく、もっと大雑把な仮説でも投稿していくことで多くの方の目に触れ、場合によってはコメントをいただくことで醸成されていく…そんな記事があってもいいのではないでしょうか?
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もちろん、私のように「他力本願で考えられない」ということも多いことでしょう。
そういった方は、あくまでSNSの世界なので、何かに固執することなく自分が描きたいものを描いていけばいいと私は思っています。
それは、量と質の一挙両得を狙い迷走してしまったり、楽しむはずの記事投稿にストレスを抱え込んでしまうということのないように…という願いでもあります。
今回の投稿内容そのものが、特定の読者層がいるという仮説に基づき記事にしていますが、こういった投稿があってもいいのではないでしょうか?
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
二日ほど、予防接種の副作用の影響がありましたが、また通常運転していこうと思いますので、よろしくお願いします(^^)/。
今回の投稿は以上です。