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NY留学90’Sストーリーその3

NY留学を決意し、そこから話はとんとん拍子に。時は1992年の春になっていました。東京のアパートも引き払い、山口の実家へ。当時、西の人間は福岡のアメリカ領事館で学生ビザを取る事が出来ました。長渕剛の初期の歌に出てくる大濠公園前にあった(今もあるのかな?)領事館です。地元でも昔のバンドを復活させ、みんなも「お前がアメリカに行くまでの間出来るだけ精力的に活動しょう!」という熱い思いが生まれ、短期の間に自主製作のアルバムを1枚発表、市内でのライブ活動も頻繁に行いました。そしてとうとう6月、渡米の時がやって来ました。二人の友達が成田まで見送りに来てくれました。いろんな友達から「あっちに行って落ち着いたら手紙くれよな!」というメッセージを貰いました。そう当時はEメールもフェイスブックも無いですからね。留学の期間は約1年。さあ、いざ出発!

留学斡旋の会社からの案内ではJFK空港に着いたら、まずインフォメーション・カウンターに行ってバスか車を手配してもらって下さい。決して白タクには乗らないで下さい、という事でした。ようやく13時間のフライトを終え、入国審査も難なく通過。空港内のインフォメーション・カウンターを探す。しかしなんと汚い空港だなあ、というのが最初の印象でした。そしてようやくインフォメーション・カウンターらしきものが見えてきた。しかしそこで目にした光景とは!(続く)

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