N.kazuhiro

ここ数年日々様々な書籍を読んでいるうちに人生最大の後悔が始まった振り返っても致し方ない…

N.kazuhiro

ここ数年日々様々な書籍を読んでいるうちに人生最大の後悔が始まった振り返っても致し方ないので、今をしっかりと感じて楽しくする事に! これでいいのだ! ベンチプレスMAX115キロ ランニング歴12年以上フルマラソン完走数回漫画5,000冊以上所有 読書家 ゴルフ目指せスコア80台

最近の記事

僕と耳下腺腫瘍6

手術後の経過は順調みたいだ。 首のドレーンもとれ 最後の点滴も終わり あとは明日切開したとこのテープを はがしたら退院だ。 退院まで8〜9日はかかるといわれたが! 7日で退院ってことになった。 テープを取ってしまえば後は何もする事がないらしく、とにかく安静にって事みたいだ。 なので病院に居ても家に居ても同じなんだろう。 1週間後に診察があり、そこで病理検査に出してる腫瘍が良性なら終わりだ。 退院後は仕事も復帰していいようで 重いものをあつかわない 汗をかかない。これが条件だ。

    • 僕と耳下腺腫瘍5

      2つに割った片割れの耳下腺腫瘍 3センチはあったようだ。 先月は2.5センチと言われ1か月で0.5ミリも大きくなっていた。 早く切除して正解だった。 手術後2日目基本的に昨日と何も変わらない。 痛い止めを継続的に飲み 空いた時間しかないのでひたすら読書 9時消灯以降はNetflixかYouTubeのルーティンが出来上がった。 看護師さん達の仕事ぶりを入院しないと 仕事の大変さが等身大で伝わらない 本当に大変としか言い合わらせない 感謝と言う言葉しか出てこない ありがとうござい

      • 僕と耳下腺腫瘍4

        画像を載せるか随分迷ったがみての通り現実を載せることにした。 これが摘出された耳下腺腫瘍の半分 大きいため半分にした様で、これを病理検査に出して今後の事が決まってくる。 手術翌日、想像より痛みは少ないがこれでは寝れない。 疼きと痛みが襲ってきてる。 管も入っている。 おそらくこの2点の事で顔の可動域がかなり狭くなっている。 痛み止めもらって飲み続けてないと結構辛い。 管を入れているのは唾液と血液が溜まらない様にするために入っている。 術後3〜4日後には取れると聞いている。 食

        • 僕と耳下腺腫瘍3 手術日

          手術当日。 なんてことはない 時間が経てば自分の意志とは関係なく その時は来る。 10:50に手術室に案内された 前日の24時以降は食事無し 本日7:00以降は飲料無し 準備は万端。 徒歩で手術室の前室みたいな所に そして車椅子に座り主治医に押して頂き手術室に到着。 名前を再確認してバーコードでも確認 少し足は震えていた。 寒いせいか武者震いなのかただただびびっていたのか、わからないが小刻みに震えていた。 そして手術台に寝転び、今から何をするか伝えながら医療従事者の方々は淡々

        僕と耳下腺腫瘍6

          僕と耳下腺腫瘍2

          入院初日 PCR検査があるため朝9:00までに病院に行かなければいけなかった。 PCR検査を提出して2時間待った。 検査結果は陰性  そして入院手続きを終えて病室に入る。 残りの検査を済まして明日の手術時間まで粛々と病室で待つ。 ここまで来たら不安もあるが諦めが勝っていた。 完全に自分の領域外の事ばかりで先生達に任せるほかないからだ。 今回も全身麻酔l。 これがなかなか嫌なもんでストレスの元の1つではあった。 結果的にはなんてことはなかった。 自分の中で想像を膨らませすぎてい

          僕と耳下腺腫瘍2

          僕と耳下腺腫瘍 1

          紹介された病院に行き受付を済まして指示通りに進んで行った。 最近の病院のシステムはしっかりしてるとつくづく思う。 血液検査 胸のレントゲン CT等を済ませ 血液内科の待合に行き着く。 しばらくすると呼ばれ先生に検査結果を告げられる。 顎のシコリは何かわからないけど血液検査の結果は何も問題無かった。 不安と安堵と?が僕の中で混ざり合う。 ??? そして先生曰く耳鼻科に回すの事 わからないまま耳鼻科に行き、また待合でしばらく待つことになった。 そして耳鼻科の先生曰く耳下腺腫瘍かな

          僕と耳下腺腫瘍 1

          僕と耳下腺腫瘍 始まり

          3年前辺りに左顎付近に違和感を感じはじめハッキリと小さなシコリを認識した。 まあ、そのうち無くなるだろうと思い なんだろうとも思いながらほっておいた。 だがそれは徐々に成長していっていた。 2年近く経った、去年の秋辺りにかかりつけ医に相談、それまでに一度位は相談していたが様子見程度の話で終わった。 ハッキリ何かわからなかったんだ。 そしてそこそこ大きくなってしまったシコリを先生が触診でリンパ系でしょうねえ。 何かリンパで受け止めて大きくなったんだろうと診断。 落ち着いたら小さ

          僕と耳下腺腫瘍 始まり

          僕と会話

          人生いろいろ人間もいろいろだ。 理容業30年! 仕事上いろんな方達と会話をしてきた。 この仕事は接客と言った点では特殊で。 施術時間はざっくりだけども カットは60〜90分 パーマとカラーは120〜180分かかる。 その施術中は お客さんによってはずっと喋っている事が多い。 カットの場合1年で10回来店するお客さんがいた場合、少なくとも年間10時間以上は会話している。 1日に夫婦の会話の時間の統計があって、恐ろしく少なかったのを覚えている。 下手したら1年を通してみたら、お客

          僕と会話

          僕と嫁

          結婚して25年経つ。 様々な事があった。 子供は3人。 いい息子達に育った。 家庭外の様々なトラブルもあった。 僕の毒母とのトラブルもあった。 さまざまな事を嫁さんと乗り越えて来た。 今からもいろんな良いこと悪いことがあるんだろけど、今までと同じで一緒に乗り越えていく。 嫁さんと 今日まで一緒に居て一緒に仕事をして 長年側で色々見て来た 母親としての側面 妻としての側面 嫁としての側面 見てきた上で妻にはリスペクトと感謝しか無い。 この感情がほぼほぼ占めている。 出来るだけ楽

          僕と筋トレ

          ベンチプレス台を設置して練習内容も固まってきて週2〜3はトレーニングをしていた。 最初の頃はベンチプレスを主体でやっていて 腕の筋トレもある程度やっていた。 その頃は、そんなに思っていなかったけど トレーニング後にビールをしっかり飲んでいた。 当時のルーティンは 朝ランニング ↓ 仕事 ↓ 晩飯食って ↓ 筋トレ ↓ 風呂入る ↓ 就寝 ザッとこんなルーティンをほぼ毎日。 まあ天候だったり仕事が遅くなったら出来なくなる事は多々ある。 そんな感じで6年位やっていた。 徐々に体

          僕と筋トレ

          僕と筋トレ

          30代に入った辺りに人生初のギックリ腰になった。 子供のオモチャを片付けようと床にあったオモチャを前屈みになって取ろうとしたら腰に痛みが疾った。 その時は違和感があるなあと思いながら、次の日を迎えたら! 全く動けなかった。 体を動かす度に激痛が疾って何も出来なかった。 休日って言う事もあって安静にしていたら なんとか動けるようになった。 そして、30代半ば辺りに2度目のギックリ腰になった。 1回目の比にならないくらいヤバかった。 確か土曜日にだった。 仕事的に1番忙しい曜

          僕と筋トレ

          僕とランニング

          ランニングを始めて12年目になる。 振り返ればあっという間に過ぎ去っていったけど、怪我には本当に悩まされた。 色々キツかったけど、あえて言うなら足底筋膜炎が1番キツかった。 いつものように朝起きてベットから降りようと床に足をついたときに激痛は走った。 なんだ?なんだ?なんで痛いんだ? 訳が分からなかった。 まともに歩けないし階段を降りるのも一段一段ゆっくり足を動かしながら出来るだけ痛く無いように降りていった。 痛いとはいえ、しなきゃいけない事は次々ある。 いつものルーティンを

          僕とランニング

          僕とランニング

          ヒョンな事からランニングをし始めた。 長男が中学生になったら、サッカー部に入ると言い出した。 それはいい事だ。 小学生の時にサッカーをしたいって言ってた時があって、その場合クラブチームに入るようになるから、仕事上厳しいと言ってしまい悪い事をしたなあと、今でもあの対応は間違っていたと思う。 無理してでもクラブチームに入れさせてあげるべきだったと後悔している。 中学生になったらサッカー部に入るんだから、ランニングでもして準備しておいた方がいいんじゃないの。 と、言っていた。 子供

          僕とランニング

          僕と大腸憩室炎

          いい歳になった。 徐々に人の思考は変わっていく、若い頃に比べると随分考え方は良くも悪くも変わった。 若い頃の事をイジられて、何とも言えない感情に晒される。 当時はたしかに非常識な行動もあったし、面白さを勘違いして間違っ行動も多々あった。 もちろん、ちゃんとしているとこもあったが そんな事は忘れられて、悪い印象だけはしっかり覚えられていて、その話はもういいじゃないか、愛の無い弄りだから辞めてくれといつも思う。 だから僕は過去をイジる話は極力しないようにはしている。 今を見て欲し

          僕と大腸憩室炎

          僕と節酒

          ある時期からこのままこのペースで晩酌していたら、流石にヤバいなと思うとこは常にあって、頭では考えるが体が習慣が言う事を聞かない。 週一の休肝日も作れ無かった。 365日毎日欠かさず晩酌。 当時はランニングと筋トレはしていて、筋トレは週2位の自宅で筋トレ、ランニングは朝早起きして走っていて、呑んだ次の日はアルコールは残ってるしコンディションは最悪だったけど、ランニング欲が勝っていたのでなんとか起きて走っていた。 筋トレした後も時間は遅くなっているけど 終わってから晩酌、しかもど

          僕と節酒

          僕とビールと骨折

          数々の失敗はある。 若気の至りと言われる期間中も数々の失敗はした記憶に残っていないのもある! まあ人生を歩んでいる以上失敗のオンパレードだらけだろう。 そんな人生経験経て自分形成していくのが人生。 積極的に色々やって打席に立つ失敗する 再び打席に立つ失敗の繰り返しでたまに会心の当たりが有れば良い。 経験の内容にもよるけど大なり小なり色々なカテゴリーの経験は必須だ。 カテゴリーにもよるけど若気の至り期間を過ぎても失敗はするが大事故は無くなってくる。 いい大人になっての失敗は本当

          僕とビールと骨折