#サクッと読める読み物
【エッセイ】看板に偽りあり
うかつなことに、カモシカは鹿の仲間でなく、牛科であると知らずに生きてきました。
そこで思い出されたのが、上野動物園のタテガミオオカミです。「オオカミではありません」と、大きく看板に書かれていました。ちなみに、うなじの毛も黒くて逆立ってるけど、タテガミと言うほどでもないような。動物界の二重に「看板に偽りあり」動物として、貴重な存在なのかもしれませんね。
いや、あんた、タテガミもなく、オオカ
【エッセイ】そして、カレーうどんに至る
カレーライスが好き、そしてうどんもまあ好き。だからといって、カレーうどんが大好きだとならないのは何故なのか。カレーにはやはり飯が合う、なんてこだわりもないようなものだが。
一体、カレーうどんを最後に食べたのはいつのことだろう。
関西のうどん文化で育ったものだから、東京で評判の蕎麦屋に入って値段に驚かされたことがある。ひょっとしてもはや大衆料理ではない? 高いばかりで若い胃袋には全然物足り
【エッセイ】絶滅仕事図鑑
近い将来、自分の仕事はAIに奪われるのではないのだろうか……そんな不安を抱いてもどうしようもない。何年後かには確実にそうなる。そのときのために備えておく。
なんて考えると、一見ポジティブなようだけど、では具体的にどう備えるのかとなると、何の知恵も浮かばない。
そうなると、人はちょっとばかし後ろ向きになるものらしい。どんな仕事が生き残るだろうかと頭を働かせるよりも、そういえば、一昔前、いや
【掌編】カラスとハーモニカ
緑地の川沿いの遊歩道を散歩していると、どこからともなくハーモニカの旋律が聞こえてくる。初めは、ラジオからでも流れてきたのかと思った。台風一過の土曜日の昼下がり。
勇ましい行進曲のようだった。それがハーモニカの哀愁を帯びた音色で奏でられると、聞き覚えはないけれど、どこか懐かしさに似た感覚に捉えられる。どこから聞こえてくるのだろう、ランナーや家族連れの邪魔にならないように立ち停まって、しばし耳を
【掌編】未明の蕎麦屋にて
仕事が夜勤であるから、始発電車を待つ間に飯を食う機会が少なくない。あちこちの現場へ行っても、定番のチェーン店ばかりなので、非常事態宣言時のことを思い返すと深夜・早朝に営業しているだけでありがたいけれど、どうしても飽きてしまう。
だからというわけでもないが、最近は始発までの時間、一駅か二駅分ぐらいなら歩くことにしている。するとすこぶる体調が良いのである。
ところが、初めて下車したその町のガ
【エッセイ】心配事のほとんどは起こらなかったのか?
ふと、たしかマーク・トウェインに「心配事のほとんどは起こらなかった」というような言葉があったはずだが、と検索してみると、『心配事の9割は起こらない』という本がヒットした。もちろん、作者はマーク・トウェインではない。
その本の著者は禅僧にして大学教授、庭園デザイナーという方で、『減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』という副題から、ジャンル的には自己啓発本に入るかと思われる。売る方は「減らす、手
「ヘビとサソリ」サソリの章
生理的嫌悪ということでは、会社の同僚だった山王丸さんのことも忘れ難い。転職すれば、去る者日々に疎しで、慕っていた上司や可愛がっていた後輩のこともしだいに忘れてゆくものであるが、山王丸さんの記憶は墓場まで持って行くのだろうな、とふと思う。転職ばかりの半生で、どこに行ってもソリの合わない人はいるし、サイコ野郎、ハラスメント上司、犯罪者も見てきたけれども、嫌悪を催すことにかけては随一であった。中途採用
もっとみる「ヘビとサソリ」ヘビの章
蛇蝎の如く嫌う、あるいは、嫌われる、という表現がある。ヘビとサソリが、当たり前のように嫌われ者の代表選手になっているのは、何故なのか。ここでの嫌うというのが生理的嫌悪感であることに注目したい。人は、獅子虎の如く忌み嫌うとは、決して言わないのである。
もちろんヘビやサソリをペットにする人もいるだろうが、極めて少数であり、それは進化のちょっとした揺らぎのようなものでないのか、敢えて生理的嫌悪感を克
生理的嫌悪感について
生理的嫌悪感について語るのは、難しい。思い出すのは、あるライターが、元プロ野球選手について、顔には生理的な嫌悪を感じるけれど、解説は良いなんて書いた一件である。当の解説者が「親から貰った顔、傷つく」と反応したことからちょっとした騒動が起こり、結果、記事は修正、それから削除、編集長が謝罪に追い込まれたように記憶している。
顔に生理的嫌悪を感じるというのは、ルッキズム云々の前にそもそも失礼であっ