見出し画像

「介護booksセレクト」⑤『感じるオープンダイアローグ』  「21世紀に、知っておいた方がいいこと」

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books」

 以前は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、書籍を毎回、複数冊、紹介させていただいていました。

 自分の能力や情報力の不足を感じ、これ以上は紹介できないのではないか、と思い、いったんは「介護books」を終了します、とお伝えしたのですが、それでも、紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活することにしました。

 いったん終了します、とお伝えしておきながら、後になっていろいろと変更することになり申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

  今回も、1冊を紹介したいと思います。

「感じるオープンダイアローグ」  森川すいめい

「オープンダイアローグ」という言葉と、その思想や方法は、ここ何年かで急速に耳にするようになっています。

 ですから、支援職でなくても、心理的なことに関心がある方でしたら、私がわざわざここでお伝えしなくても、とっくにご存知だと思いますし、場合によって、そのトレーニングを始められている方も、いらっしゃるかもしれません。

 私自身は、「オープンダイアローグ」を知った、最初の印象は、驚異的な方法、というものでした。

 フィンランドケロプダス病院で始められた「方法」で、統合失調症に対しても、薬を処方することなく、治療にあたり、その上で効果が上がっているという、少しでも精神医学についての知識がある人であれば、にわかには信じがたいような話でした。

 その後、日本でも、現地に出向き、もしくは研究やトレーニングに取り組んだり、さらには書籍や語りを通して、「オープンダイアローグ」のことを、もう少し詳しく具体的に伝えてくれる方が増えたので、私も少しですが理解を深めることができました。

 そして、「オープンダイアローグ」は、これが実現したら、素晴らしい方法で、いろいろなことに応用ができそうですし、これまでよりも効果が上がるのではないか、という気持ちになっていました。

 同時に、そのシステムを構築することが、日本ではとても難しそうですし、もし、トレーニングを受けたとしても、システムがない場合に、具体的に、どうしたらいいのか?という気持ちにもなっていました。

 個人的にも、相談の場面で生かせそうな気持ちになったこともありましたが、中途半端な知識では、返って危険ではないか、といった思いにもなりました。

 ただ、この本を読んで、初めて、「オープンダイアローグ」が、自分にも関係があることとして、感じることができました。

自分を知ること

 例えば、どんな方法であっても、面接やカウンセリングということを行うのであれば、カウンセラーやセラピストが、自分のことを知ることは、最低限必要なこと、と言われています。

 それについては、常に、そこに注意を向けることが大事になってきますから、日常から、自分がどんなことに、どんなふうに気持ちが動くのか。そして、その原因は何なのか?そうしたことに対して、少なくとも敏感でなくてはいけない、と教わってきましたし、今でもどこまで出来ているのか、という自らへの疑念はありますが、日常的に、自分自身の気持ちの動きも気にかけるようにしています。

 この本の著者・森川すいめい氏は、すでにベテランと言っていい精神科医でありながら、「オープンダイアローグ」のトレニーングを通して、誠実に切実に、改めて自分と向き合おうとします。

 例えば、過去の病院勤務の経験として、ここで記されていることは、現在は改善されているはずですが、それでも、こうした出来事を書くには、かなりの辛さもあるはずで、こうしたことも含めて「自分と向き合っている」印象がありましたし、これを書ける勇気や覚悟に対して、素直に敬意を感じることができました。

 そのため、その後の「オープンダイアローグ」についての話も、より説得力や伝達力が増しているように思いました。

 苦悩する人の話を、じっくり聞く時間などなく、具合が悪くなったら強制的に入院させる、その繰り返しの日々。私がその波に飲まれていたとき、担当していた、とてもやさしかった3人の患者さんたちが連続して亡くなった。私はその記憶を永遠に消せない。

 私がいた当時の精神科病棟の中では、患者さんを指示に従わせるために大勢で取り組むようなことが、当たり前のように行われていた。患者さんの側からすると本当に恐ろしいことで、こころに外傷を負い、その傷に苦しむ人たちも少なくなかった。
 医療側からの明らかな暴力を何度か目の当たりにした。その場所から逃げようとした人を後ろから捕まえて、馬乗りになった職員を見たときは、怒りで我を忘れそうになった。だが、その人はその人なりの正義で、それをしていたことに言葉を失った。

ケロプダス病院という環境

 さらには、これも改めて知ると、「オープンダイアローグ」のシステムそのものを、例えば日本という土地や文化に合わせて作り上げるのは、とても困難ではないだろうか、といったことを思えますが、そのケロプダス病院の日常的な特徴が「オープンダイアローグ」に不可欠ではないか、とも感じました。

 カロプダス病院のスタッフは、他者を大切にする姿勢が一貫している事だった。相談に来る人に対しても、私たちのような見学者に対しても、内部のスタッフに対しても、外部の関係者に対しても、かれらは常に相手に深い敬意をもって接し、その応答はいつも対話的だった。

 こうした組織を作ることが果たして可能なのだろうか。
 そんなことを思い、どこか、すぐに諦めそうな思いにもなりそうですが、カロプダス病院も、最初から、そうだったわけではないと、気がつきます。

 1984年8月27日、オープンダイアローグは誕生した。この日、当時、病院長だったアラカレ氏は、
「その人のいないところで、その人のことを話さない」
「1対1で会わない」
 と決めた。  

 そのスタートの決意と覚悟と継続があってこそ現在があるのだから、学ぶとしたら、その考え方であり、あり方だと思うと、その難しさとともに、それでも少しでも近づけるのではないか、と思えたのは、著者がとても誠実で正直に伝えてくれたからだと改めて思いました。(こうした言い方が偉そうで、申し訳ないのですが)。

対話的であること

 自分自身が誰なのか、それがわからなければ対話の場で、困難を抱えた人たちと対話の場を持つことはできない。カロプダス病院のスタッフたちは、それぞれ自分の話を仲間に3年以上かけて聞いてもらい、仲間に理解され、理解されることを通して自分自身を理解し、同じように仲間を理解するというプロセスを経験している。それは、スタッフ個々の人生を助けるものにもなる。ケロプダス病院には、このプロセスを経た人たちが100人近くいる。

 こうした現在の状況も、対話的であろうと決心し、覚悟し、継続することで、つまりは、ここ↓から始まるのだろうと思いました。

 誰かが話しているとき、聞いている人は聞くことに徹する。何と答えようかとか、次に何を話そうとか、考えながら聞くのではなく、ただ聞く。話す人も、自分が話しているときに誰かに遮られたりしないことを知り、安心して話したい事を話す。  

 
「カウンセリングマインド」という言葉は、あちこちで目にするようになったのですが、その言葉も、当初はもっと違う意味合いや力や希望を持っていたはずでした。

 ただ、あまりにも抽象的なため、もしくは、心がけ、といった精神論に近いため、あまり定着しているようには思えませんし、定着しているとしても効果を生んでいる印象はありません。

 そうした先例があるとしても、「オープンダイアローグ」「対話的」であろうとすること。そうした存在を目指すことは、今後、少しでも広まり、定着してほしいと思えることであり、自分自身も微力ながら、そうあろうと思えることでした。


 どなたにでもお勧めできるはずですが、特に、支援職にある方でしたら、一度は読んでいただきたいと思っています。


(さらに、詳しく知りたい方には、こちらの書籍↓がお勧めです)。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしければ、読んでいただければ、ありがたいです)。



#推薦図書    #読書感想文   #オープンダイアローグ

#森川すいめい   #介護   #臨床心理士   #公認心理師

#心理学   ##家族介護者の心理的支援   

#感じるオープンダイアローグ   


この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。