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介護について、思ったこと⑦「ケア」という意味の広がり。

 いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

(この「介護について、思ったこと」を、いつも読んでくださっている方は、『「ケア」という意味の広がり』から読んでいただければ、繰り返しが避けられるかと思います)。


 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 私は、元・家族介護者ですが、介護中に、介護者への心理的支援が足りないと思い、生意気かもしれませんが、自分でも専門家になろうと考え、勉強し、学校へ入り、2014年に臨床心理士になりました。2019年には公認心理師の資格も取りました。

 さらに、家族介護者の心理的支援のための「介護者相談」を始めて、ありがたいことに8年目になりました。
(よろしかったら、このマガジン↓を読んでもらえたら、これまでの詳細は分かるかと思います)。

介護について、思ったこと

 このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。

 もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、これまでは、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。

 今回は、それほど広く知られていないかもしれませんが、いつも聞いているラジオ番組で話題になり、そのことについて、改めて、いろいろと気になったことがあったので、私が語る資格もなく、能力も足りないかもしれませんが、お伝えしようと思いました。さらには、このラジオ番組にメールで投稿までしました。

 もし、よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います。

「ケア」という意味の広がり

 ケア、という言葉をよく聞くようになったのは、2000年に介護保険の運用が始まり、そして、その中核を支える職種が、ケアマネージャーという名称だったこともあり、広く使われるようになったように思います。

 ただ、「ケア」という言葉に関しては、個人的には、まだこの言葉を使うことに抵抗感があります。私にとっては、「介護」の方が身近であるのは、「ケア」という言葉が、高齢者介護の場面では、特に、ご高齢者にとって、発音しにくく、馴染みが薄いカタカナ言葉、ということが、その抵抗感の主な要因になっています。

ここ数年、人文界隈でもケアは常に注目を集めています。

 ラジオの「予告編」で、こんな言葉を知り、少し意外な感じもしました。

 ただ、考えてみれば、確か「介護」という言葉自体も造語であり、出来た当時は、新しく広い意味があったのだと思いますが、今は、「介護」は、「高齢者介護」を指すことが多くなりました。

 だから、そこに本来含まれていたはずの「広い意味」を考え直すとすれば、「ケア」という言葉を選択した方がふさわしいのかもしれない、と、その「予告編」を聞いて思いました。 

 さらには、このラジオ番組は、自分が介護をしていた頃から、食器洗いをしながら、時々聞いていて、自分より若くて優秀な人たちに、ケアや介護を考えてもらえるのは、ありがたい気持ちもありました。

広がる機会

 それに加えて、この10年間、家族介護者への心理的支援の必要性を伝えようとしてきて、何も変わらなかった、という無力感に襲われることもありましたが、こういう、少しでも広まるような機会を生かしたい、とも考えました。

 そして、メールを投稿するために、文章を書きました。かなり長くなってしまいましたが、小見出しをつけました。

 ラジオに投稿した内容は、以下の「気にかけ続けるということ」から、「理解しようとすること」までになります。ただ、このnoteをいつも読んでくださってる方にとっては、繰り返しになる部分も多いと思いますが、介護だけでなく、ケアということについて、改めて考えることができました。

「最近、ケアしましたか?」というテーマについて、書き始めています。

気にかけ続けるということ 

 最近、ケアした、というよりは、正確にはサポートだと思うのですが、毎月1回から2回、某区役所で、「介護者のための相談」の窓口を開設してもらい、その相談を受ける相談者の役割をしています。

 言ってみれば、「ケアする人をケアする」ような仕事ですが、その仕事を始めようと思ったのは、自分自身の経験からでした。


 私自身の経験というのは、介護経験です。家族の介護を始めたのが1999年で、私自身が30代後半でした。自分の母親と、妻の母親を、妻と二人で介護をする生活になりました。混乱もあり、気がついたら、私自身が心臓の発作も起こし、仕事を辞めざるを得なくなりました。

 自分の母親には病院に入ってもらい、そこに「通い介護」をし、家に帰ってきてからは、義母の介護を、妻と二人でする生活が7年続きました。母親は病院で亡くなりました。

 その時、自分の頭上の左上の空間に、とても細い針金がからまり、黒雲のようなものが、ずっとそこにあったことに、母が亡くなった時に、気がつきました。(もちろんイメージですが)それは、24時間ずっと気になり続けた、ということが形になっていて、それは亡くなるときに気がつくようなものでした。

 介護(ケア)の本質の一つは、ずっと気にかけ続ける、ということだと思いました。

ケアする人をケアする

 その後、義母の介護を妻と一緒に在宅で続ける生活は継続していました。それまでの生活で、家族介護者にこそ、「個別での心理的な支援」が必要だと思うようになっていました。その支援が社会に十分と思えなかったので、自分がその役割を担いたいと思い、生意気かもしれませんが、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、臨床心理学を学び、臨床心理士の資格を取り、その後、公認心理師の資格も取得しました。

 そして、2014年に臨床心理士の資格を取った年に、幸いにも、今も続けている「家族介護者のための相談」の仕事を始めることができました。その必要性は、広く知られていないせいで、こうした介護者への個別な心理的支援の窓口は、現在も、ほぼ増えていないままです。


 今も、約2週間に一件のペースで起こってしまっている「介護殺人」や「介護心中」を少しでも減らすためには、不遜かもしれませんが、「ケアする人のケア」である心理的サポートは必要だと思っています。

 そして、「介護者相談」の経験を蓄積するほど、こうした「心理的支援」の重要性は、より強く感じるようになっていますが、自分の力不足もあり、社会に対して十分に伝えられていません。

一緒に生きていくこと

 そんな時間の中でも、義母の在宅での介護は続いていたのですが、2018年の年末に義母が、103歳で亡くなりました。それで、私たちの介護生活も、19年間で、急に終わりました。

 義母が亡くなった1ヶ月ほど後、妻はこんな話をしていました。

「母さんを介護している時間が、続いていると思っていたんだけど、そうでもないんだな、って。一緒に3人で生きて来たんだ。もう、本当に、メンバーだったんだな、って。一緒に、母さんを育てたような部分もあったけど、母さんに育てられてた部分もあるんだな、って。
 その人の、本当に、生きてる力はすごいなって」。

 妻は、介護をしている時は、こんな風には全く思っていないようでしたが、介護が終わって、そんなように思うようになったようです。

 介護の本質の一つは、そばで一緒に生きること、だと思いました。

 特に人間関係が近かったり、認知症が関わってきたりすると、お互いの魂がむき出しになり、時として魂の削り合いのような厳しい時間も長くなるのですが、それでも、そばにいる、というのが介護であり、「ケア」という行為や思想は、この部分を除いては語れないのではないか、と個人的には思っています。

手を差し伸べる人

 この20年の間に、様々な介護者に会うことが出来ました。 
 同じ、家族介護者として、もしくは、こちらが心理職として。

 信じられないくらい大変な中で、本当に細やかな介護(ケア)をされている人たちが少なくないことを、そういう時間の中で知るようになりました。ヤングケアラーと言われるような若い人から、ご自分がかなりの高齢になっている方まで、幅広く会うことが出来ましたが、「澄んだ水のような気持ち」が伝わってくる方も少なくなく、介護する人(ケアする人)には、共通する何かがあるように、思えることもありました。

 そんな頃、東浩紀氏の「ゲンロン0 観光客の哲学」を読み、J.J.ルソーの思想が紹介されていましたが、まるで、ケア(介護)に関して語っているように思いました。


 「人間不平等起原論」の、こうした部分です。

 あわれみは自然の感情であり、それは各個人においては自己愛の活動を和らげ、種全体の相互保存に協力するものであることは確かである。われわれが苦しむ人たちを見て、反省しないでもその救助に向かうのはあわれみのためである。また自然状態において、法律や風俗や美徳のかわりをなすのもこれであり、しかもどんな人もその優しい声に逆らう気が起こらないという長所がある。

 この場合は、あわれみに、現在は、ネガティブな意味合いもあるので、今で言えば、「困った人がいたら、考える前に、手を差し伸べるような人」といったことだと思います。

 さらに、東浩紀が書いているのですが、ルソーはどうやら人嫌いで、そんなに人付き合いもしたくないタイプだったらしいので、そうした人が言っていたとしたら、より説得力が増すような気がしていました。そして、ルソーは、そうした「あわれみの人」(「手を差し伸べる人」)が、人間の社会を存続してきたのではないか、という言い方もしています。

 理性によって徳を獲得することは、ソクラテスやそれと同質の人々のすることかもしれないが、もしも人類の保存が人類を構成する人々の理性だけにたよっていたならば、人類ははるか昔に存在しなくなっていただろう。

 誰かが困っていた時に、「誰が手を差し出すべきか?」『誰がその「当事者」であるべきか』

 そうしたことを「考えるより前に、手を差し出さずにいられない人たち」がいてこそ、これからも社会が続いていくとすれば、その手を差し伸べる人たち≒「家族介護者」への見方が、変わっていくだろうし、変わっていくべきだ、と思っています。

 ケア(介護)の本質の一つは、考える前に手を差し伸べることであり、そうした人たちがいてこそ、社会が続いてきたのではないか、ということです。大げさに言えば、ケアが社会を存続させてきたのかもしれません。


 時々、家族介護者の方々と話をしている時に、この人たちは、家族でなくても、目の前に困った人がいれば、それが他人であっても、まずは手を差し伸べるのではないか、と感じることも少なくありませんでした。

(ちなみに、自分自身は、その本質を持っていなくて、介護経験の中で、少し人工的に習慣がついた程度だと思っています)。

理解しようとすること

 そして、生意気かもしれませんが、「ケアする人をケア(もしくはサポート)する場合」に、最も重要なことは、「理解すること」、もしくは「理解しようとすること」ではないか、と今では思うようになりました。

 理解は、孤立を遠ざけます。当事者でなければ、分からないことはあるにしても、理解しようとすることはできます。それが「負担感を減らせるかもしれない」という「常識」が、介護(ケア)の現場でも、少しでも広まればと思っています。

 介護者(ケアする人)が語られる時、その視点の距離感に納得がいくのは、ポーリン・ボスや、アーサー・クラインマンでした。

 私がまだ知らないだけかもしれませんが、日本国内の書籍は、個人の体験談は別として、研究者の分析は、俯瞰的すぎるような気がして、何かモヤモヤすることが多かったように思います。ただ、これは個人的な偏見かもしれません。


ラジオ放送

 伝えたい気持ちが強かったので、長い文章になってしまいましたが、幸いにも、この内容の一部がラジオで読まれました。2021年8月のことでした。

 読まれたのは、小見出しだと「ケアする人をケアする」と、「手を差し伸べる人」の項目が中心でした。

 文章を読んでもらえたのも有り難かったですし、このことに対して、誠実に議論を進めてもらえたことが、さらにありがたく思いました。

 このことにより、介護者を心理的にサポートすることの必要性が少しでも広まれば、と思いましたし、何より、このラジオ放送では、全部で3時間。「外伝」を含めると、さらに長くはなるのですが、「ケア」という言葉を使う必然性を、ほぼ初めて納得できたほど、幅広い議論がされていたように思いました。

 さまざまな書籍も紹介されていますし、介護やケアのことを、改めて考えたい方には、(自分が採用されたこととは別に)とてもおすすめできる内容だと思いました。

(もし、私が読まれた部分を気にかけていただける方がいらっしゃましたら、「ケアってなんだろう?」Part4の1分過ぎくらいから放送されています。ラジオネームを使っています)。




(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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