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『「介護時間」の光景』(148)「ゴディバ」。3.14.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年3月14日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年3月14日」のことです。終盤に、今日、2023年3月14日のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)


2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 毎日のように、メモをとっていました。


2003年3月14日

『午後4時頃、病院に着く。

 ホワイトデーで、レーズンクッキーを買っていって、母も食べて、喜んでくれた。

 母と、今日の話をした。

 どうやら、病棟では、患者さん、みんなで集まって、回想法のようなことをしたらしい。

 3月なので、みんなで戦争のとき、空襲の話をした。撃たれそうになった人もいたらしい。

 さらには、母自身の昔の話も、次々と思い出したらしく、話を続けてくれた。

 家に泥棒が入ったこと。

 昔、将来のことを聞かれて、みんな、看護婦とか、軍隊に関する仕事をする中で、私は、洋服屋になりたいって、言ったのよ。

 そうした話をしたら、久しぶりに、ずいぶん、たくさんしゃべっていた。

 病棟の内科医に、ツバキの花の話を聞いていて、母が気になっていたらしいのだけど、そのことに関する本か何かのページのコピーを、すでに、その医師から、母はもらっていた。

 ありがたかった。

 夕食45分。

 その時も、少し昔のことを話していたから、今日は、たくさん、昔のことをしゃべってくれたことになる。

 そういえば、「今日来ると思ったのよ」と言っていたから、おととい、来たのだけど、そろそろ心細くなるのが早くなったのか、もう少し病院に来るペースを、また考えた方がいいのだろうか。もっと来た方がいいのだろうか。

 夜、病棟に勤務する人を確認したりもしているから、少し不安なのだろうか、と思う。

 午後7時に病棟を出る』


ゴディバ

 夜の7時30分頃。

 病院を出て、バスに乗って、駅に着く。

 駅ビルの1階。洋菓子屋さんは、他にもけっこうあるのに、ゴディバの前だけ、妙に歳を重ねた背広とネクタイの男性が集中して混雑していた。

                         (2003年3月14日)

                    
 その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。 


2023年3月14日

 この前、出かけたときの帰り、駅ビルの前で、ホワイトデーが近づいているせいか、ビルの外まで、チョコレート売り場が設置されていた。

 そこには、少し前、妻が気になると言っていたムーミンをデザインした缶に入ったチョコレートがあった。一時期は、販売していなかったけれど、またイベント用に売り出したようだった。

 お、と思って、購入した。

 そして、3月13日の夜中に、いつも使っているこたつの上に、カードをつけ、セッティングして、就寝した。

ホワイトデー

 起きたら、妻にお礼を言われたけれど、うれしそうにしてくれたのが、こちらもうれしかった。

 録画したドラマを見ながら、一緒にチョコレートを食べた。

 なんだか、さらに、すごい展開で、単純なリベンジではなくなってきたけど、主人公は、これから、どうするんだろう。

予約

 月に一度は歯医者に行くのは、歯がとても弱い性質らしく、きちんと磨いても、虫歯になりやすく、放っておくと、歯がどんどんなくなりそうだからだけど、この前、チョコレートをかじったときに、歯が割れたみたいになった。

 また歯を失うのは、怖いし、悲しいので、早めに診てもらったら、もしかしたら、少しは治るかもしれない、と思って、次の歯医者の予約は一週間先だったのだけど、電話をしたら、予約が取れて今日の午後に行けることになった。

 少し安心する。

歯科医

 歯医者に行き、受付で、無理を言いまして、すみません、といったことを伝えて、待合室のソファーに座る。

 急だったので、待つかもしれません、と言われていたので、読みかけの本を2冊持っていって、少し読み始めたら、名前を呼ばれた。

 思った以上に、すぐに治療を始めてもらえた。

 やっぱり、歯が割れているようだった。グラグラしていて、引っこ抜こうと思ったのだけど、そんな無理をしないでよかったみたいだ。それに、割れているのは事実だけど、「8:2」くらいの感じで、だから、割れている方が少ないから、歯自体を抜いたりしなくてよさそうなことを、治療中に、歯科医が伝えてくれた。

 安心した。また歯を失うかも、と想像して、悲しくなっていたからだった。

 そういえば、この歯科医の方は、うちで介護をしていた時、歩けなくなった義母のことを考えてくれて、家まで訪問治療をしてくれるような、基本的に優しい人だった。だから、今回も、患者である私が、最も心配していたことを、すぐに言ってくれたのだと思う。

 
 それでも、いつもは、私も妻も、同じ歯科医にかかっていて、ずっと、歯の弱さは指摘されている。今回も、虫歯になる弱さがあるのに、割れてしまう。この二つの出来事は両立しないのに、といったことを教えてくれた。

 なにしろ、歯が減らなくて、よかった。





(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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