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リアル脱出ゲームに至る道

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リアル脱出ゲームを最初に思いついた人のそこに至るまでの人生や道のりです
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#ゲーム

リアル脱出ゲームができるまで

リアル脱出ゲームができるまで

この16年の間に、リアル脱出ゲームを思いついた時のことを何度も何度も聞かれた。
「なぜ思いつくことができたのですか?」と。
なぜなんだろう。
自分でもわからない。

思いついた瞬間のことはもちろん覚えている。

その日は2007年5月の中旬。フリーペーパーSCRAPの編集会議で、32歳の僕と学生のスタッフが4人くらいいた。間借りしていたぼろぼろの部屋だった。
その時僕らはフリーペーパーのためになに

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「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたんだろう」- リアル脱出ゲームに至る道

「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたんだろう」- リアル脱出ゲームに至る道

ずっと不思議に思ってきたことがある。
それは「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたのか」ってこと。
この巨大な謎についてそろそろ向き合ってみようと思っている。

リアル脱出ゲームを思いついた時、僕は何者でもないただの無職の33歳の青年で、なんの技術もなく特別な与えられた場所も持っていなかった。
うだつの上がらない自称ミュージシャンで、わけのわからないフリーペーパーを京都で作っていた。
謎なんて作っ

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「これは君が主人公になれるゲームなんだぜ!」 - リアル脱出ゲームに至る道

「これは君が主人公になれるゲームなんだぜ!」 - リアル脱出ゲームに至る道

1974年9月14 日。
リアル脱出ゲームが生まれる33年前に僕は生まれた。

生まれは岐阜市。小学5年生まで岐阜に住んでいた。
覚えている一番最初の記憶は保育園の入園式。
飛行機のマークの靴箱に靴を入れているところ。
自分のマークが飛行機だったのでうれしかった。
目立ちたがり屋で、周りの空気を読めなくて、やたら大きな声でしゃべってた。
それが保育園時代の僕だった。
今もそんなに変わってないかもし

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このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

大学を卒業して、なんの覚悟もなく社会に出た。
働くことに希望なんてまったくなかったし、責任がなくただ自由に生きているだけで意味がある場所にいたかった。

でも、その頃の世の中のほとんどの会社がそうであるように、僕が入った会社もとんでもなく長時間の労働が当たり前になっていて、朝出社したら徹夜をした先輩たちがソファーで寝ていたり血走った目でパソコンとにらみ合っていた。
僕は営業としてその会社に入り、ノ

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もう自分でなにか始めるしかないんじゃないかと思い始めた30歳 - リアル脱出ゲームに至る道

もう自分でなにか始めるしかないんじゃないかと思い始めた30歳 - リアル脱出ゲームに至る道

2001年。28歳ニート生活の中で未来が見えず、どこにもたどり着こうともしないまま怠惰な日々を送っていた僕は、毎晩書いているブログがそれなりにリアクションがあったので、「文章を書くことを仕事にしよう!」と短絡的に思いついた。

この頃の気持ちとしてはミュージシャンとして生きていく未来を望んでいた気持ちはもちろんあったんだけど、もう社会人として生きていく自分は諦めていたので、とにかく「何かを作りなが

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