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『「介護時間」の光景』(103)「エックス」。4.7.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうした支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年4月7日」のことです。終盤に、今日、2022年4月7日のことを書いています。

2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 そのまま、介護は続けていたのですが、そういう生活が4年続いた頃、母の症状が落ち着いてきました。

 そのため、それまで全く考えられなかった自分の未来のことまで、少し考えられるようになったのですが、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんはおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。

 そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていましたが、2007年の2月に、熱海に旅行に行けたのですが、その後は、体調が整わず、さらに不安が大きい頃でした。

 ほぼ毎日、病院に通っていました。

2007年4月7日

「昨日、病院で、いつも診てくれている医師と話をした。
 長く、お世話になって、とても大事に考えてくれているのは、わかった。

 それで気が楽になったとは言えないけれど、何というか、自分一人だけじゃないんだ、というような気持ちに少しなれた。といって、何かがよくなったわけじゃないけれど。

 去年のワールドカップで、絶対最後まであきらめませんから、といった言葉を誰かが言っていたことを思い出す。と言っても、生きている時間は、まだあるわけだし。

 いつものバスに乗る。
 母が、あんまり食べないと、と病院でよく会う患者さんの家族の方が、心配してくれている。

 私の願いは、どうか、この病院に最期までいられますように、ということだけど、そのような答えは言えない。

 夕食は、3割くらいで、母は食べられなくなる。

 母の髪の毛を少し切った。

 自分の右目の下がピクピクしているのがわかる。疲れると、こうなるんだ。久々に追い込まれているのだと思う。

 午後7時に病院を出る。少し雨が降っている。

 母が、急に自分の高校受験の話をしていた。

 450人受けて、50人しかとらない。だから、ダメだと思っていたら、83番があったの。

 そんなことを話していたけれど、まだそこまで覚えているんだ、となんだか感心もした」。


エックス

 土日の帰りに、歩道橋の上でよく見かけるギターを弾いて歌っている男性は、「ゆうひ」と自分で名前をつけていて、ここ何年か、何人もこの駅の付近で歌っているけれど、おそらく一番多く見かけ、一番長く歌っているような印象がある。

「最近、ゆうひくん見ないなー」と思って、歩道橋の階段を登っている時に、急に降り出す雨。

 前を歩くカップルらしき男女が走り出した。

 歩きタバコをしていた男性は、そのタバコを捨てて、すいがらを踏みつぶし、走り出した。

 その彼女らしき女性は、細い体と高めのヒール。
 なんだかピョンピョンしている。
 手の振り方。足の運び。

 かなり大きい「X」が走っていた。

                          (2007年4月7日)


 母は、2007年の5月に病院で亡くなった。
 その後も、義母の介護は続いたが、2018年の年末に、義母が突然亡くなり、急に介護が終わった

 自分自身の体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になった。


2022年4月7日

 薄曇りで、だけど、今日は寒さよりも、少し暖かさを感じるから、少しずつ春が深まっているのかもしれない。
 
 この前、かなり枝を切って、その時は、ほとんど葉っぱが出ていなかった柿が、ここのところ、急に新緑が目立ち始めて、今年もきれいな緑色に覆われてきた。

健康診断

 区の無料健康診断があって、結果が出たので、昨日、聞いてきた。

 全体的には問題もなく、ここ10年くらいの数字もまとめてくれていて、なんとなく安心もしたのだけど、1つだけ微妙に気になることがあった。そのことについて、医師と話をして、その点についてだけ、お願いをして、一応、追加で検査をしてもらった。

 結果は一週間後に出ると言われて、今日になって、やっぱり時間がたって、かえって不安が高まっていくから、それがはっきりするまで、この気持ちが定まらない感じは続くのだろうとも思う。

加速しない世界

 こうした本を読んでいると、進化は「加速」する状態に入ったので、あと10年で、驚くほど世の中は変わるとあって、その変化は魅力的に思えることもあるので、できたら、元気でなるべく長生きしたい気持ちも出てくる。

 一方で、この本が出版されたのはコロナ禍の前だから、今は、新型コロナウイルスによって、加速を止められている部分がないだろうか、とも思う。

 今日も、コロナ禍の終息は、見えないままだ。再び、感染者は増加傾向になってきた。

 さらに、今の時代に戦争が起こってしまっている。とても、進化という希望的な見方を許さない出来事ばかりに見える。


 もう「加速」はしないのではないか。「加速」したとしても、少なくとも私のように、社会の片隅で生きている貧乏な人間には、その先に明るさがあるような気がしない。

ツバキ

 今日の何もなさを妻に話したら、こんなことを教えてくれた。

 近所に、接木をしたせいか、一本の木で、赤と白の両方の花が咲くツバキがある。
 今朝、ご近所の人に会った時に、その人が、そのツバキの持ち主にお願いして、その花を持って行ってもいい、と言われた。
 だから、そのお裾分けをもらってきて、トイレの棚に飾ってある。

 そういえば、ぼんやりと、立派な花が咲いている印象はあった。
 次に入る時に見たら、つぼみや、開いている花も、少し咲いた花も、コンパクトな場所にまとまっていて、きれいだった。

 こういうことがあるだけで、少し気持ちは、明るくなる。

 ありがたい。



(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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