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『「40歳を超えて、大学院に通う」ということ』⑫「連休と適性」。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「うぬぼれ」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

 よろしくお願いいたします。

 勉強を始めて、2度目の受験で臨床心理学専攻の大学院に合格することができました。今回は、大学院に通い始め、講義が始まって2週間が経ち、なんとなく慣れてきた頃の話を紹介させていただこうと思いました。

 その時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいですが、もしかしたら、わずかでも参考になるかもしれません。

うぬぼれ

 2010年4月26日。月曜日。
 講義が始まって二週間が過ぎ、そろそろ、学生と介護の両方をするような、この生活に慣れてきたような気がしてきました。

 学校へ出かける時に、玄関の外の門が直っているのにやっと気がつきました。もう何日も前に妻が直してくれていたらしい。気がつかなくて申し訳なかったのですが、やっと、それに気がつく余裕が出てきたようでした。

 デイサービスから義母が帰ってきて、学校へ行くにはギリギリの時間だったのですが、どのくらいの時間がかかるか分かってきたので、それもあせりが少なくなってきたようでした。

 午後6時過ぎに講義が始まります。90分を一コマとして、一回に2コマの講義を受けることになります。

 講義が2周目に入りました。最初に受けた講義に再び戻って、そして、それは自分にとっては向いているではないか、と思えた「面接」に関する講義です。

 今日もシミュレーションをやる予定。というよりは、ロールプレイの方が適切な言葉なのだと思います。

 同じ講義で、2週間前も初めてにしてはうまく乗り切れたつもりだったので、今日も大丈夫ではないか、みたいな事を思っていました。グループに分かれ、それでクライエントとカウンセラーと黒子(観察者)という同じパターンでした。

 カウンセラー役をちゃんとやったのは初めてでした。この前、このロールプレイのために、自分自身で用意してあった言葉があって、そこから始めたのですが、もうそれが相手にとっては唐突だったようです。

 あとは、いろいろと相手は言ってくれたのですが、ただ、周辺をうろうろしているような気持ちになって、そこから、さらに気持ちの下へ降りていけませんでした。

 そのロールプレイの時間は長く感じ、やっと終わりました。

 クライエント役をやってくれた人が、率直な感想を言ってくれました。

 気持ちにそってくれなかった。あちこちの事実ばかりを尋ねられた。分かってくれないと思った。というような事を言われ、あと、このロールプレイを見守ってくれた2人からも同じような事を言われ、ちょっとへこんだ。というより、だいぶ、へこみました。

 そして、90分が経ち、後半は、また違う教室へ移動して、またカウンセラー役をやったのですが、どうしても目の前の人の話に芯から集中する事が出来ず、またあちこちに話がいき、途中で、悲しみ、という言葉にひっかかり、そこへの聞き方によって、怒りさえも呼んでしまったようで、さらにダメだと思い、取材の癖が抜けていないんだ、とも思いました。

 大学を卒業したから15年間、会社にいたり、フリーだったりですが、ずっと取材をして書くことを仕事にしてきました。いってみれば、インタビューが仕事の核で、完全に独学ですが、それなりに自信がありました。それから、10年間、仕事を離れ、介護だけをしていた年月が続いたのですが、それでも、こういう時に出るのは、15年間、マスメディアにいた時の方法でした。

 だけど、今回のことで、インタビューと、心理士の行う面接は、全く違うものだと思いました。混乱もしています。インタビューは、長年やってきた事で、それについては努力も工夫もしてきたのですが、それが、こんなに身についてるだけに、ここから、心理士としての面接ができるように、四十歳を過ぎて、ホントに直るというか、身につけられるんだかろうか、という焦りも出てきてしまい、そんな不安まで、つい講師に向けて、話したりもしました。

 さらには、USBメモリーというものをみんなが一斉に取り出して、この10年、社会と断絶したような状況の中で、コンピュータの記憶媒体は、フロッピーディスクしか使っていなかったので、全く、そのUS Bの存在を知らず、自分が違う世界に迷い込んだ気持ちにもなりました。

 それは、ある意味では貴重な経験でしたが、それで記録した録音を持ち帰ることが出来なかった上に、親切にもメールで送ってもらったのに、それが見られないという状況で、またちょっとさらにへこみました。

 家に帰って、妻と話したら、今までインタビューでは天狗になっていたんだね。悪いけど、ちょっと小気味いい、と笑われ、ホントだと思いました。我流の限界というものもあるのかもしれません。

 そういう意味では、やっぱり学校へ通って、そして、変えることができるのであれば、今日、へこんだことも意味があるのかもしれない、と思いました。ホントに、今まで勝手にいい気になっていたみたいです。

 これから、また学んで、それをいかせれば、もしかしたら、もっとインタビューの質も上げることが出来るかもしれない、というような事は思いました。そういう意味では、そういう機会に会えて、確かに幸運かもしれない、ということまで少し思えるようになっていました。

休み

 4月27日。火曜日。
 
 最初に、1週間講義を受けた時に、このペースで行くと倒れるんじゃないか、などと思い、一つの講義は履修するのはやめたので、今日は、一日家にいました。もちろん、義母の介護は変わりなく続いています。昼頃、昨日もらったメールへの返事を書いておくって、それは内容的には相手にお願い事をする内容で、自分でも嫌になりました。

 メールでのデータのやり取りができないので、課題をやるためには、直接やりとりをすることを、お願いをするしかなく、それは、コンピュータの操作が出来ない自分自身がめんどくさいと思いましたし、さらに、昨日、ぜんぜんうまくいかなかった演習の事を思い出すと、まだけっこうつらい気持ちが蘇りました。

 そして、だから明日USBを持ってきてくれませんか?私も買って準備をするので、というメールを書く事自体が、相手も迷惑で嫌だろうなと思いつつ、送りました。

 午後になって雨も降っているけれど、とりあえずUSB(やっと、この名称を覚えました)を買いにいこうと、いつもお世話になっている近所の電気屋さんへ行って、USBありますか?と聞いたら、ここです、とあっさりと返事が返ってきました。4ギガで1700円台。昨日聞いたのでも2ギガで2000円くらい、と言っていたから、さらに値段が安くなっていて、そして、最低で4ギガで、隣には8ギガが並んでいます。製品の進化は、どんどん早くなっている感じがします。

 さらには、「これウインドウズのコンピューターでのデータをもらってきて、マックにさしたら使えますか?」みたいな事を聞いたら、そこの若奥さんは分かりませんと言われたので、帰ろうとしたら店員さんが帰ってきて、いろいろ聞いたらソフトの関係で、結局はダメかもしれないと言うことが分かり、いろいろと少し買い物をして帰ってきました。

 結局はダメかもしれないから、次は録音の機械と、それからコンピューターも結局は買わないとダメなのかもしれないと思いつつ、もし、このUSBが使えたら、次のコンピューターは一番安いのでいいのかもしれないと、どうしてそんなことを思ったか、自分でもわからなかったのですが、それだけはお得な感じがしたものの、気持ちは重くなっていました。

 たぶん、全部が自分にとっては新しいことで、混乱していたのだと思います。

 講義での課題の本を読みました。

 自閉症児とその親の話で、その母親が一生懸命やっていた事が全部、専門家に、裏目みたいな事を言われて、頭がまっしろになって、という記述があって、その手記みたいなものを読むとホントに大変で、という気持ちが伝わってきました。

 でも、それが第4回目の面接の時で、その翌週の第5回の時には、両親ともに見事にその態度が変わっていて、というのを読んで、この1週間に何があったのだろう?と思わせる劇的な変化で、ホントにすごいし、大変だったし、こういう事が可能なんだ、とも驚きました。

 自分の事で申し訳ないのだけど、カウンセリングの方法で悩んでいるくらいなら、それを変えることくらいは出来るはず、という思いにもなりました。こういう事で元気づけられる、みたいな事を思うのは、ここに出てくる親子に失礼だとは思いつつも、自分の事にも引きつけて考えてしまいました。

 それから、自分を、どう変えるか?を改めて考えました。

 生意気にも、カウンセリングの基本でもある、感情の反射の反復には抵抗がありました。(相手の言葉をそのまま言うので、繰り返し技法などと言われることもあります)。
 それは、自分がやられて何だか嫌だったせいでした。でも、それだけが方法ではないはずで、まずは意識を変える、という事かもしれません。

 自分は、取材の仕事をしていたときは、探す聞き方をしていました。

 しゃべってくれない相手、もしくはしゃべり慣れている相手に、まだ聞かれていない本当の部分(と自分が思いたい)を探す聞き方に慣れてしまっていたのでしょう。

 どうやら、これから学び、身につけようとしているカウンセリングは、静かに積極的に待つ、という姿勢なのかもしれません。相手に注意を注ぎ、でもそれが刺すような、という刺激ではなく、座って待っているような。そんな、まずは、モードを変える、というやり方で調整する、という方向性で考えていくといいのかもしれません。ただ、難しそうでした。

 自分がホントに思ったこと以外は言ってはいけない、という原則は変わらないにしても、基本的には、相手が話してくれる、それを信じて待つ、という姿勢を保ち続ける、という事で、それは今までにはやった事ないので、使ったことのない筋肉を使うに等しいかもしれませんし、もしかしたら、体質を変えていくような作業になる可能性もあります。

 でも、これで、もう少し聞き手としての可能性も広がったら、とは思っていました。ただ、今は、ロールプレイとはいえ、自分のやり取りした言葉を起こして、そして、それをぼろくそに言われたりするのは、けっこうつらいことでした。だけど、そうした憂うつな時間の先から、やっと本当に学ぶ、ということになりそうです。

 そこまでたどり着けるかどうかを想像するだけで、とても不安になりました。

 今日も、変わらず、介護は続いています。

恐縮

 4月28日。水曜日。
 同期の人から、メールが来ました。おそらくは面倒臭いはずなのに、データをうつしかえたりするのを承諾してもらう内容でした。ありがたかったし、ホッとしました。

 今日は、義母に臨時でデイサービスへ行ってもらい、そして帰りは迎えにいったら、「学校へ行くのに、すみませんね」と大きい声で車いすの移動中に言われ、覚えていてくれるのは有り難かったのですが、そのときに言わなくても、となんだかちょっと嫌になったりしました。

 こうした細かいことに気持ちが動くのが、介護の生活、ということかもしれません

 それから着替えて、いつもくらい、でも、実は夜の講義が始まるぎりぎりの時間帯なのに、少し慣れてきた、というのもあって、気持ちはちょっと余裕があるのは、データの件でオーケーが出たせいだと思います。行きは、約1時間30分近くかかりますが、電車で少し本を読み、そして、少し寝ました。

 学校に着いてから閲覧室というところにいて、なんとなく人がたまっていて、話もできて、そういう場所があるのが、少し楽しくも、嬉しくもなってきていました。

 同期は、20人弱。
 学部から進学してきた若い人と、社会人枠で入学してきた人が、ほぼ半分ずつ。

 だから、年齢もバラバラでした。

 だんだんと話す時間も長くなり、いろいろなことも、少しずつお互いに知るようになっていきます。

 もし、データについて約束した人が来てくれたら、今日はカウンセリングを行う場所での実習。最初は、受付業務のガイダンスの始まる前に録音したい、みたいな事を思っていたのですが、他の同期の方々と、なんとなく世間話をしているうちに時間が来てしまいます。

 そして、教室のうしろに座っていて、社会人枠の同期の人と少し話をしました。その人には、他の若い同期と話をして、お願い事を伝えてくれませんかと言われていたので、すごくぎこちなく、そのお願い事を伝えました。

 それからガイダンスがあり、このカウンセリングの研究所の歴史、というような話から始まりました。昭和の30年代に出来たのだから、かなりの古さがあって、そして、その頃からカウンセリングという概念で研究所を作ったのは不思議でしたが、この存在があったから、そういう場所でしか伝承されない「なにか」があるのでは、と思ったことも、この大学院を受けようとも考え理由であるのも、改めて思い出しました。

 そして、話はやや予想通りに、実習とはいえ、この研究所の顔になるのだから、そして、大学も社会だから、いろいろと気をつけてください、みたいな話になりました。服装のことでネクタイのことを聞いたら、そこまでは大丈夫と言われ、少しホッしました。ネクタイを締めるのは、これまでの習慣にもないせいでした。

 実習のためのガイダンスも終わり、録音の約束をしていた同期を探して、学内のあちこちを回っていたら、その人と会うこともできて、そして、都合を聞いたら、「今でも、いいですよ」と普通に言ってくれて、コンピュータ経由でいろいろと操作をしてくれました。

 そして、私が持っていったカセットテープレコーダーに対して、その同期の女性が持っていたiPodのイヤホン。そこから流れる音を録音する、という、昔のテレビの音を、しーっと言って、録音するようなシステムで、そのあとのコメントも録音しました。その作業の途中で、そのカセットレコーダーを、若い同期は見た事がない、的な話にもなり、時間の流れを感じたりもしました。

 だけど、とりあえずは、講義の内容の録音も出来て、夜の8時を過ぎ、いつもよりも早く家に帰れました。帰ってから、他の人から頼まれていたとはいえ、社会人枠の同期の人に、ちょっと、ずうずうしいお願いをしてしまったと、また嫌になり、その上で、やっぱり、自力でロールシャッハをやらなければ、とちょっと憂うつにもなり、だけど、いろいろな事が少しずつ進んでいるのも事実でした。

 明日が休みなのはありがたい。

 その一方で、介護保険の申請を、またやらなければならないので、ちょっと憂うつですが、でも、あんまりそう言うと妻に負担をかけるので、さりげなく過ぎればいいな、とも思いましたが、あれこれの調整が必要で、やっぱり気持ちは重くなります。

 明日は、テープ起こしとか、プリント作りとか、ロールシャッハとか、メールを送ったりとか、をしよう、と思いました。少し慣れてきて、やや時間の使い方がうまくなってきたのかもしれません。

反響

 4月29日。木曜日。祝日。今日は家にいます。

 昨日、お願いごとをした社会人枠の同期の方にメールを送りました。
 すぐに返事が来て、それは同時に大学院の1年生のメーリングリストにも送ってもらっていたから、全員に届いたはずでした。内容は、120パーセント納得がいくものでした。お願い事は、丁寧に断ってもらっていて、それは、そうだと思い、その内容も、とても筋が通っていました。

 ただ、そのメールは、そのお願い事について、私に依頼していた人たちを除いて、事情を全く知らない人には唐突でしょうし、誤解も招くと思ったので、また新しくメールを書いてメーリングリストに送ったのが午後の事でした。

 1ヶ月くらい経つと、いろいろと気を遣うことも、当然ながら増えてきますが、こうしたやりとりをきちんとするのも、大事なことだと思いましたし、社会から断絶していたような10年間を過ごした後には、とても新鮮なことでした。

 夕方になって、義母がデイサービスから帰ってきて、あたふたして、一段落して、メールをチェックしたら、クラスの何人かからメールが来ていました。それはどれも若い20代の同期からのもので、いろいろと違いはあるものの、どれも言葉が大げさかもしれませんが、純粋で、やっぱり美しいといっていいものでした。単純に、私の話の進め方が下手なだけだったのに、励ましてくれているようで、なんだかちょっとうれしくなってしまいました。

 そのあと、ご近所に頼まれごとをして、お邪魔したら来客がいて、その人を含めて「お若いのに」を連発されました。ご近所は高齢者が多い場所でした。この生活圏の中にいたから自分が若いと思い込んでいたんだ、とも思い、そして学生としての今の生活では、自分の年齢の高さを意識してしまう事とのギャップがありました。

 大学院にいるときと、自宅にいるときは、まるで年齢による「時差」があるようでしたが、どちらも自分にとっては本当で、その事が改めて不思議な気持ちにもなりましたが、年齢って相対的なものなんだ、と理屈っぽいけど、そんな事も改めて思いました。

 夜中は、ずっと介護があります。

 まだ課題はかなり残っていて、そして発表もなぜか5月の第2週にいくつも集中していて、それは母の命日がある週でもあって、いろいろな意味も、考えすぎればありそうですが、何しろ、それは苦痛ではなく、明らかにチャンスなのだから、なんとか全力でがんばりたいとは思っています。

 ふっと振り返ると、私には子どもはいませんが、こうやって自分の子供くらいの年齢の人たちと同じ勉強をし、それだけでなく、同じ仕事を目指している、というのはとてつもなく貴重な時間なのではないか、と思い、ありがたいと感じました。

 資格をとろうと思ってから、2年半くらい。そして、次の命日で母が亡くなってから丸3年がやっと経ちます。けっこう忘れてしまう事が多くなったと思いますが、この勉強をしているのは、母の介護と義母の介護をしなければ、絶対にしていなかったのは間違いないので、やっぱり不思議だと思います。

連休

 4月30日。金曜日。

 学校へ行きました。

 少し早めに行って、学食を食べました。Tランチ。420円。カレーが主食で、魚のフライとミートボールとサラダにみそ汁つき。仏教系なのに420円という数字は気になるけれど、でもありがたい値段でした。20数年ぶりに学食に通う習慣がつきました。

 周りは、大学生。若い。でも、こういう環境に約1ヶ月で慣れてきた、ような気もします。最初は落ち着かなかったのですが、こちらの方が圧倒的に少数派であって、やっぱり基本的には学校という場所は、改めて若い人のものだと思うようにもなりました。

 課題とか発表とかがあって、どこか追い込まれるような気持ちもあり、単純に学べてうれしい、というか、この環境にいられてラッキーとかは思わなくなりましたが、この2年間で資格試験の受験が出来るくらいまでレベルを上げなくてはいけないから、ある意味当然で、実習が思ったよりも多くなってきたり、土曜日に早い日があるのが、学校だから、そのくらいは当然かも、と思いつつ、だけど、ちょっとつらかったりもします。

 昨日は、メールのやりとりで、微妙な誤解を生むようなことがあったので、今日も行って、その続きのフォローもしないといけなくなると、ちょっと厳しいかも、などと思っていたのですが、でも、この1ヶ月で、顔見知りになった同期に会って、ちょっと話して、正確に伝わっているようで、少しホッとしました。

 私に、やたらとあやまってくれる人もいたりして、若くていいなー、みたいな事も思い、そして、自分はそれだけトシをとったのだと改めて思ったのですが、一緒に学んでいられるのはやっぱりラッキーだとも思いました。その中で、ある同期に、わたしは気をつかいすぎるからいけない。そうすると、他の人も気をつかってしまうから、と言われ、ホントにその通りだと思いました。

 仕事を辞めて、介護だけをしている10年間で、自信のようなものが根こそぎなくなっていることも関係あるのかもしれません。

 そして講義。グループが決まっていて、そして、その集まりで、今回から文章を読んで、その解説をして、最初の1時間半が過ぎ、意外と短く感じ、休憩を挟んで、それから後半は映像を見て、それに対して観察をして、いろいろと気づいたところを発表していく、みたいな形式でした。

 最初はただ幼い女の子4人がバラバラにスピーディーに遊んでいる姿で、なんだか退屈だと思っていたけれど、でも、いろいろと話し合って、そしてまた見てみると、見逃しているところもとても多く、そのことに気がつくと、なんだかとても面白かったので、とても意外だったけれど、でも質的研究の時間は思ったよりも面白そうで、ありがたい気持ちにもなりました。

 それから、家に帰ったら、午後11時近くになっていました。

 また、メールが来ていました。携帯もスマホも持っていなくて、コンピュータは家に置いてあるので、メールは、家でしか確認することができません。さっきまで一緒だった、今回のお願い事について、最初に話し合って、私に依頼してくれた人だったからなのか、すごく悪そうな顔をしてくれていた同期の青年でした。

 そうやって気を遣ってくれることが、なんだかありがたい気持ちになりました。返信を送信しました。明日は飲み会で、その前に勉強会もあるらしいが、その勉強会の方はなんだか気持ちが微妙におっくうになっていました。

 かといって、独力でロールシャッハを学ぶのは大変そうで、でも、自分でやった方がいい、とも言われたので、今回はそうした方がいいかも、などとごちゃごちゃ思っていて、さらには、家で明日は飲み会まで少しゆっくりしたい、みたいな気持ちもあるし、さらには義母をセンターから迎えてから出かけたい、というようにも考えていました。

 連休で、1週間、学校は休みになります。新学期が始まって、すぐにゴールデンウイークで休みって、と思っていましたが、今はこの休みがありがたい思いです。課題と発表の準備と実家へ行くのと、若い友人に会う、という予定があって、けっこうきっちりした毎日になりそうです。

 今日で4月が終わり。これだけ長い4月も、本当に久しぶりだと思いました。それこそ、小学校とか、中学校以来のはずです。

飲み会

 5月1日。土曜日。

 初めての大学院1年生全体での飲み会、といっても、かなりのバラエティーに富んだメンバーなので、年齢もかなり幅広いことになりました。その幅を広げているのは、私のような存在です。

 新宿の東口広場に集合。ということで集合時間の午後5時45分を目指して行ったら、ものすごい人手でした。集まったのが約10人。そこから人ごみの中を歩いて、飲み屋へと向かいます。まだ、それでも微妙な距離感があったりもした上に、勉強会の微妙な波風もあって、と思っていましたが、かなり大部分の人数が集まり、この10年、ほぼ社会から断絶していたせいか、自分自身は、あまり知らないチェーン店で飲むことになりました。

 といっても私はアルコールが飲めなくなっていたので、ウーロン茶でした。そこで飲み会が始まると、それまでまじめだと思っていた人が、体育会出身だという事で、すごくテンションが高く飲み始め、そのおかげでずっと、飲み会のような空気になって、それは新鮮というか、本当に何十年ぶりの感じでなつかしく、学生、という感じがしてありがたく思いました。

 そこから2次会へ向かいました。カラオケボックスのような場所も、もしかしたら、初めてに近いかもしれません。

 社会の外に落ちていたような、この10年間を考えたら、こういう場に、自分も同じ「1年生」としていられるなんて、ほとんど夢みたいな事でもありました。そして、それぞれが、違う道を歩いてきたし、これからも違う道を歩くんだ、というような事はふっと思いました。中には、私より歳上らしき人もいて、自分は2番目くらいの年齢なんだ、とも思いました。

 だから、考えたら、アルコールも飲めないのに、飲み会とかに行っていいんだろうか、みたいな事も思ったのですが、これから先、年齢のことは考えなくていいように、ちゃんとしたプロになりたい、とも思いました。

勉強

 5月3日。月曜日。

 連休は続いて、家にいます。

 今日も義母は、「学校はあるの?」と聞いてきます。もう今日だけで、何回も答えたのに、同じ事を聞いてきます。

「遠い女の子は来てるの?」「だから、今日は休みだから、来ません」。という会話をボードで何回もしました。義母が耳が聞こえなくなってから、かなりの年月が経ちます。

 かなり遠い場所から学校に通ってきている同期の若い女性がいることを伝えたら、そのことをとてもよく覚えていてくれて、気にしてくれているようでした。

 だけど、また何回か聞かれて、ちょっとイライラしました。

 さらには、トイレに連れて行くたびに、「お節句は学校があるの?」と聞かれ、それに対して、「祝日だから休みです」とまた何回かボードに書くことになりました。ちょっと怒りを感じます。

 今日は、午後からロールシャッハテストの記録というか、その判断をすることを始めました。その被験者の回答に関して、それを、どう判断し、判定していけばいいのか、いちいちテキストを見ないと分かりません。1時間かけて、プリントの最初の1枚、カード3まで記号だけをつけました。単純計算でも、ただ記号をつけるだけでも、あと2時間。さらに表にまとめて計算するのに、プラス2時間だから、最低でも4時間くらいはかかりそうだ。と思ったのですが、ここまでの作業が意外と苦痛が少なかったのは、判断というものの幅が思ったよりもあったからだし(というのも誤解かもしれないが)何より間違ってもいいや、と思っていたせいだと思いました。

 だから、今日はやれないとしても、と思っても、この時点ではまだあと1時間くらいはやれると思っていたのですが、でも、あと5月5日と7日は勉強が出来る時間がけっこうあるはずだから、と計算して、その2日間で何とか形に出来るはず、と少し気が楽になり、他のレポートも始めました。

 発達心理学のレポートで、自分の思ったこともたくさん盛り込もうとして、書いていると、原稿と同じ気持ちになり、読んでもらえると思うとちょっと楽しくなりました。自分では、よく出来た、と思っても、それはレポートではなく、「原稿」としてだけかもしれませんし、調子に乗ったときほどひどい目に会うという事は多いのですが、でも、せっかくだから伝えたい事を書こうと思っていました。

 だけど、前回の講義の上級生のレポートを見ると、テキストを正確に抜粋しないと、何かしらの罰則があるのかも、とも、学問なので思ったりもしましたが、だけど、自分は20代とは違って、即戦力にならないと話にならないから、リスクを背負う必要もあるのでは、とも思いました。

 さらに思い返せば、新歓の時に、発達心理学の講義を担当する教授は、私のことを少しでも覚えていてくれて、やたらと緊張していたのを分かったせいか、すごく積極的に話しかけてくれた、という恩もありますから、何とか自分の力を出し切ろうとは思っていました。

 ただ、形に沿うのは苦手だし、それを今さら修正は出来ないから、利点として生かしきる、という方向へ考えたいと思いました。そうやって、勉強していたら、3時間半も勉強していました。自分としては自己新記録といえるくらい長い時間でした。課題やレポートに苦しむ、という学生らしい時間を過ごしています。

 もちろん、それは夜中まで、午前4時頃まで続く介護の合間を縫って、ということになるのですが、介護と勉強は、意外と相性がいいのかも、と思うようにはなりました。

学食

 5月8日。土曜日。

 久しぶりの講義。

 土曜日は朝が早い、といっても普通から考えたら午前11時少し前に始まるのだから、早くはないので楽なのかもしれませんが、義母の介護のために、午前5時頃まで起きていた自分にとってはつらい日でした。

 金曜日くらいは、義母のトイレの最終をもう少し早くして午前4時くらいには眠れるようにしたいですし、いつのまにこんなに遅くなってしまったんだろう、とも思っているのですが、ただ、毎日のようにだんだん遅くなっているのは、義母のリズムに合わせていくしかないからでした。

 だから朝早いのが何よりつらいのですが、それがいつまで続くか分からない。かといって、学校へ行ってしまえば、2時間くらいかけて普通に通ってきている人もいるわけだし、と思うところもあります。

 学校へ着いたら同期がいて、まだ実習室があいてなくて、などと言われ、微妙に不安になりますが、いっしょにその教室へ行ったら、もうあいていて、すこしずつ人が集まり始め、先週、飲み会で活躍した人も元気で、あの時に感じた緊張感みたいなものはアルコールのせいもあるのか、と少しホッとしました。

 でも、そうやって、何人かの同期の中にいると、1ヶ月がたって少し距離が縮まってきた気がして、なんだかうれしい気持ちにもなりました。

 出欠をとるとき機械にかざしているのに、うまく作動しない学生証の磁気確認もして、さらにはロールシャッハテストの課題も一通り終わっていたので、気持ちが楽になっていました。

 同期が、さらに次々と来て、あいさつもして、自分の気のせいかもしれないけれど、なんとなく空気が前よりも柔なくなってきたような気もしていたら、少し遅れて教授が登場し、最初の言葉で笑いも起こって、またなごやかになり、講義が始まり、あれだけ嫌だったロールシャッハの分析がゆったりと始まりました。

 時間もかけたし、それなりに大丈夫ではないか、と勝手に思っていた分析は最初から大きくはずれ、ああ難しいんだ、と思い、だけど、その事例の人のことが少し具体的に教授から語られると、勝手に、その姿というかイメージが少し広がって、そして、その反応も独特だと思っていたのが、ちょっと特徴的なだけなのかもしれない、といったように思い始めました。

 ただ、やっぱり具体的な人の発言だと思うと、その重みみたいなものも確かにあって、だから分析だの研究だの、という事に乗せてもいいのだろうか、みたいな事も思い始め、だけど、分析の解説が始まると、あれだけ訳の分からないと思っていたただの記号の並びに意味が確かにあるというか、人の気持ちという不確かなものに形を与えようと四苦八苦してきた先人の考えみたいなものが少し分かるような気もしてきました。

 こうした心理検査は、具体的な事例の蓄積があるだけに、そこにただのってしまうと、へたをすると分類の気持ちよさ、みたいなものにはまって、人の気持ちを優先させなくなる危険性みたいなものも、生意気だけど少し感じていました。

 そうして、講義は2コマ、3時間かけて、分析の半分まで進み、そこで時間になりました。途中の昼休みでは学食で何人かと食べ、そして調子にのって、もしも事例発表をすることがあったら、という仮定で司会を頼んだり、わりと近くに住む同期に、妻と一緒に会う約束をゆるやかにしたり、それから、来週の資料をコピーしたりしました。

 講義のあと、図書館へ行き、その途中で同期に研究の内容の話を聞いたり、本を借りたり予約したりで夕方の4時を過ぎ、家に帰ったら午後6時近くでした。明日が休みかと思うと、やっぱり気が楽で、そして、なんだかうかれているな、と思いつつ、学生生活を送れているのはとても嬉しい事だと、改めて思いました。

日曜日

 5月9日。

 就職してから日曜日に休んだ記憶がほとんどなく、そのうちにフリーになり、それから介護に専念する、という状況で25年がたってしまったので、日曜日の感覚がほとんどなかったのに、今回、学生になって、月曜日から土曜日まで講義があり、この前、連休で休んだばかりなのに、今日は日曜日で休みがありがたい気持ちになっています。

 おそらく日曜日の感覚は、大学を卒業してから、初めてに近いのかもしれないのですが、やっぱりホッとします。

 妻と二人で、二人の高齢者をみていて、そして、途中で心中みたいなものも考えたこともあり、毎日、土の中で暮らしているみたいで、その時には、学生になる、という可能性すらまったくなかったですし、以前はライターをしていたので、いつか原稿を書いて賞をとって、しか思っていなかったのですが、それも希望というには、あまりにも薄すぎたと思います。

 あの時のホントに思い詰めたような暗いというより重い気持ちには、もう2度となれないので、その時の自分から見たら、介護をしているとは言っても、妻と一緒に義母一人をみて、しかも学校へも通っているので、今は甘い状況にいるのだと思います。

 といっても、課題というか発表がいくつか今週に重なっているから、母の命日にはお墓に行くのを遠慮させてもらおうかな、といったことも考えていたりもするのですが、ここのところは、ずっと勉強をしていた、と思いました。

 大学受験の時と比べても、(あの時は、たいして勉強していませんでしたが)考えたら圧倒的に勉強の時間は多いと思います。それでも、今は、まだ、やったことが身に付いたというような感じもなく、ここのところは毎日、カウンセリングというのはどうすれがいいのだろうか?というより、自分がやってきた事は、調査インタビューというものに近く、臨床面接、というものとは明らかに違うから、その意識の持ち方、共感という難しいものが出来ない、と思ってしまうところから、どうやってスタートすればいいのか。

 そういうところで思考はぐるぐる回っていますが、でも、それは出来ない人間の言い訳かもしれない、というような気持ちもどこかにあったままで、資格を取ったら、すぐに戦力になれるようでないと、ホントに役立たずになるしかなくなり、それは、私のような年齢の人間にとっては、回復不能なほどの出来事になってしまうのだから、と焦りも募っています。

 明日からまた講義で、今週は発表などが3つあり、実習も始まるからかなりハードだと思ったりもするけれど、その今の自分に対して「かなり甘い」と、昔の自分が言うような気もします。日曜日は、義母も買いものに連れて行ったり、とかしているうちに、かなりの時間が過ぎて、昼寝もしたけど、ほとんど眠れずに過ぎたし、という意味ではもう月曜日から微妙に不安が増えました。なんだか、ぜいたくな不安だと自分で思いました。

適性

 5月10日。月曜日。

 昨日の夜に、なんだか不安になって、カウンセリングのテキストになっている本を読んで、それで、質問をしてはいけない、みたいな言葉に不安になったり、だけど、まずはその相手の気持ちになればいい、といった事を書いてあったりして、それを確認して、少し不安がとれた気がして、夜中も介護をして、少し眠れました。

 そして、今日も講義に出かけました。ロールプレイと言われるカウンセリングというか、面接のトレーニングの言葉を全部起こして、といっても5分くらいですが、それでもなんだかつらいのは、このトレーニングをやるとうまくいかないからでした。

 それは、今まで25年間、インタビューに関しては、ずっと練習してきたはずなのに、というような気持ちもあって、なんだかショックな上に、適性すらも自分で疑いたくなるような感じになっていたのに、その言葉を起こすと、再び、ダメな感じがまた蘇ってきて、どうすればいいんだろう?という気にもなります。

 そして、その事で何か言う事で、それがまた主観が強すぎる、というような指摘を受け、知らないうちに、そうなったのか、それも自分の仕事をやっていた時の癖だとすれば、ホントに抜けるんだろうか、というような気にもなって、なんだか嫌になりそうでした。

 でも、それから後半は、3人で1組になって、自分のことをカウンセラーに語る、というやり方になり、そして、3人で何をしゃべるか?というような事になっていたので、今の悩んでいる事をそのまま話しました。

 それは、適性の問題で、これまで身につけてきた癖があるだけによけいに向かないんではないか、的な話をして、そのカウンセラー役をやってくれた人が、自然に聴いていて、というより、目の前にいてちゃんと聞いてくれている、というだけで、技法と言いつつも、技法というよりも、そこにちゃんといてくれるだけでとりあえずありがたいんだ、みたいな事を、思っていました。

 考えたら、実際にカウンセリングに来る人だって、まずは、その人の気持ちを分かろうとするのを目指すべきで、だから、質問は禁止とか、言葉の伝え返しとか、いろいろな技法的なものは確かにあるのだろうし、それはこれまでの蓄積があるのだろうけど、だけど、ただひらすら、これをやっちゃいけない、あれをやっちゃいけない、ばかりを考えている間に、自分がカウンセラー役をしているときは、時間が過ぎていったのを思い出しました。

 だけど、そういう感じが、自分が話している間はしないというか、しゃべっていて楽だったので、そうか、まずは目の前に人がいれば何とかなるかも、というような気持ちになれて少し楽にはなりました。それは、聞き手になってくれた人が優秀ということだったのだと思います。

 でも、それは、実際に、再び自分の目の前に話してくれる人が来ると、なんだか話す事が不自由になるというか、聞き方がこれでいいんだろうか?みたいなよけいなことが浮かんできたとはいえ、そして、途中でかなりつまっていたとはいえ、そうはいっても、いろいろな問題点はあったとは思うですが、10分間、一応、話してくれました。

 これまでは、ロールプレイなのに、相手が怒ったり、というような事になってしまっていて、相手にも嫌な思いをさせていたので、なんとか終わっただけでも、少しよかったと思えました。

 ただ、ホントに役に立ったのか、と言われたとしたら、そんな事はないでしょうし、実際に、これで仕事としてやったとしたら、とんでもないのですが、ただ、今日も、きちんと相手をしてくれた同期の方のおかげで、なんだか少し楽になりました。

 適性などを考えている間に、まずは学んでいって、できるだけ身につければいいのだと思いました。そんなに最初から出来るわけもない、という原則を忘れているだけかもしれません。

 もしかしたら、これが、大学院の入試の面接の時に言われた、大学で臨床心理学部で学んでいない大変さ、ということなのかもしれないと思いました。



(この書籍↓は、講義で直接、使ったわけではないのですが、大学院で学ぶのであれば、例えば、こうしたことは最低限、知っておくべきだと、後年になって思いました。その時に分かっていなくて、お恥ずかしい次第です)。



(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえると、うれしいです)。



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