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自分に価値はあるのか

コンサルティングファームで働いている人たちが口を揃えていうセリフがあります。

「あなたにはどのような価値があるのか。」

このようなセリフを耳タコなくらい聞いてきました。また、それか。

僕はコンサルの仕事をしていたわけではないけれど、コンサル出身の人たちが異業種に展開していくにつれてこのような話を聞く機会が多くなりました。だから、コンサルだけでなく、いろんな業種でこの「価値」という言葉を耳にします。

そもそも価値なんて自分で決めるものじゃないでしょ、なんて思うことはありますが、気が弱いし、自分の意見も確立できていない僕はそんなことを面と向かって伝えられません。

だから、「なるほど」とわかったふりだけをしてその場をやる過ごすことがしばしばありました。

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SNSのフォロワー数に左右される人生なんて嫌だと思いつつ、でも時々気になってしまいます。

Twitterであれば、僕にはありがたいことに630人ほどのフォロワーがいます。でも、ひとつひとつのツイートのインプレッション数を見るとその半分以下です。つまり、フォロワー数ほどにチェックされていないと言うことです。

noteの記事を載せたものであれば、リンクのクリック数はせいぜい10を越えれば良い方です。SNSの運用とは改めて難しいものだと思います。

しかしながら、仮にSNSの運用がうまくいって、ツイートのインプレッションが上がり、フォロワーも大きく増えたらそれは良いことなのでしょうか。企業案件の場合であったら、それは「成功」になるでしょう。でもこれは「価値」なのか。

僕はそんな様子を見るたびに、どこか違和感のようなものを感じます。

もちろんその背後には努力や入念な調査があったと思うので、何もなしに成功することはないでしょう。でも、小手先のテクニックで掴んだ成功は「価値」なのか。

生身の人間ではない、SNSという仮の姿で活躍することが果たして「価値」なのか。

僕はこの不安を拭えずにいます。

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海外旅行をしてその地の写真であったり、経験した奇妙な出来事を発信していくと、フォロワーが増えやすい傾向にあります。人々はその人の発信に興味を持ち、さらなる投稿を心待ちにします。だからその人へのフォロワーは増えていきます。

しかし、それは海外旅行をしている、という事象や、そこで出会った思いがけないパニックに興味を持たれていたのであって、実際の自分に対して興味を持たれたわけではありません。

インプレッションの数が増えていくと、人々はそこを勘違いしてしまう傾向にあります。

この場合、海外旅行から帰ってきて、日常生活を送っている自分が本当の自分であり、そこでの発信内容が評価の対象です。当然、海外旅行をしていた頃に比べるとインプレッションの数は少なくなってしまいます。

僕もかつて、このような苦しみを味わったことがあります。海外旅行中に増えたツイッターのフォロワーが、帰国後に大きく下がったのです。

もはや「お前に用はない」と言われているような気分でした。

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価値とは測るべきものなのでしょうか。僕はこの考えに結論を出せずにいます。

社会において、その人が仕事ができるかどうかを評価するものは「価値」です。だから、そこに頼らざるを得ない気持ちはわかります。

しかし、どこか本質をとらえていないもやもやがあるし、そもそも価値は数字化されるものでもない、と心の奥底で感じています。だから、仕事において自分は仮面を被らなければならないんだな、と思ってしまいます。

オンとオフという概念も、仮面を被るか被らないか、という切り替えを表しているのではないかと思いました。

自分をありのまま出す。

僕はこれが大切だと思っています。十人十色、人はそれぞれ違っているのだから、全く同じ「価値」を提供することは不可能です。

「リスキリング」という概念が出始めた今だからこそ、どう仕事をしていくか、ということを改めて各々が考えていくことが必要だと思います。

僕はまだまだ何の仕事をしていこうか、ということで悩んでいる状況ですが、これからも自分の価値を認識して過ごしていこうと思います。

社会に適応していくために。


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サムネイルの撮影場所はリシ湖(トビリシ)

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