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ミヒサの日記

 江湖育三郎は齢110にして大往生を遂げた現代の大富豪である。別れに際してその終の住処である都内の邸宅周辺には交通規制が敷かれ、時の政治家や財閥の関係者等々、1000人は下らない人数がその最後の挨拶に参ったと言われる。ひっそりと、しかし豪奢に執り行われた育三郎の別れの儀式は、多くの関係者の涙と惜しみに見送られ、滞りなく終了した。
 それほどまでに影響力のある人物の残した財産は莫大で、その多くは直系の息子である陽介に受け継がれることとなった。しかし育三郎はその晩年には少しずつ持病も悪化し最後の2年間はほぼ寝たきりになっていたにもかかわらず、遺書を全く残さなかった。あるいはそれに近しい何かの意思表示もしておらず、親族一同は非常に驚いたのだと言う。

 その理由に関しては、育三郎に最も近い女中のミヒサという人物が承知していたとの噂があるが、彼女もまた育三郎とほぼ同時期にこの世を去っている。彼女はかなりの近視で日常に裸眼でいることはなく、筆まめで幼少期より日記や手紙を欠かすことがなかった。だがその日記には不自然に思えるほど育三郎との思い出が書かれておらず、当初より女中達の間ではただならぬ関係が囁かれていた。育三郎のことを色眼鏡では見ず、そんなところを気に入られていたとも言われている。とはいえ、なんの証拠もないことには変わりなく、むしろ女中としてきっぱりと育三郎の身辺を支えることを全うしていただけに、結局はうやむやのままに江湖家のその後の歴史と共に消えていくこととなった。
 というのも、江湖家は育三郎の次の代、即ち陽介の代で途絶えてしまうからである。どうにも陽介は一人息子でこれといった野心も血気もなく、ただ父の言う通りに生きる子供だった。成長してもそれは変わらず、父の伝手は借りずに一般企業に就職しそれなりの役職についたまでは良いものの、育三郎の晩年には何やら種々の勉強をしたがその甲斐なく、なんの心の準備も出来ぬまま父親の死を迎えた。
 それ故に相続した莫大なものの価値を彼は理解できずに、いわゆる跡目争いに参戦したつもりもないままに敗れて、とうとう家を離れた。そのような男でも、直系の長子は長子であったから、実力だけの有象無象には江湖家を牽引する代わりになれなかった。そのため陽介が去ってからわずか数年の内に、育三郎の築き上げてきたものは何もかも崩れ去り、各地に残る時代遅れの日本家屋のみが、帰る主人のいないままひっそりと朽ちるのを待っている。

 このような惨状を見るに、陽介の欲の無さを恨む声も多々あるところ、遠縁が自身の管理する旧江湖家別荘の解体工事中に見つけた1冊の日記により、ある真実が明らかとなった。
 それは女中ミヒサの隠された記録であり、こっそりとしたためていた、自身の主に対する疑問と、複雑な心境だった。日付によるとその日記は育三郎の持病が悪化し始める頃より始まっている。同時期に普通の日記の方もあることや、この日記がわざわざ本宅から遠いこの別荘の天井裏に隠されていたことから、ミヒサがよほど誰にも見せられないまま、しかし書きとどめずにはいられない何かがあったようだった。
 ミヒサとは親交のあった遠縁の主がこれをこっそりと持ち帰って読んだところ、そこには育三郎の「生」に関する異常なまでの執着心と、それを最も側で見ながら畏怖を抱くミヒサの心情とが渦巻いていた。

 本日、主の命により●●製薬より不労水を受け取る。今後は日々の飲料水を全てこれに置き換えるという話である。主は非常に満足されていたが、正直に申し上げて効果のほどは甚だ疑問である。

 主が不労水の味が変わったと怒る。これを機にやめていただくよう失礼ながら進言した。もう3年もお飲みになっているのにお身体に何の変化もないからだ。主は当然、お聞き入れ下さらなかった。折檻のせいか手が思うように動かない。今日の日記は短めに終えようと思う。

 患いは日に日に重くなっていく。●●製薬は明日、不祥事により解体される手筈だ。しかしこのような八つ当たりをしたところで何にもならないのは、聡明な主ならば承知しているはずである。近く、心身を若返らせると言う按摩師に掛かる予定。このところ不機嫌であった主も、少しばかり喜んでいるよう。

 このように、育三郎は大富豪の例に漏れず「不老不死」を信奉し、様々な品物を買いあさったり、情報を集めて試していたそうだ。床に臥せってからはいよいよなりふり構わなくなり、女中のミヒサへの当たりも強かったとのことだ。日記の最後には、弱って「折檻」も「罵倒」も出来なくなった育三郎を前にして、ミヒサ自身も精魂尽き果てたというようなことが綴られて曖昧なままにとじられている。恐らく、そのすぐ後に2人は死んだのだ。
 可哀そうなのはこうして不老不死などというありもしない現実にすがる父に、無視され続けてきた息子の方であろう。日記によると「勉強」を始めた陽介は最初の内は父のためとその成果や、それまでならば考えられないほどの結果を報告しに来ていたと言う。だがその時には既に、育三郎の目には自身の生しか映っておらず、むしろ息子は、その生にとって邪魔にすらなる存在だった。幼い頃より父と息子であったことはなかったが、ここに来て繋がりを持ち始めた親子の縁は、やはり修復されぬままこと切れてしまった。

 ミヒサは時々、日記の中で陽介の身を案じていたが、いつも決まって「やはりまだ親子の縁は見えぬまま」と諦めの句で結んでいた。そうして彼女の目には見えないままに結局父は死に、息子は家を放逐された。ならばそれはもう、見えないのではなく最初からなかったと言うべきである。片や育三郎は財を築けたが、その能力を実現するはずもない不老不死に釘づけにしてしまい、片や陽介は幼少期より自分ではなく父親の現実に身を委ね、両者は交わることはなかった。
 江湖家の没落は必然だったのだ。ともすればその栄華は最初から目に見えない幻想でしかなく、現実ではなかったとも言えよう。

 このような事実を記したミヒサの克明な記録は、それを発見した遠縁の者の手によってお焚き上げに持参、供養された。それは分厚さもあったが、想いの強さもあったのか、立ち上る灰煙は殊更に太く濃く見えたそうだ。しかし青い空へと近づくにつれて、それは幻のようにあっという間に消えてなくなり、後には黒々とした灰が残るばかりである。

 十数年という歳月と、それに込められた強い気持ちですら、そのように簡単に霧散し、まるでなかったもののように扱われる。


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