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【読書メモ】自宅でない在宅 高齢者の生活空間論

著:外山義
2003.7 医学書院


概要

本書は「高齢者施設の空間がどうあるべきか」のマイルストン的著作です。
京都大学大学院教授(居住空間工学講座)であった外山義(とやまただし)氏が、2002年11月に亡くなる(享年52歳)直前まで執筆されており、弟子にあたる三浦研氏(京都大学大学院 工学研究科都市環境工学専攻 居住空間学講座)らによって遺稿がまとめられたものです。

外山氏は7年間のスウェーデン王立工科大学(KTH)留学時に博士論文「Identity and Milieu」(日本語訳:高齢者の自我同一性と環境:生活拠点移動による環境適応に関する研究)で、1990年度日本建築学会奨励賞を受賞されており、「高齢者施設の空間研究」の日本における重要人物です。

本書は、外山氏のスウェーデンにおける研究(1989まで7年間)を、日本で実践した成果です。
(スウェーデンにおける研究内容は、「クリッパンの老人たち」(ドメス出版)にまとめられています)

地域で住み慣れた高齢者たちが、生活の場を高齢者施設に移したときに感じる5つの落差(下記)を、いかに解消するか。
「自分らしさ」を損なうことなく生活を続けるために、施設空間のあり方や工夫について、氏が調査した施設、あるいは、手がけられた施設の事例の紹介等を交えながら論じています。

20年前の著作なので、挙げられる施設空間の工夫の中には、現在の水準からすると当然のこともあるかもしれませんが、それらの源流はここにあり、また忘れられていることもあり、色褪せることはありません。

  1. 空間の落差:
    空間にプライバシーが無くなること

  2. 時間の落差:
    施設・介護職員のスケジュールが優先され、自分のペースが無くなること

  3. 規則の落差:
    施設の集団生活の規則により、気ままに過ごせなくなること

  4. 言葉の落差:
    介護職員から、命令・指示型の言葉・子どもをあやすような言葉をかけられ尊厳を感じにくくなること

  5. 役割の落差:
    施設に入所し、一方的に介護を受ける「客体」になることで、家・地域で担っていた役割(些細であっても)を失うこと

目次

※医学書院のサイトより
プロローグ
I 地域と施設の生活の「落差」
 1 3つの苦難
 2 さまざまな落差
II 落差を埋めるための「思考」
 1 個人的領域の形成
 2 実証的「個室批判」批判
 3 中間領域の重要性
III 落差を埋めるための「実践」
 1 ユニットケア
 2 グループホーム
 3 協働生活型高齢者居住
エピローグ
インタビュー
参考文献
写真提供者一覧
追悼 あとがきに代えて(三浦 研)

抜粋

その人独自の仕方で長いあいだ住みこなされた住まいは、周辺に広がる地域社会とのかかわりをも含めて、その人の生活の中身や内面の軌跡と切り離しがたく結び合わされている。(P8)

人はこの目に見えない糸によって、ある思いを想起させられたり、ある行動へと導かれたりする。周囲の状況や環境をものともせずに内なる想いとエネルギーのままに突き進むことができる青年期とは異なり、老年期にはふとした周囲の物や事が引き金になって、行動へと結びついていくことが多いのである。(P9)

したがって、高齢期に長年住みなれた住まいを離れざるをえない事態に遭遇し、そこから"引き剥がされる"とき、その人が失うものは、たんに長年慣れ親しんできた物理的環境としての住まいだけではない。自分の生活を成り立たせ、コントロールさせてくれていた生活の枠組み、日々の営みのリズムや動機を与えてくれていたパルスの発信源をも失ってしまうのである。(P9)

福祉施設などの個室化論議において従来見落とされてきたのは、「その人にとっての身の置き所の保障」という視点である。それは、たんに物理的に一人部屋が確保されることとは異なる。たとえ一人部屋が与えられたとしても、まったく私物のないよそよそしい空虚な空間であったならば、それは独房あるいは保護室ではあっても個人の生活領域とはなりえていない。また、その部屋が中間的な分節空間を経ずにいきなり集合的な大空間に接していたりすれば、入居者間の自然発生的な人間関係は容易に編み上げられない。つまり、安心感を醸成してくれる馴染みの関係はきわめて形成されにくいのである。(P41)

さて、所有家具をはじめとする私的な持ち込み物は、当初用意された「一人部屋」としての空間が「自室」として認識され、自己の「身の置き所」として拠点形成されていく過程において、決定的に重要な役割を果たす。それは一日の生活時間を充たしていくための基本的な生活行為や趣味、楽しみといった個人的活動をするうえでの道具立てや仕掛けといった意味合いにとどまらない。その入居者の過去からの生活あるいは人生の反映であったり、個人的嗜好や人格の表出であったり、さらには他者との関係構築の手掛かりになったりするのである。(P42)

また自宅からの入居者であっても、入居時点で一挙に地域での生活の場の再現を実現しようとするケースはまれで、徐々にそこでの生活に馴染んでいく過程のなかで、いいかえれば施設におけるその生活の場が自分の住まい、「身の置き所」であると感じられるようになるにしたがって、入居者は私物を少しずつ整えていくことが明らかとなっている。そしてそのことがさらに、そこが自分の「身の置き所」であるという認識を強化していく。このように、「相互作用のプロセス」として居室の個人的領域化が進んでいくということが見えてきたのである。(P45)

入居者が主導権を握れるこうした「中間領域(セミープライペートゾーン)」が生成されるための仕掛けを施設空間内に豊かに用意する一ーこれが健築計画・設計時の重要なテーマとなる。(P46)

それと並行して、他者(職員、家族、友人)がこの領域に出入りする際の意識に変化が生じ、領域の管理(コントロール)に関する主導権が入居者の側に固まっていって、入居者と他者との関係性が変化していく。また、この領域を「訪問する」、あるいはこの領域へ「呼び込む」といった入居者間の交流をとおして、密度の濃い特定の人間関係が醸成されていくのである。(P49)

どのような形態の施設であれ高齢者がそこで「自分自身になれている」ことの重要性である。心身機能はたとえ衰えても、自分の人生の主人公は自分であり、それはほかの誰にも代わってもらえないし、自分の人生は自分で引き受けていくしかないという自覚である。読者の皆さんのなかには、「ほとんど介護者のケアに支えられて日々が成り立っている重度の高齢者にとっては“主人公”もないだろう」と思われる方もおられるだろう。しかし、たとえ自分では寝返りを打つこともできないほど身体機能が衰え意識が弱くなっていても、自分の欲求や願いにこたえてくれる人や環境が用意されていれば、「自分でありつづける」ことが可能であると私は思っている。(P131)

生命力を取りもどすこうした変化は、「環境を味方につけたケア」が展開されるとき、すなわち、ほっと安心できる身の置き所、「その気」になりやすい空間やしつらえ、身体の延長として働き身体機能の欠損を補ってくれる道具や機器、そうした環境が整ったなかで、スタッフが適切なモチベーションのボタンを押したとき、「出来事」として起こるのである。(P133)

同じく自己回復を遂げていくうえで重要な役割を果たすと思われる現境からの力に、「生活の記録としての居住環境」「生活が累積していった地層としての居住環境」という視点がありうる。逆に人間の側に引きっけていえば、「環境をつくり上げてきた主体」としての入居者という視点でもある。(P134)

たとえば、病室のベッドまわりに置かれているさまざまな物品を、その種類別(医療・看護関連、生理・衛生関連、生活関連、趣味・文化関連等)、それを管理している人別(本人、家族、看護師等)に分類し、三次元的に分析していくと、その患者のベッドまわりに、その人が直接・間接的につくり上げた療養環境が見事に浮かび上がってくる。入院期間が長期にわたればこの物品の集積は進んでいくし、これが居住施設であればさらに物品の種類の幅が広がる。(P134)

自分自身の心身の状態、身体の大きさや動きに合わせて、また一日の生活の流れにしたがって配置された物のもつ意味は、「住み手」にとってたんに機能的な役割にとどまらない。父祖から代々引き継いで大切に使いつづけている物はいうに及ばず、街や旅先で見つけ購入した物はそのときの状況やエピソードを喚起するし、人から贈られた物はその人物のことやその人への想いを呼びもどしてくれるだろう。そうした「物」を媒介にして人は過去の出来事とつながることができるし、人や社会ともつながっている。そのことが会話や行為のなかで呼び覚まされるときはもちろんのこと、ただそれらに取り囲まれているだけで安心し、自己のアイデンティティが補強されるのである。そして、この「物」のもつ意味は、加齢が進み、記憶障害が出はじめるとへなおいっそう大きくなる。かれらはこうした「物」の存在の助けがないと、過去の出来事や人とのつながりを思い出すことが容易にできないからである。(P135)

補記

京都大学の建築学科といえば、西山夘三氏(1911-1994)による「住み方調査」が代表的です。
(建築家による)建築が主な対象としてきた資本家や権力者ではなく、
庶民に焦点を当て、様々な地域の(柳田國男・今和次郎に倣い)民家の生活実態を、平面図・しつらえの書き起こしとインタビューにより明らかにすることで、住み方の法則(食寝分離論へ)を見出し、戦後の住宅計画(官による住宅供給)等に影響を与えました。
しかし、この「住み方調査」の研究は、地域や階層ごとの住環境の傾向の抽出が主な目的であり、現代で重要と思われる、「一人一人の顔が見える」といったものではありません。

外山氏の、スウェーデンのサービスハウス(日本における、サービス付き高齢者住宅のようなものです)に住む高齢者たちの環境移行(引っ越し)の、
beforeとafterの住空間と、そこでの住み方に着目した研究は、
そういった「住み方調査」が、40年ほどの時を経て、より個人にフォーカスしたものになったとも考えられるとも思うのですが、どうでしょうか…。

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