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『「介護時間」の光景』(141)「評価」。1.23.

 いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年1月23日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年1月23日」のことです。終盤に、今日、「2023年1月23日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2002年の頃


 個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり2000年の夏には母親に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。

 そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、少しずつ病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の1月頃だったかもしれません。

 そのころの記録です。


2002年1月23日

『ヘルパー3級の講座が午後1時30分からあり、終わって、すぐに駅に行き、今日は妻と待ち合わせ、一緒に病院に行く。

 いつもよりも遅く午後6時過ぎに病院に着いて、母は妻と一緒に楽しそうに話をしているようで、良かったと思う。

 アルバムを見て、時間がすぎる。穏やかで、良かった。

 夕食が終わってからもすぐにトイレに行っていた。

 スタッフのかたが、毎日、1日のトイレの回数を聞いてくれる。

 12回、と答えている。実際は、その倍は行っていそうだけど、その数字は自分の中の決まりのようだった。

 テレビを見て、急に「こはだが一番好き」という話をするが、その時は、直接、お寿司の映像ではなかったと思う。

 病室の小さいテーブルのメモに、何かの歌が書いてあった。

「外に出たら、そこって言われて、それであわててメモしたのよ」

 そのことの意味は分からなかったけれど、怖いことではないようなので、ただ聞いていた。

 午後7時25分頃にまたトイレへ行く。

 午後8時前に病院を出る。

 走って、バスに乗った。

 今日も、最初は、「横になってた」と母は言っていた。

 約2ヶ月ぶりに病院に来た妻には、「良くなった、前より」と言われ、少しうれしくなった。

 駅に着いたら、午後8時半頃、飲み物を買って、電車に乗った』。


評価

 電車の中のボックス席。4人がけ。目の前に他人がすごく近くにいて、ひざがすりあわされるくらいに座るようなところ。改めて考えると不自然な距離。目の前には、ややムサイといっていい2人の20代前半くらいの青年が並んで座っている。

 少し前の、いわゆるオタクっぽい感じで、2人でずっとしゃべっていた。おそらく学校か何かのクラスの中の「人物評価」という言葉がぴったりくる話だった。一人はメガネをかけて肥満していた。もう一人は少し髪の毛を伸ばしていて、二枚目の意識でしゃべっているようだった。

                    (2002年1月23日


 この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。

2023年1月23日

 すごく寒い。
 気温が低いと、怖さがある。

 それは、寒さや雪などに慣れていない地域しか、住んだことがないせいもあると思う。

食事

 今日は、本当に久しぶりに親戚の方々と集まって、食事をする。

 そのために妻と一緒に電車に乗って、寒さを怖がりながらも、雨だった予報が曇りになって、助かったと思いながらも、少しでも人が少なさそうな経路で、移動する。

 1時間くらいかかって、目的の駅に着く。

 初めての飲食店に入って、食事をして、時間がたった。
 そのあと、また喫茶店に入って、話が続いた。

 楽しい時間だった。

 4年ぶりに会った人もいたけれど、元気そうで、こうやって会えること自体が、うれしかった。

夕暮れ

 帰りは、なるべく夕方のラッシュを避けられるようなルートにして、そのうちに、どんどん暗くなってきて、家のそばの路線に着く頃には、真っ暗になっていた。

 途中で、夕食になる食べ物を買って、帰る。

 無事に出かけられて、よかった。





(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います)。





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