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発達の問題を抱える子の親が、どうか自分を責めませんように

 発達障害については、息子のごく幼い頃から気になって調べていた。
 個性とのちがい。どんな特性があるか。何が問題なのか。
 たくさん本を読んだし、親子カウンセリングについての講座を受けたりもしたけど、私がわかっていないことも多かった。

 幼少期に何よりも参っていたのは、息子のかんしゃくだった。
 だけど、かんしゃくが発達の特性と関連しているなんて、つい最近まで知らずにいた。
 2年ほど前だったかnoterさんの記事で見かけたのだ。お子さんについての話がまるで自分の息子のことを書いているようで。
 今はnoteを休んでいるその彼女に連絡を取って、改めて特性について質問をしたり教わったりした。ひどいかんしゃくは特性だったんだ。幼少期に知っておきたかった。


 息子は一日1回以上は大かんしゃくを起こし、大泣きしてひっくり返った。2歳のいわゆるイヤイヤ期には外出先でも激しいそれがあって、帰りの車の中、泣きながら怒鳴ってしまったことが何度かある。
 もし自分の人生、戻ってやり直したいことがあるとすればなんて、そんな質問がよくある。きっと戻っても私は同じようにしてしまうことがほとんどだと思うけれど、あの頃の車の中の私だけは戻ってやり直したい。
 大きく深呼吸をくり返して、ちょっとブツブツ言うなり、カバンに顔をうずめて叫ぶなりして自分を落ち着かせたい。あの何度かを、息子に謝りたい。
 あっ。書いていて思い出してしまった。
 都会に泊まりに出ると、雑踏の中でそれをされて、ホテルの部屋で怒鳴ってしまったことがあった。二度ほど覚えている。「廊下まで聞こえていたよ」と、ちょっと後から合流した夫に言われた。
 ああ。車の中だけじゃなかった。本当にごめんね。「覚えていないし、それだけのことがあったんでしょ」と息子は言うけれど、でもごめん。あの直前に戻ってやり直したいよ。息子のせいなんかじゃないんだから。
 そして私のせいでもない。誰のせいでもないんだよ。

 何でもかんでもイヤイヤ言う時期は過ぎても、家での息子のかんしゃくは激しかった。
 後悔するほど怒鳴るようなことはなくなったけど、大泣きして理不尽な文句をわめくから、つい言い返してしまう。息子はさらに怒り。
 大喧嘩が毎日くり広げられた。
 やっぱりそれも、今思い返して苦しくなる。
 
 当時、夫が帰宅する頃にはだいたい息子は落ち着いていたから、夫には愚痴だけをさんざん聞いてもらっていた。
 外で誰かいると、息子は無意識に緊張感が保たれるようだった。楽しげに過ごしているように見えて、帰宅するとその緊張の糸が切れるのだ。
 と、幼稚園の先生が教えてくれた。だからお母さんが気にしないで良いんですよ。お母さんだけには甘えられるから泣くんですよ。
 そう言われてどうにか私も受け入れようと努力し続けた。
 幼稚園ではごくまれにかんしゃくを起こすようで、その時は先生が報告してくれたし、行事で私が一緒になると例外なくかんしゃくを起こした。

 他には特性のためのようだと、うすうすわかっていたのが文字に関すること。
 難しい漢字を幼稚園の年少さんの頃には読めていたのに、年長さんになってもひらがなすら書けないアンバランスさ。
 小学校一年生になっても字が極端に下手なので、「そのうち書けるようになるよ」とのんびりかまえていた私もあせってしまった。
 四つに区切られたマスの中にバランスよく書かせようとすると、それだけでひっくり返って大泣きされた。
 宿題一つをとっても、たった一言、横から口を出すだけで泣きわめく。
 一人で宿題をしたいと言い、その頃から息子の宿題をほとんど見たことがない。
 そのために中学一年生の時に、先生に私が呼び出される羽目にはなったけれど。
 時間割をそろえるのにも、毎日30分以上泣きわめくので、心身ともに削られた。

 そしてかんしゃくが私に向くことは、小学三年生になったころを境にうんと減った。先生やお友達に向くわけでもなく、自分でどうにかしようと頑張っているようだった。
 帰宅後に部屋にこもって、教科書やノートを投げる音がし、泣きわめく声がアパートの廊下じゅうを響き渡る。
 自分でドアを閉めて大騒ぎするので、自分でどうにかしたいのだと受け取った。30分~1時間くらいそれが続くと静かになり、しばらくすると部屋から出てきて「宿題終わったよー」と涼しい顔をしている。
 その様子に戸惑うので、当時私が自律神経の調整の薬をもらいに通っていた心療内科の先生に相談した。

 「自分でかんしゃくをおさめられるの? じゃあそれこそが素晴らしいと思いますよ。根掘り葉掘り聞かずに、どうにか自分で落ち着いたお子さんと、いつも通り話せば良いんじゃないでしょうか」

 不安になりながらその言葉を信じて、その先生に言われた通りに日々待ち続けた。
 部屋から出て、涙のあとのある顔で「すっきりした」と言われると、何でもないフリなんかできず、たまらず抱きしめる日もあった。


 
 ある日。
 それがなかった。
 

 次の日もない。
 その次の日も、さらにその次の日も。
 
 何週間か後、息子に聞いた。
 学校から帰ってから、泣いたり暴れたりしなくなったね。

 すると、「泣きわめくストレスより、泣かずに気持ちを落ち着かせる方がまだラクなんだよ。泣いてもストレスは減らなくて、もっと増えるってわかった」と言う。
 「涙活」ってあるけど、息子の場合は特性によるかんしゃくなので、泣くのは私たちとはちがったしんどさがあるのかもしれない。
 小学三年生でそんなことを言う息子に、どんな気持ちを乗り越えてここまできたのだろう、どんな景色が見えてきたのだろうと、その成長に胸がいっぱいになった。

 小学四年生以降になると、担任になった先生は、息子のできないことを挙げて私に言ってきた。先生は息子のことをかわいいと思ってくれてはいたようだけど、特性についてよく知らないようで、家庭の問題だと思っているようだった。
 息子が机の上やその周りを片づけられないとか、字が汚いとか、クラスメイトの暴力を傍から見ているだけでも傷つくとか、なくしものが多いとか、手先の不器用さや運動機能の獲得の遅さとか。
 息子が悪いんじゃないと当時から思っていたし、私たち親子だって悩みながら日々努力しているのだ。ずっと。
 6年生まで受け持たれたその先生の前では謝りつつ毅然としていたけど、面談から帰宅するといつも泣いた。

 とにかく事務的に言って聞かせた。落ちた物は拾うんだよ。脱いだものは洗濯機にね。上着はハンガーにかけるんだよ。近くで拾えば息子に渡す。その場で息子に言う。怒ってしまった時もあったけど、できるだけ感情的にならないようにした。
 これをいったい何年続けたんだっけ。中学生以降、制服は4年ほどかかってハンガーにかけるようになったけど、一人暮らしを始めるとできなくなっているようだ。

 食べこぼしもひどかった。こぼさないように気をつけて食べてね。いつも言っていた。
 自分で拾ったり拭いたりもさせていた。
 食べる時は口を閉じるんだよ。
 これらも何年言い続けただろう。10年では済まないよ。
 息子がおいしそうに食べているかどうかって、息子が何年経っても美しく食べられないから、多分私は顔をよく見ないようにしてきてしまったのだと思う。とにかく口を閉じてよ。こぼし過ぎないように気をつけてね。

 今回の帰省でふと、口を閉じていて、ほぼ食べこぼしのない息子に気が付いて「いつの間にかキレイに食べるようになったよね」と言うと、「すごいでしょお?」とちょっとフザけて、うれしそうにしていた。

 このペースだ。

 これがASDやADHDによるものだなんて知らなかった。

 そう言えば高校生になる頃には、物をなくしやすい他の生徒たちよりはなくさなくなったし、高校三年生の頃にはようやく運動機能が、学年の中で最下位争いではなくなった。走るのもようやく平均的な速さになった。

 ゆっくりなんだよ。本当にゆっくり。みんなのゆっくりよりゆっくり。親である自分が思うレベルのゆっくりよりゆっくり。

 そして息子がこの年齢までくると、そういった成長が遅いことで何か本当に問題はあったのかと思う。

 今も、私には全然わからない分野で優れている半面、できないことがある。
 この先だってどうなるか、不安だらけだ。
 だけどそれでも、発達の特性が関わる成長の遅さについて、心配な親御さんには、ゆっくり見守っていいと伝えたい。
 何かが早くできるようになったって、それは「早くできるようになった」だけだ。周りを見ていてもたしかにそう思う。
 できないことを自分で知って、どう生きていくか、どこをどんな風に周りに助けてもらうかをわかっていった方がよほど良い。
 自分たち親子で子供を息苦しい人生にするのではなく、少しでも生きやすい人生にするために、できないことへの対処を知って覚えた方が良い。できることは、一つ一つその子のペースで増えていけばそれで良い。
 少しずつ何かができるようになって、誰よりもうれしくて安心するのは本人だ。親じゃないよ。親のために何かができるようになるんじゃない。

 そして、もしかしたらなのだけど、子供の発達の特性で困っている親子は、その大変さにむしろ気づいていないかもしれない。自分の親子関係が基準となってしまっているから。
 でもうっすら周りとのちがいにも気づいて孤独感を抱えているかもしれない。

 努力しても努力しても変化は見られないし、周りに責められたり冷たい目で見られたりするよね。
 中でもやっかいな子供のかんしゃくは、心をかき乱されるものね。
 親が幼い子供をコントロールできていないのではと焦る。思い通りにいかないことはこの先の人生で山のようにあるから、大人はつい人生を教えたくなる。子供の泣き声はうるさくて仕方ないし過去の自分の傷も思い起こされる。周りの目も気になる。
 そうやって自分を追い詰める。

 つらい時は気軽に専門家にかかった方が良い。話を聞いてもらい、対処法を教えてもらい、気の持ちようを教えてもらう。かんしゃくが一向におさまらず深刻なら、薬が必要な場合もある。
 でも子供によっては年齢で落ち着いてくる場合もある。そこは一人ひとりちがうからね。一概にああすればこうすればなんて言えないものだよ。

 どうか自分の子供の特性で困っている親御さんがいたら、まずは信頼できる家族や友人に話してほしい。
 そして子供と同じ年頃のいるお母さんに相談して助けを求めてほしい。そういう友達には何かあった時に聞いてもらう必要があるし、実際に力になってくれるから。母親同士の集団とか個人個人の嫉妬とかマウントの取り合いとかに気を取られず、信頼できる人を作っておくと心強い。先生で相談できる人が一人でもいたら話してほしい。専門家にも相談した方が良い。子供のこともそうだし、自分の気持ちを聞いてもらうためにも。
 あたりまえだけど、子育ては一人でするものなんかじゃない。
 子供のために必死になりたい気持ちのエネルギーは、周りに助けを求める方に使おう。
 しんどい気持ちを分かち合える人を見つけて分かち合おう。
 子育ての先輩を見つけよう。ズカズカ土足で心に踏み込んできてアドバイスしてくるような人じゃないなら、どんどん聞いてもらおう。

 どうか自分を責め過ぎませんように。みんなとちがって良いんだよ。ものすごくゆっくりだって良いんだよ。



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