序説・「批判する」という作業
はじめに
日本では、特に「批判」という言葉に“マイナス”のイメージを持つ人が多いように感じます。実際に、日本語においてはそういう一面、つまり「非難」の意味で使われることがとても多いのは事実です。
しかし、「批判」という言葉の持つ意味をしっかりと検討してみると、そのように、「非難=欠点や過失などを取り上げて責め立てること」の意味だけで意識されるのは非常に危険であることが分かります。
実に「批判する」という作業は人間の知性にとって最も基本的な営みであり、かつ人間の社会にとって非常に大切な営みであるということを一緒に見ていきましょう。
1.理解するとは批判することであり、批判することは認識することである
まず最初に結論から述べると、「批判する」ということは「理解する」ことです。「認識」とほぼ同義であると言ってもいいかもしれません。たとえば、有名なカントの『純粋理性批判〔Kritik der reinen Vernunft〕』とは「純粋理性を理解すること」と同義であり、例の『資本論』の副題である「経済学批判〔Kritik der politischen Ökonomie 〕」とは「ブルジョワ経済学を学問的に認識すること」という意味に解せます。
どうしてこういうことが言えるのか。これは、我々が行う「認識」というものを少し考えてみれば分かります。
まず一方で、明かな事実として、この社会には色々な意見や主張が存在していて、それらが対立したり、無視されたり、たまには理解し合ったりして成り立っている。もっと言えば、21世紀の我々は、ようやく「そのように様々な意見や主張の多様性があることが社会の健全な状態なんだ」ということに気付き、行動する人が増えている歴史的地点に立っているとも言えます。つまり、違う意見の表明がごく普通にあり得るようになってきました。
〔横道の註・これは多くの優れた先人たちの努力によって歴史的に勝ち取られてきたものであって、これからもその努力を積み上げていかねばなりません。もっともそれ故の思想的課題に現代の我々はぶつかっていますが…。〕
そういう社会にあって、もし理想的な議論のあり方を考えるならば、極めて単純化してたとえば、
というような、相手の主張の意義と限界をしっかりと理解した上で、理性的な対話が成り立つような状況を考えられるでしょう。そういう時、その相手の意見に対して自分の考えを対置すること、それが本来「批判する」という語でイメージされることです。
「批判」の語源である各ヨーロッパの語(英:criticism, 独:Kritik, 仏:critique, 古羅:criticus, 古希:kritikos, …)も元々そういう意味で意識されています。
カントもマルクスも、「理性というものを自分なりに理解した上で、カントの意見を主張している」のであり、「今までの経済学をマルクスなりに理解した上で、彼の考えを対置している」のです。
すなわち、そもそも批判ということは、対等の、かつ個性ある人格を想定して行われる作業です。自分は自分なりに能力の限り精一杯主張するから、あなたはあなたの理解力の限りを尽くして、それを受け止め、対応してみてくれ、ということです。
そこには、自分の意見を頑なに譲らず、頭から否定したり、自分の主張を絶対だと信じて、相手の欠点や誤りを取り上げて責め立てる〔=非難〕だけの姿勢はありません。その意味で、「批判」が「非難」の意味に矮小化されて使われるのは危険なのです。何故か。
2.批判が忌み嫌われる社会
それは、批判者が異端のレッテルを貼られて排除され、批判が抑圧され、消し去られる社会を考えてみれば分かるでしょう。これほどに、恐ろしい社会はありません。
今の日本の風潮では、「批判だけする人は、風変りだからよくない」「批判は、他人に対する意見の強制だからよくない」という考えが無意識のうちに支配的になっていると思われますが、むしろ事実は逆であって、批判、すなわち異論を主張する自由、が抹殺される社会では、一切が同じ色に塗りたくられ、すべてが管理、強制される社会になっていきます。
批判が死に絶えるところには、抑圧と無気力しか残りません。誰もがすぐに分かる例をあげれば現在の北朝鮮独裁社会、少し前のスターリンソ連管理社会、いや、他国だけの話ではなく戦前日本の全体主義社会、などなど歴史を見れば極く容易に見つかります。
従って、積極的に常日頃から、批判をこととしようとする人間が当たり前の人間とみなされずに、風変り扱いされる時、その社会はもう、ファシズムの一歩手前まで来ているといえるのではないでしょうか。さて、今の我々の社会はどうでしょうか…?
おわりに
なので、僕は、本来の意味での「批判」がこの日本社会に根付いて、批判という作業が何のためらいもなく、誰もがお互いに活発に行われている日を願って、
自分も十分に勤勉かつ誠実に徹底して批判を展開する努力を、微力ならがら続けていきたいと思っています。
このnoteも、そのために公開していくものです。
皆さんも、上の自分の意見に納得して頂けたら、それぞれの出来る範囲で「批判」を展開してもらえたら、嬉しいです。
よろしくお願いします。
P.S.
「批判」概念についてのより詳細な説明は、以下の記事が参考になります。
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