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私が旅好きなのは、希死念慮があるからかもしれない。

双極性障害と睡眠障害を抱えている院生のかぐらです。

先月は1記事のみしか更新しませんでした。理由は、体調が悪くなっていてnoteを書く余裕がなかったことが先月の前半。後半は、逆に元気になったから。薬については別のnoteに書くとして、簡単に言えば、薬の変更をしたら私の体に合い活動時間が増えたのでnoteを書くことよりアルバイトやポールダンスを優先させてました。

午前中から活動できる自分が嬉しくて連日外出していましたが、さすがに疲労がたまってきたのとnoteを書くことを習慣と呼びたいのでパソコンにむかうことにしました。noteは無理なく、だけど少しずつ続けていきたいです。


今回は「私の希死念慮」について。私の、とついているのは、症状の出方や程度は人それぞれだから。精神疾患の共通した症状であっても、まったく同じではない。私の希死念慮は他の人と感覚が違うと思うので、こう書きます。

希死念慮とは、死を願う気持ちのことだが、自殺までは考えていない場合。「死にたい」という直接的言動だけでなく、「いなくなりたい」「ずっと眠っていたい」という間接的言動も自殺を願望する、あるいは示唆すること。(救急外来・救急科・救命救急センターのスタッフのための手引き)


思い返すと、高校生の頃からたまーに「いなくなりたいなぁ」「パッって人生終わるなら良いかも」と思うことがありました。この気持ちが希死念慮と知ったのは双極性障害になって精神疾患について勉強した最近になってからなのですが。

生活に支障が出るほどの精神疾患の症状が出たのが今なだけで、希死念慮はずっと私の中にいたのだと思います。常に「消えたい」気持ちがあるわけではなくて、ふと「あーもう(人生)いいかも」って、自分の存在がなくなることが身近に感じるんですよね。

でも、死にたくなるんだよねーって周りの人に言うのはメンへラみたいでなんとなく気が引けて、「まぁみんなもこういうときあるでしょ」と自分の心に無理やり落とし込んでました。

この「人生終わらせたい」「どっか消えたい」気持ちを解消してくれたのは、旅行に行くことでした。


これも今振り返ればこそ思うことで、海外インターンシップ・海外留学・バックパッカーをしているときは「なんかとてもすっきりする…清々しくて気持ちいい」と思っているだけでした。

特にバックパッカーをしてときは「消えたい欲」が満たされる気がします。知らない土地にいると、道行く人も知らない人ばかり、慣れない言語、私も知らないことばかり、私のことも知られていない、この存在しない感覚。

まさに消えている!!

たまに消えたい欲の反動で寂しい気持ちになったり、働きたい!仲間に入れて!と思ったりするのです。が、私にとって一番の旅行の魅力は、私がいなくても日常が動いていて、色んな人の生き方をゆっくりじっくり見ることができること。私がいない日常、最高。

今は金銭的・時間的余裕はないので、バックパッカーはしてませんが、消えたくなったらいつもは行かない駅で降りたり、人の少ない公園や自然の多いところで消えたフリをしてます。そうすることで希死念慮が抑えられてる気がします。


私は自分で自分を殺せません。精神的にも肉体的にも。私が最も敬愛し尊敬する人物のひとり、ロマン・ロランを裏切ってしまうことになるから。

その前提があって、この希死念慮をどう扱おうと考えていたときに、「元々旅行でこの感情を解消していたのでは」と気づいたのでこのnoteを書いてみました。

他の方の希死念慮とは異なると思いますが、もしこの感情に苦しまれてる方がいれば、私は隣の街にプチ旅行や海外にぱーっと出てしまうことを勧めたいなと思います。

もちろん、旅好きな方に希死念慮があると述べたいわけでもありません。あくまでも、私の旅と希死念慮の関係性を綴ったnoteであると念を押しておきます。


サポートを考えていただきありがとうございます。より充実したnoteにします。