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「介護booksセレクト」⑩「当事者は嘘をつく」小松原織香

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。


 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

「当事者は嘘をつく」 小松原織香

 今回も、介護とは直接、関係のある本ではないと思います。

 しかも、性暴力の被害者で、同時に研究者でもある人なので、男性である私には、何かを評する資格もないかもしれませんし、勝手に重ねてしまうのも失礼なのですが、介護をしていて思ったこと、そして、自分が支援の専門家になろうと思ったことも、改めて思い出しました。

 そういう個人的な思いとは別に、この書籍は、支援に関わる方であれば、読むべき本であるとも思いました。

専門家への怒り

 専門家の論文へ、怒りを感じたエピソードも語られるのですが、それこそが、著者自身が研究者になることにつながっていきます。

 そうやって、精神科医に〈赦し〉を禁句にされると、私は傷つき、過敏になる。私を苦しめているのは、あなたのこの論文だ。「あなたは当事者ではない。勝手なことを言わないでくれ」と言う激しい怒りが湧いた。
 この小西論文は、私に立ち上がるためのパワーと希望をくれた。(中略)そんな研究者になるための自信どころか手立てもなかった。それでも「やってやろうじゃないか」と思った。
 誰も私(たち)の声を聞かず、誰も性暴力被害者の対話と〈赦し〉について語らないと言うのならば、私が研究して書く。

〈赦し〉については、繊細で複雑な話になるし、私も、どこまで理解できているかは自信がないのですが、それは、著者にとっては、その後にもつながる重要なテーマでもあることは、伝わってきます。

「私は修復的司法の研究者になろう」
 一〇年後に私は実際に修復的司法の研究者として、性暴力事例にも適用が可能であると主張する博士論文を書き、書籍として出版するに至った。
 こう数行で書くと、華々しいサクセスストーリーのようだが、当時、図書館の椅子で震えていた私が、実際にそんなことをやり遂げるとは誰も思わなかっただろう。当時の私自身も荒唐無稽なことを言っている自覚はあったし、途中で挫折してどこかで野垂れ死ぬのだと思っていた。でも、この一本の論文で私の人生の方向が決まってしまった。

 私が、似たようなことを感じたのは、介護に関する様々な書籍や論文を読んでいる時にもありました。筆者ほどの激しい怒りではないのですが、それでも、どうしてこういう書き方をするのだろう、といった思いは何度も抱きました。介護者に対して無理解ではないか、と少なくありませんでした。

 私は仕事も辞めざるを得なくなり、ただ介護に専念していた年月があったのですが、専門家の見方への怒りや疑問もあったので、介護者を支援したいということだけではなく、介護について、もう少し正確なことを伝えたいという思いもあり、臨床心理士という支援の専門家になりました。

 資格を取得してから、約8年がたって、その間にも、様々な努力や工夫はしてきたつもりでしたが、まだ、広く伝えることができていません。このnoteも、介護について伝えるための一つの手段でもあるのですが、こうして、論文として、著書として、きちんと形にしている人を知ると、改めて後ろめたいような思いにもなりました。

支援者との闘い

 とても突き詰めて考え、それを形にする凄さは、この書籍の文章のあちこちから感じられます。

 なぜ、私は当事者としての活動だけではなく、研究することを望み、支援者たちと闘っていこうとしているのか。
「私の腹の底には支援者に対する「わかってほしい」という心がある」
 だからこそ、私は「わかってくれない支援者」の言葉に逐一、とり乱し、傷つき、怒り、反論しようとしているのだ。
 しかし、かれらにわかりやすい言葉で経験を共有しようとすれば、当事者の語りの本質は失われると、直感的に理解している。その傷つきやすく、混乱している私に向けられる、支援者の善意のやさしさや愛情こそが、私(たち)の言葉を「回復」の言説に回収し、もともと秘められていた生命力を奪っていく。支援者に「わかってほしい」と思っているかぎり、私の目指す道は拓かれることがない。
 だからこそ、愛情深く優秀で真摯な支援者たちに背を向けなければならないのだ。「良き支援者」の協力の誘いこそが当事者の言葉の力を奪うのであり、形骸化した「当事者の語り」はかれらの知の体系に埋め込まれる。私は「わかってほしい」という心を捨てて、当事者として支援者と闘わねばならない。

 私は、性暴力の被害者という当事者ではありませんし、ここまで突き詰めて考え続けていないので、同じように並べることは失礼で不遜だと思うのですが、自分が、最初に「介護者支援の専門家になろう」と思ったのは、医療や支援に、自分が家族介護者として関わる中で、それこそ、心の底から怒りを感じたことがあったことを、久しぶりに思い出しましたし、薄れたとはいえ、その時の感情と共に思い起こすということは、自分の中で、まだ完全に決着がついていないのだと思わされました。

 母の病気に関して、明らかに判断のミスがあったのに、謝らない医療関係者がいました。そうしたことも含めて、追い込まれて、私が心臓発作を起こし、「もう少し無理すると死にますよ」と循環器の医師に言われていた状況で、これまでのことを述べていたときに、異常に感情的になりすぎる、とだけ批判的に語る医療スタッフも存在しました。

 専門家の誰かが味方になってくれないだろうか、と思っていました。

 介護に専念する時間の中で、介護者を心理的に、支援しようとする人がいることを知りました。それ自体は、とても、嬉しかったのですが、その人が、「介護をしないと分からない」という介護者の言葉を「逆差別」と否定的に言っているのを知りました。では、逆ではない差別は何になるのか。その答えは明らかだと感じました。家族介護者は差別をされているのではないだろうか、と思いました。

 だから、年齢的にも、能力的にも厳しいのは分かっていましたが、自分が支援の専門家になろうと、より強く思いました。

支援の姿勢

 その後、臨床心理士になり、だけど、家族介護者の個別の心理的支援を、とても重要だと考えている専門家は、かなり少ないことが分かってきました。それでも、自分が、少しでもまともな支援者になろうとしてきました。

 精神科医やカウンセラーが当事者の「主体性」に敬意を払うような良質なサービスを提供すれば、多くの当事者にとって役に立つだろう。

 当然のことかもしれませんが、そんな支援者を私も目指してきて、どこまで近づけているのだろうと思いました。今回、この書籍を読んだことで、そうしたことも振り返り、そして、これからもきちんとすべきだと思いました。

 違う分野の、被害者でもない元・当事者が、あまりにも自分のことと重ね合わせるのは失礼だと思いましたが、ここまできちんと批判すべきところは批判し、率直に切実に書いている人がいて、だから、伝えることに関しては、まだ自分は何もしていないような気持ちに改めてなりました。

 それでも、これから先も、家族介護者の支援を、なんとかしていきたい、という思いと、もし、同じように取り組もうとする専門家が、ほとんどいなくても、一人を覚悟しても、やっていくべきだとも思いました。

 おそらく、どんな分野でも、支援に関わる方であれば、似たような思いになれる作品だと思います。




(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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