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『「介護時間」の光景』(208)「へび」。5.30。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。


(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年5月30日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。


 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 
 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年5月30日」のことです。終盤に、今日「2024年5月30日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、仕事をやめ、介護に専念する生活になりました。2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 母の病院に毎日のように通い、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。


2001年5月30日

『夜、変に眠れない。胸が苦しい感じ。
 心臓への不安は消えない。

 電車に乗っていて、変な感じになる。

 胸がゴニョゴニョして、手首で脈をとったら、一応は正常だった。

 午後4時すぎに病院に着く。

 おととい、和菓子2つと、バナナ4本、飲み物2本を持ってきたのが、全部きれいになくなっていた。

 母は「1日一本ずつ」と言っていたが、食欲はあるのはいいとしても食べ過ぎても、とは思う。

 5月16日に病棟内でのレクリエーションの時の写真が壁に貼られていて、1枚30円。母本人が欲しがっていたので注文することにしたのだけど、「今日は31日」と母は言っていた。

 カラオケ大会の写真を一緒に見て、別の人の写真を指でさして、「これ私でしょ」と母は言って、分からなくなったと思ったのだけど、確かに母に似ているように思えたけれど、やっぱり違う人で、やっぱり分からなくなったと改めて思う。

 午後6時頃、病院にいるのに、私は胸がどうしても苦しくて、頓服にもらっていたサンリズムというカプセルを飲んで、少し安心する。

 母の夕食が終わって、少し経って、いつもよりも早く帰ることにする。

 帰りのバスの中でもぐったりする。

 調子が悪い。心臓のところがモヤモヤして、リズムがおかしくなりそうな感じが続く。

 怖い』

へび

 病院のそば。
 周りが林の細めの道を歩いていると、50センチくらいだったと思われるへびが、クルマにひかれたせいか、ひらたくなっていた。

 でも完全につぶれていないくて、少し動いている。ピクピクではなく、もぞもぞ、という感じ。

                         (2001年5月30日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。

 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、ずっと在宅介護をしていた義母が、急に意識を失い、数日後に103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年5月30日

 台風が近づいていて、強風に備えて物干しざおを下げたりしたが、今のところ幸いにもそれほどの強い風はなかった。

 今日は少なくとも夜までは晴れるらしいので、洗濯をする。

 庭の柿の木は、今年の春前にかなり枝を切ったせいか、葉っぱがかなり茂っていて、すごいと思っていたのに、さらにまた茂っていて、ちょっと驚く。

高齢者神話

 この本は2002年に出版されているから、すでに20年以上前の書籍になる。これはそれまでの「高齢者像」≒「高齢者は、衰えていて、だから社会のお荷物になりがち」と思いすぎるのは、「高齢者神話」なのではないか、という指摘だった。つまり、実際は違うのではないか、という内容だった。

 こうした本を読むと、さまざまなことを改めて知り、考えたのだけど、その中でも「定年」が、ネガティブな「高齢者像」を、本当にしてしまいがちのではないか、という指摘もあった。

 それは納得もできる話だったのだけれど、それから20年以上経ち、それでも「定年廃止」といった話は実現していない。

 もちろん、そのことが他の世代の雇用に不利益をもたらしては問題だけど、そのことも含めて検討した、というような話は、自分が情報に弱いせいもあるせいか、聞いたことがなかった。

 何かが変化していくのは、本当に難しいのだろう。

 同様に、20年経っても、家族介護者の支援を巡る状況も変わっていないことも、思ってしまう。




(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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