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20240318_産業革命後の世界史を学び考えたこと_ゲームチェンジの世界史_紹介と感想36

はじめに

こんにちは、Keiです。

 今まで私にとって"元気が出た"と思ったコンテンツや"役に立つかもな"と思ったコンテンツや考え方を紹介してきました。今回も良い人生にするために"役に立つかもな"と思った考え方を紹介していきます。

参考書

この度、参考にした本は
『ゲームチェンジの世界史』神野正史
です。

内容と感想

 前回の記事では"麻薬と同じ産業革命"までの部分を読んで感じた事を書きました。

 今回の記事では"第二次産業革命がアジアアフリカ圏を地獄に堕とす"までの部分を読んで感じた事を書いていきます。

内容

 産業革命国が1つでも生まれると、呑みこまれたくない周辺国も産業革命を興すしかなくなる。イギリスで興った産業革命はほどなくして欧米諸国に広がっていった。
 19世紀後半になると、イギリスの後追いから脱却したドイツ・アメリカから重化学工業(鉄鋼・造船・石油化学)中心の第二次産業革命が勃発した。イギリスの興した軽工業(織物)中心の第一次産業革命とは質も量も比較にならない規模で展開していき、惨劇も"第一次"の比ではなくなっていった。アジア、アフリカ圏の国はごく一部の例外を除いて欧米列強の植民地(or 半植民地)となっていった。

感想

 イギリスで産業革命が興った後、またたく間に欧米諸国にも広がっていった理由を学ぶことができ勉強になりました。1つの国の興した変化が周りの国にも影響を及ぼし、最終的には地球規模に影響を与えた点を知ることで産業革命が人類に与えた影響の大きさを実感できました。
 第二次産業革命では"第一次"とは比較にならない規模で展開していったという点は学びになりました。個人的に産業革命というと第一次の時の蒸気機関の印象が強く、影響も大きかったと感じていたため認識を改めることができました。革命時の産業の中身(軽工業中心、重化学工業中心)を知るだけでも、第二次の方が影響が大きいという点を感じ取ることができると思います。用語だけでなく、中身まで理解するという点は意識できると良いと思いました。
 第二次産業革命が起きた後の"帝国主義"の時代は、アジア・アフリカ圏の国にとってはとても厳しい時代だったと思います。日本が唯一、"独力で列強の侵略を排除し、独立を保つことができた国"であるという点は誇って良いことだと思います。独立を保ってくれた当時の人々に報いるためとは言いませんが、せめてもの感謝の気もちは忘れずに生きることができると良いと思いました。

最後に

 歴史を知ることで、自分たちに今があることへの"有難味"を感じることもあると思います。そしてその"有難味"は今を一生懸命生きる力に繋げることもできると思います。辛いことがあっても諦めずに頑張る気もちは大切にできると良いと思いました。
 自分にある"有難味"を意識し、日々を精一杯生き抜いていきましょう!

 どなたかの参考になれば幸いです。

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