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『「介護時間」の光景』(213)「コーヒー」。7.2。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年7月2日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年7月2日」のことです。終盤に、今日、「2024年7月2日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。

2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 そのまま、介護は続けていたのですが、そういう生活が4年続いた頃、母の症状が落ち着いてきました。

 そのため、それまで全く考えられなかった自分の未来のことまで、少し考えられるようになったのですが、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんはおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。

 そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていましたし、2007年の2月に、熱海に旅行にも行けました。
 
 母の体調は、だんだん悪くなっていくようで、そのせいか、ほぼ毎日、病院に通っていました。本当に調子が悪いのが明らかでした。そして、5月14日に母は病院で亡くなりました。
 毎日のように病院に通う毎日は終わりました。

 7年間の「通い介護」も、終わってみれば、長いのか短いのかわからない感覚になりましたが、義母を自宅で妻と一緒に介護をすることは、変わらずに続いています。

2007年7月2日

『母が借りていた銀行の中の貸金庫があって、その部屋に入り、ゴソゴソしていると、自分がハイエナみたいな気持ちがする。

 そして、銀行の口座を凍結する。

 一つ一つ、生きていたことを少しずつ消していく作業のように思えて、なんとなく悲しい。

 そのあと、父がたてて、父が入り、この前、母も入った墓がある寺にも行く。実家からも、それほど遠くなく、歩いていける距離にある。

 今も義母の在宅介護が続いているのに、なんだか気持ちがゆるんで、すでにダメになっているのではないか、と自分で不安になる』

コーヒー

 久しぶりに1人での外食。考えたら、外食をほとんどしない。駅ビルの上のチーズケーキを名前にしているお店に入った。

 ガラスで仕切られた壁のようになっている席に一人で座る。

 右の隣のテーブルには、2人。
 正面、通路をはさんでいる喫煙席に3人。
 すべて女性の客。

 話が途切れない。

 私の他には、喫煙席のところにもう一人だけ男性。

 新しく来た客も、女性2人。
 誰かが黙ると、他の誰かがしゃべり出す。

 その中で、注文したアボカド…時々、アボガド、と言っているけど…と旬の野菜のキーマカレーのセットが来て、それを食べる。私は一人だから、ひたすら黙っている。本を読んだりもする。でも、周りの会話は気になるし、ホントに途切れることはない。

 そうしたいろいろな音があふれている店の中で、厨房の方角から音が聞こえる。

 コーヒーを用意する音だと思った。

 おそらく注意深く、気使いと共に、コーヒーが入ったカップをソーサーに置く音が、他の音とくっきりと違い、気持ちがいい響きとして、小さい音のはずなのに、聞こえてきた。

 コーヒーを持ってきてくれた。

 今日は、セットでホットカフェオレを頼んでいて、それがテーブルに来た。

                         (2007年7月2日)


 その後も義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、妻と一緒に自宅で介護を続けていた義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格もとった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年7月2日

 気がついたら、7月になっていた。

 梅雨入りしたらしく、すっきり晴れるというよりは、雲が空を占める範囲が広く、雨が降りそうな感じが続く。

 今日は出かける前に洗濯をして、干す。

 ただ、外出途中で雨が降ってもいいように、物干し場の屋根の下に洗濯物を移動する。

竹久夢二

 東京都庭園美術館に出かける。

 竹久夢二展に行く。

 チケットは事前予約が必要ということで、昨日の夜中にあわてて、予約した。そんなに混雑しているのかと思ったが、現地に着いたら、どうやら予約なしでも入れるときもあるようだった。

 それでも、一応、予約は有効で、しかも現金でも支払いができた。来るまでに、クレジットカードだけしか使えないかと思い、暗証番号を確かめておいたのだけど、以前来た時と同じような手続きで美術館に入ることができた。

 竹久夢二の作品をみるたびに不思議に思うのは、どうして、この時代に美術の学校も通わず、これだけ独自の作風を初期から確立し、その上で、店を開いて成功させたりと、ビジネスのセンスもあることだった。

 そうした、勝手に謎だと思っているようなことは、今回もわからなかったのだけど、今でも魅力的に見える。

 庭園美術館には、文字通り庭園がある。

 美術館は冷房が強いので、体温を戻す意味でも、外へ出て、都市とは思えないような緑に囲まれ座って、空を見ていると飛行機が飛んでいく。

 ゆっくりした時間が流れて気持ちがよかった。

休養学

『休養学』という書名が気になって、読んだ。休み方を考え直すには、参考になる書籍だった。

 ただ、睡眠をとったり、体を休めたりするだけでは、疲れはとれず、そこにどうやって活力を蓄える工夫をするかが大事らしい。

 これまで言われていたり、漠然と感じていたように、ただゆっくりするだけでは疲労が取れないようだ。

 介護をしていて、休養の時間自体が少なく、もしかしたら、どう休むか?を考える余裕もないとは想像もできるだけど、例えば、ショートステイなどの時、ほんの少しでも休めるときがあれば、こうした休養の方法を少しでも考えてもらえたら、などと、余計なことだとは感じつつ、思ってしまった。

 同時に、自分の休み方も少し考え直そうとも思えた。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)



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