「介護時間」の光景⑪ 「晴天」 5.30
昔ですみませんが、16年前の話です。
母に介護が必要になり、いろいろあって、母親に病院に入院してもらい、それからも、症状が悪くなり、意志が通じなくなり、私は病院に通い続けて、また話ができるようになったり、を繰り返しながら、4年がたって、かなり安定したのが、この頃でした。
もしかしたら、そんなに毎日通わなくても大丈夫かもしれない、と思い始めて、ちょっと余裕が出てきた頃で、そんな気持ちが反映するように、毎日のように見ていた光景が、違うものに見えたりしたようです。
(2004年の時のメモに多少の修正・加筆をしています)。
晴天
晴れていて、天気がいい。
いつものように、病院に向かうバスに乗って、坂を上り、農協の駐車場を見ながら、左へ曲がる。
農協の敷地にある、鉄の金網のようなフタが、(雨か水を流すための排水溝が下にあるのだろう)カーブの途中に、斜め上から見える時だけ、かなり違うものになった。アルファベットの「I」という文字をデフォルメしてデザインしたような、オシャレといっていい形に、一瞬だけ、見えた。
病院の最寄りの停留場で、バスを降りる。
天気がいいせいか、道のそばの畑の土が、くぼむように崩れている、その形が、太陽の光をうけて妙にくっきりとシャープに見えた。映画などで見る砂漠の景色と、遠くダブる感じだった。
(2004年5月30日)
それから、ちょうど16年がたちました。
母親の病院に通っている時とは、質の違う緊張感で、電車に乗るような日々になるとは、当然ですが、思ってもいませんでした。
しかも、その緊張感が高まったあとに、今週の月曜日の緊急事態宣言の解除によって、ほんの少しゆるむような変な気配になっています。
今日(5月30日)は、天気はよく、気温も高くなってきました。
朝の9時前に家を出て、駅に行くまでに、1000円のヘアカットの店の前に人が10人くらい並んでいました。それも、だいたい1メートルくらいの微妙な間隔の列です。それが気になりました。
私鉄の電車に乗ると、そこは、人と人とがソーシャルディスタンスをとって座ったり、立っていたりします。だけど、たとえば1週間くらい前から比べると、乗車客の数は明らかに増えていますし、座る時も、一人分空席を空けずに、以前と同じよう密着して座る人も目につくようになりました。
電車を乗り換えると、先週は、冷房をつけながらも、窓を開けていたのが、今日は、冷房はついていて、窓はほとんど閉まっています。座席は、もう以前と区別がつかないくらい、びっしりと座っている場所が増えました。
それが、ちょっとこわく感じました。
私は、距離をとって、立っています。
そんな風に感じること自体が、本来ならば、おかしいのも自覚していますが、すでに、ソーシャルディスタンスは、自分にとっては、やや内面化されているようでした。
駅を降りて、歩道橋を降りようとするところで、手を伸ばせば届きそうな距離に、すずめが止まっていました。
人が近づくと、すぐに飛び立つと思ったのですが、しばらく、そのまま鳴いていました。写真も撮りました。
自分自身が、ソーシャルディスタンスが身につき始めたために、すずめにとって、怖さを感じにくい存在になったのかもしれない、などと根拠のないことを思いました。
また、電車に乗って、一人分空けて座っていたのですが、次の駅に着いて、すぐ隣に人が座ってきた時は、自分の体の側面が、どうしようもなくざわざわしたので、距離への感覚が、本当に変わってしまったように思いました。
(2020年5月30日)
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