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【エッセイ】禿頭考

 ある朝、ひどく気がかりな夢から覚めて洗面所で鏡を見ると、あろうことか頭髪がすっかり抜け落ちている、そんな夢を見た。思わず洗面所へ駆け込んで確かめずにいられないほどリアルな夢だった。

 精神分析学なら、どんな風に解釈するだろうか。どう考えたってフロイトの唱えるエディプス・コンプレックスだとか、ユングの唱える元型などではこの夢は説明できない。とはいえ、どうやら私の無意識の領域に深く関わっているらしい。

 思うにただ頭髪を徐々に失う憂鬱に、無意識もへったくれもない。そんな憂鬱を感じるどころか、そもそも髪の心配などしたことがなかった私が、無意識のうちに禿げることを恐れていたなどあり得るだろうか。

 役者やタレントがやたらカツラや植毛を利用するから、禿げに対する偏見が生まれるというのが持説であった。格好の良い男性は齢を重ねても髪がふさふさなはずだと思い込んで、薄くなった自分の頭が受け入れられない。

 髪がぼーぼー、ツンツンであった私は、むしろ禿げに憧れるところがあった。だから、久しぶりに会った友人の後頭部が寂しくなっていても、とくに気にすることもなかったし、帽子でスキンヘッドを保護することにも賛成だ。愛読していた映画雑誌(かつてそういうものが存在した)の俳優のヅラ疑惑追求コーナーのキャッチフレーズ「ヅラを憎んでハゲを憎まず」通りだったのである。

 しかし、全ては他人事だったのかもしれない。

 長年ヘルメットを被るような仕事をしているせいか、最近だいぶ髪のボリュームが減って、白髪が増えてきたのは齢相応だとしても、油気を失ってなんだかパサパサしてきた。そうなると自分事の不安が萌してきたということなのだろうか。

 ずいぶん以前のことになるが、牙の生えていないゾウが増えてるというニュースを目にした。それはつまりどういうことかと言うと、立派な牙なんか生やしていると密猟者に狩られてしまうから、自然淘汰ならぬ密猟者淘汰が働いて、牙が生えていないゾウの遺伝子が生存に有利に働いたということらしい。

 一口に「ハゲ」と言っても、二十代と七十代では大きくその意味が異なるが、言うまでもなくここで問題とするのは、繁殖(自らの遺伝子を残す)という観点である。

 もし本当に禿頭とくとうが女性にとって忌まわしいものだとしたら、その遺伝子はとっくに淘汰されているだろう。とすると、髪の有無は性選択において、実は重要な役割を果たしていないことになるのだろうか。

 およそ二十万年に渡る人類の歴史において、生殖年齢にある男性の薄毛が淘汰されなかったという意味は大きい。これほどカツラ、育毛剤、植毛技術が一大産業となっているにもかかわらず、禿げには何か有利な点があるのかもしれないのである。

 たとえば、男性ホルモンの過剰が抜け毛を促すという説、というか噂。これが本当なら、薄毛は女性に対する強烈なセックスアピールになるけれど、普通に考えれば加齢によるテストステロンの減少の方こそが禿げの一因であろう。

 他に何か利点が考えられるだろうか? ないならば、カツラの発明が、皮肉なことに、禿げの絶滅を防いでいることになる。あるいは又、メリットもないかわりに、デメリットもないということが考えられる。やはり♀が生殖の伴侶♂を選ぶ際に、頭髪の有無はさして重要なポイントではないということである。

 たしかに顧みれば、髪が伸びるのが早くて散髪代がやたらにかかるということはあっても、女性にモテてモテて困ったなどとという経験は一度もないではないか。

 陰謀論めくが、薄毛が女性にモテないなどいう言説は、カツラ・植毛・育毛剤業界が流す根拠のない噂の類いなのかもしれない。もちろん、好みのタイプなんてものは人それぞれ十人十色であって、中には禿頭は見るのも嫌だという人もいるだろうし、どちらかというとふさふさが好まれる傾向があるのかもしれぬ。しかし、顔、体型、性格、経済力、家柄、趣味など、他の要素と比べると、どの程度のウェイトを占めるのかは甚だ疑問である。

 と、ここまで考えてきて冒頭の夢に戻るなら、ふさふさだった私は無意識のうちに禿げに根拠のない優越感を抱いていたということになるか。そして、密かに禿げることを恐れていた、と。満員電車に揺られながら吊り革をしっかり握りしめて、座席を占める老若男女の頭頂部を興味津々観察する今日この頃なのである。

(了)

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