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熱に浮かされて

 ここ数年、年末年始になると決まって体調を崩すのは、気の緩みからではないのか。今年も一年、無病息災で過ごすことができ、晴れ晴れと正月を迎えられそうだ、そんな油断があるのかもしれぬ。その上、時節柄大っぴらにはできぬが、大勢で集まり大酒を呑んで(それも一度ならず)、免疫力がガクンと落ちた可能性もある。

 年の瀬、昼近くに目覚めて、猛烈な頭痛に自己嫌悪に陥る、また二日酔いかと。うんうんうなされながら、いや待てよ、これはひょっとして、とうとう……昨夜、居酒屋で感染したのかもしれぬ(もちろん、そんなにすぐに発症するわけがない。一定の潜伏期間中に酒のせいで免疫力が落ちて発症したような気がするのである)。ああ、止しておけば良かったと、今更後悔しても後の祭り、PCR検査は発熱していては受けられないし、それ以前にそもそも足腰が立たない。寝床で熱を計ると、40℃近くある。口の中がカラカラに乾いて、一人暮らしで誰と会話するということもないが、声が涸れて面白いほど言葉が出ない。

 特にこれといった予定があるわけではないが、又しても正月休みが台無しだと悲嘆に暮れる。時間ができたら読もうと楽しみにしていた分厚い書物(上下二段700頁超え、定価7000円超えの大作で、最年少でブッカー賞を受賞した話題作である)があるし、サブスクのマイリストもたまる一方だった。そして、何よりも文章が書きたかった。

 これが平日なら、ある意味で堂々と仕事を休めたものを、休暇に病むとはもったいない、その悔しさに身悶えつつも、気がつけば気を失うように眠りに落ち、自身のしわぶきに目覚めると日が暮れている。

 体の隅々まで行き渡る倦怠感と激しい頭痛、喉の渇き、だるい、たるい、何もする気がしない。ただここに横になっているだけで、存在しているだけで不快である。この存在そのものが苦痛であり、どう足掻いても逃れることができない。

 いつもなら起床には欠かせないコーヒーも淹れる気がしない、食欲もなく、冷蔵庫まで這ってゆき2Lサイズのミネラルウォーターのペットボトルをグラスを使わずじかにゴクゴク流し込むと、また寝床に戻る。このまま回復しなければどうなるのか、と不安がぎる。もう一度眠るなりしてこの不快の意識を無くしてしまえれば楽なのだが、何も整然と考えられない混濁した頭脳があれこれ不安な想いを紡ぎ出す。回復しなければ、心と体が以前の状態に戻らなければ……もう二度読むことできなくなる、能力の問題ではなく、知的好奇心の欠如によって。もう二度書くことができなくなる、創作意欲の喪失によって。いかなるアイディアも浮かぶことがなく、いかなる感動も心を捉えることがなくなる。何も考えられなくなる、それは死にも等しいことではないのか。

 体温が42℃を超えると、ヒトの脳細胞をつくるアブラが溶け出すという。だから、昔ながらの水銀式の体温計はそこまでしかメモリがないと、何かで読んだ記憶がある。あと、たった2℃! なんとヤワにできているんだろうかと嘆かざるを得ない。

 おそらくは又眠りに落ちた。そして又日が上り、やがて翳った。自身が寝ているのか、覚めているのか、その境界が定かではなくなって、白昼夢にうなされていた。夢を見ているということは、意識を失っていないということだ。何事か計算していた、かつて苦しめられた数学の試験を夢に追体験しているのかもしれないが、何度計算しても激しい頭痛に邪魔をされて解に辿り着かない。あるいは、端末を使って普段のルーチンな業務をこなそうとしているのに、どうやってもできない。こんなはずはないと、苦しみに悶えながら計算し、熱に浮かされキーボードを叩くが、何度でも振り出しに戻ってしまい、又始めからやり直す。永遠に続くような束の間の拷問だった。

 若い頃は風邪をひいても一晩寝込めば翌朝にはケロリと治ったものだった、というのもいい加減な記憶なのだろうが、それに比べれば、この苦には終わりが見えない。何時間、何日が過ぎたというのか、除夜の鐘はまだか、それとも年は明けたのか。幾度目覚めても、熱は下がらない。このまま脳のアブラが溶けて、計算も仕事もできない廃人になってしまうのではないのか。

 喉が潰れて声が出ず譫言うわごとを口走ることもできないせいか、戯言たわごとが脳内を駆け巡る。

(続く)

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