kazmogroove

kazmogroove

最近の記事

NY留学90’Sストーリーその14

12月になって冬休みが始まりました。正規の学生達は各々実家に帰っていき、また留学生だけがキャンパスに残されました。僕は同じ歳の日本から来たタカシ君や2才年下のヒロシとよくつるんでいました。ある日カフェテリアで2人が訊いてきました。「カズは大晦日どうするの?」僕はシティーのライブミュージック付きのレストランでカウントダウンをしようと思っている事を伝えました。「ああ、いいね!オレ達も一緒に行っていい?」「いいけど、乾杯シャンペン付きで1人100ドルだよ。」「いいよ!」 とういう

    • NY留学90’Sストーリーその13

      さて時は11月。新学期が始まって2か月が過ぎ、いろんな生徒達と顔見知りになりました。そんな時に校内でタレントショウが開かれるとのニュースを聞きます。まあ文化祭とか学園祭に似たようなノリですが、この大学の規模は小さい。単純に音楽のパフォーマンスに自信のある生徒がエントリーして、優秀賞を掴むために争うのです。 ルームメイトのロブが部屋に帰ってきて言いました。「カズ、一緒にバンドを組んでこのタレントショウに参加しよう!」また突拍子もない事を言う。「バンドってどうするの?」「僕が歌

      • NY留学90’Sストーリーその12

        アメリカにはオープンマイクというものがあります。バーやレストランは週末開けの月曜日や火曜日は客の入りが悪いので、素人のパフォーマーを募って2曲ずつぐらい歌わせて、売り上げを盛り上げる作戦です。もちろん純粋に素人の演奏や漫才、あるいは詩の朗読を楽しむ企画のものもあります。当然、素人のパフォーマーは客でもある訳ですから、1人、1、2杯はドリンクを頼むでしょう。ルームメイトのロブが僕をバーに連れて行く、というのはそのオープンマイクの事だったのです。ロブが言いました。「来週の火曜日に

        • NY留学90’Sストーリーその11

          大学の寮での新しいルームメート、ロブとの暮らしが始まりました。彼はカールのかかった長髪でなかなかハンサムでした。少しシルベスター・スタローンに似た感じだけどあそこまで濃くない感じ。彼の情熱はテニスでした。ある日かれは僕達の部屋にガールフレンドを連れ込んで、イチャイチャしていました。僕は僕で洗濯をしようと準備していました。彼はたまに人を小ばかにしてからかう癖がありました。彼ば僕に言いました。「おい、カズ、オレの洗濯も一緒にしてくれよ!」これはなめられてるな、と思いました。でも限

        NY留学90’Sストーリーその14

          NY留学90’Sストーリーその10

          日本では学業やビジネスの1年の始まりは4月ですが、アメリカは学業に限っていえば9月からスタートです。新入生もやって来れば、長い休みの間に旅をしたり、どこかでバイトをしたりしていた上級生達もキャンパスに帰って来ます。留学生だけでシーンとしていた夏がまるで噓の様に、とても賑やかで活気が溢れています。 僕は寮の部屋はずっと一人でしたが、アメリカ人のロブというルームメイトがやって来ました。彼は僕より2歳年上で学年でいえば4年生のシニアで今年で卒業です。(アメリカの大学はフレッシュマ

          NY留学90’Sストーリーその10

          NY留学90’Sストーリーその9

          前回、トランプスというライブ・ハウスでシャオリーンというデザイナーの女性と出会ったところまで話しました。彼女は別れる時「いつでも電話してちょうだい。」と電話番号をバーのナプキンに書いて渡してくれました。 それで、とうとうシティーに友達が出来たぞ!と思った僕は大学の寮から彼女に夜電話をかけ始めます。彼女はとても話好きな人でずっと2時間ぐらい話しています。これはいいリスニングの訓練になりました。半分以上、何を言っているのかわかりませんでしたが。そして彼女の英語はシティーのクール

          NY留学90’Sストーリーその9

          NY留学90’Sストーリーその8

          僕が通い始めた大学の構内では緑の芝生の上をリスが駆け回るような平和な雰囲気でしたが、それは僕がNYに求めてきたものではない。もっとスリルがあってデンジャラスなシティーライフです。でも情報がなにもない。そこで重宝したのがヴィレッジ・ボイスというフリーペーパーです。そこに毎週のイベントなどが載っている。それも大学には置いてないので、わざわざ丘を下りて30分ぐらい徒歩で駅前の文房具屋みたいな所に取りに行く。それを読んでいるうちに段々シティーで何が起こっているのか、頭に描けるようにな

          NY留学90’Sストーリーその8

          NY留学90’Sストーリーその7

          寮の真向かいの部屋にジョナサンという男が住んでいました。彼はもうここの大学を卒業して、大学の何かの役員として残っているのでした。ある日出会って僕を彼の部屋に招き入れてくれました。ギターが置いてありました。僕はしばらくギターを握ってなかったので、うれしくて、しばらく弾かせてもらいました。彼も感心していました。「ところで、お前テレビいるか?」「いるいる!」彼はテレビをくれました。でもそのテレビが何と白黒!こんなものがまだ存在するのか!力道山の時代じゃあるまいし!「これ鉄のハンガー

          NY留学90’Sストーリーその7

          NY留学90’Sストーリーその6

          プレイスメント・テスト(自分の英語力を調べるテスト)を受けて僕はレベル5ある中のレベル3からのスタートでした。午前中はGRAMMAR, READING, WRITINGのクラス。午後からはSPEAKINGのクラスです。クラスメートはスエーデンから来たフレッド、ブルガリアで医師をしていたヴィァへ、毎週末アトランティックシティのカジノに通う中国人の、う、名前忘れた。あとは韓国人の女性、同じく日本から来たジャズミュージシャンの庄司さんと順子さん、イタリアの公務員の、この人も名前忘れ

          NY留学90’Sストーリーその6

          NY留学90’Sストーリーその5

          1時間半ぐらい車に揺られて、ようやく大学のキャンパスらしき所へ到着。「たぶん、ここだと思うぜ。」大学の看板を確認。「運賃はいくら?」「えーと、普段こんなところまで来ないからな。」運転手は運賃表を調べている。「ああ、あった、110ドルだ。」それが安いのか高いのかわからない。でもどうにかたどり着いたんだ、よしとしよう。チップは20ドルぐらいでいいのかな?合計130ドルを渡す。「ありがとよ、じゃあ元気でな。」ジョーは笑顔で去って行きました。 キャンパスは静まりかえっていました。そ

          NY留学90’Sストーリーその5

          NY留学90’Sストーリーその4

          無事にNYのJFK空港に到着して、学校までの車の手配をする為にインフォメーション・カウンターを探しました。そしてようやく見つけ出す。が、そこはもぬけの殻。係員など誰もいない。埃をかぶってもう半年ぐらい機能してなかった雰囲気。「係員が留守の場合は、備え付けの電話で連絡を取って下さい。」みたいな事が書いてある。備え付けの電話の受話器を取る。「なんじゃこりゃあ!」電話の線がちぎれてる。これじゃあ通話も出来ないじゃないか!話が違うぞ。急に妙な不安に襲われる。どうしよう。これは自力で車

          NY留学90’Sストーリーその4

          NY留学90’Sストーリーその3

          NY留学を決意し、そこから話はとんとん拍子に。時は1992年の春になっていました。東京のアパートも引き払い、山口の実家へ。当時、西の人間は福岡のアメリカ領事館で学生ビザを取る事が出来ました。長渕剛の初期の歌に出てくる大濠公園前にあった(今もあるのかな?)領事館です。地元でも昔のバンドを復活させ、みんなも「お前がアメリカに行くまでの間出来るだけ精力的に活動しょう!」という熱い思いが生まれ、短期の間に自主製作のアルバムを1枚発表、市内でのライブ活動も頻繁に行いました。そしてとうと

          NY留学90’Sストーリーその3

          NY留学90’Sストーリーその2

          さあジオスの受付のお姉さんの頼みで桜で参加する事になった留学セミナー。僕の前にはその留学斡旋の専門家の人が座っています。「かずよし君は留学するとしたらどこに行きたいですか?例えばカナダ、オーストラリア、ニュージーランド。」「そうですねえ、あえて言えばニューヨークかな。」ここでなんで自分がニューヨークと言ったのか覚えてないです。ちょっと前にイギリスに行ってきたのだからロンドンでもよかったはず。まあ留学自体全く頭になかったので、あえて突拍子もない事を言って歌舞いてみたのかもしれま

          NY留学90’Sストーリーその2

          NY留学90’Sストーリーその1

          皆さん、こんにちは。今回90年代初期にイギリスを旅行した時の思い出を書かせていただきました。その後僕はNYに留学する事になります。なぜ?そして留学した時の経験などを今回はゆっくりと書かせていただこうかと思います。まずなぜ留学しようと決意したのか?なぜ日本を脱出しようと思ったのか?という事に触れる必要があります。これはすこし長い前触れになりますが、そこを理解して頂くとその後の僕の行動が腑に落ちると思うので、出来る限り手短かにお話しておこうと思います。 僕は山口県出身で高校卒業

          NY留学90’Sストーリーその1

          イギリスの思い出その9

          さあ今日はもう荷造りをして明日は空港へ行って日本行のヴァージン航空に乗って帰るだけです。今回失敗したのは、旅行カバンです。イギリス旅行という事で、革製の古い旅行カバンを骨とう品屋で購入しました。なんでもスタイルから入る方なので。これが重くて、実用的ではない。最後まで苦闘しました。旅行は軽くて邪魔にならないものがベストです。旅行は体力勝負です。重いものをいつも持ち歩いていたのでは楽しめる事も楽しめなくなります。ファッションは大事ですが、出来るだけ切り捨てましょう。実用性がとても

          イギリスの思い出その9

          イギリスの思い出その8

          短い滞在でしたがリバプールに別れを告げてロンドンに帰って来ました。トラファルガー・スクエアでは白い鳩の群れが飛び立ち、公園では真っ赤な薔薇の花が咲き乱れ、野兎たちが戯れている。なんと平和な光景。その夜は同じツアーの山内さんとホテルで夕食を共にする。「そうですか、リバプールまで?どうでした?僕もいろいろ不動産を調べてね、いろいろ分かりましたよ。やはり自分の足を運んで調べるのが一番ですね。」とてもいい雰囲気のレストラン。サービスも英国風で良いし、ステーキも美味しい。 後はリバプ

          イギリスの思い出その8