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「知識」と「情報」について考える。


こんにちは!あいでんです。

私は比較的短いスパンでのブームがやってきます。暇なんで(笑)。
最近のマイブームは「一度読んだ本を見返す」というもの。特に「課題図書を見返す」ということをやっている。


正直な話、2年次の特にゼミに入りたての頃は”レポートを出すというタスクがあるから課題図書を読む”くらいの感覚だった。
現に本の内容はあまり覚えていない。

なので今更ながらにちゃんと課題図書を読むと創Pでのヒントがわかりやすいくらいに凝縮しているのに気づく。

しかも2年次の最初に出される課題図書のほとんどがここ数年くらい変わってないところを見ると、その重要性はもはや明白だと思う。


にも関わらず課題図書をまともに読まずに創Pに臨んでいたのだから無知とは恐ろしいというか、恥ずかしいというか。
紛れもなく大馬鹿ものだ。

ちなみになんですが、レポートやレジュメを見ていただければ本を読んでいないのも明らかですし、その酷さもお分かりいただけると思います。

もし怖いもの見たさ(?)で興味がある方は個別に送りますので連絡してください(笑)。

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さて、以前の私のようなバカな行為から卒業するためには知識や情報をインプットし続けなければいけません。

アップデートし続けるということですね。

しかし、一括りに知識や情報といっても「情報」には一次情報、二次情報、三次情報。「知識」にも形式知と実践知に分けることができます。


情報は往々にして伝言ゲームのようになりがちなので、三次情報よりも一次情報のほうを集めることを推奨される場合が多い。

といっても、一次情報はそれを理解したり抽象化したりする力量によって質が変わる。しかし時間は有限なので全ての情報を一次情報でまかなうわけにはいかない。

だから同じくらい二次情報を集めることも推奨されているはずだ。


そういった意味では、T先生が度々情報をfacebookなどで伝達してくれるのは情報感度の低い私(たち)への救済措置なのかもしれない。

ただ、いつまでもおんぶにだっこではいられないのでアンテナを自分で張れるようにならないとね。


さて、知識に関しては昨日のゼミでの内容の話にもなるのですが、実践することによって得られる知識=実践知というものと、講義や本、記事や講演などから得られる知識=形式知というものがあります。

先ほどの情報とリンクするなら実践知は一次情報、形式知は二次情報、三次情報だといえる。

昨日の話を私なりに整理すれば形式知と実践知は背中合わせのような関係だ。
実践知だけでは他のシチュエーションには弱く、形式知だけでは具体的な事象への反映ができない。


つまり両方大事だということ。当たり前だと思われるかもしれないけど意外とできない。

なにせここでも大事になるのは「具体と抽象」の行き来なのだ。実践知も形式知もそのままでは本当の意味で血となり肉となるわけではない。

憎たらしい奴め。

ゼミではその機会が十分といってもいいほどに準備されている。いや、大学という場所自体がそういう環境なのだ。そんなことに気づくのは悲しいかな4年生のこの時期だったのだ。

まとまりのない内容になってしまったが、課題図書や共有される記事はちゃんと見てたほうがいいよという話。あと講義もちゃんと受けとこうね、みたいな。
わかるわからないは別にして、いつか役に立つから、多分。

そんなことをゼミを振り返ってると感じました。


それでは、また次回!

(続き:「実践知」と「形式知」について考える。

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