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四国・高松と松山の旅 上

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 私の趣味ですが、日常ではサウナに行くこと、書を読むこと、そして和歌(やまとうた)を作り、学ぶことです。

 歌は趣味といふほど軽いものではありませんね。歌と共に生きてゐますから。

 非日常の趣味は、旅です。まとまつた休みが取れたらどこかに出掛けます。旅の中でも、歌枕を訪ねること、鉄道に乗ること、そして温泉に入ることが特に好きです。
 この記事も標記のとほり、旅についてです。今回は、四国まで足を伸ばしました。

 どうか、最後までお付き合ひいただけたら幸甚です。

サンライズ瀬戸

サンライズ瀬戸 琴平まで延長運転してゐます。

 私の誕生日の前の日。東京駅からサンライズ瀬戸に乗り、旅立ちました。久し振りのサンライズ瀬戸。いふまでもなく、夜行列車です。

 前回は、高知県に谷秦山先生、鹿持雅澄、そして武市瑞山ゆかりの地を巡る旅をした時に乗りました(以下、「高知の旅」もご参照ください)。

 その時は個室でしたが、今回の座席は「雑魚寝部屋」ともいふべき、ノビノビ座席です。

サンライズ瀬戸 ノビノビ座席車

 かつての解放式B寝台よりプライバシーはありませんし、床も硬いのですが、安いです。枕はありませんが、毛布が一枚付いてゐます。

ノビノビ座席

 乗車券と特急券に、指定席券の追加で乗れるのですから、安いものです。設計にあたり、急行はまなすのカーペット車を参考にしたとか。

 東京駅に着いたのが九時四十分ころ。九番線ホームには、サンライズ瀬戸号が待機してゐました。列車に乗り込み、自分の席に行つて荷物を置き、しばらく写真を撮りました。

 私の席は、上段の4番C席です。

ノビノビ座席

 ところで、ある方から

 「ミニマリストの可奈子さんは、どんなカバンで旅行されるんですか?」

と聞かれました。今回もさうですが、前回の奥出雲・再会の旅で使つたのは、ワークマンで買つたボディバッグです。これが、収納に秀でてゐて、一泊二日程度の旅にはもつてこいです。

 よく、大きなゴロゴロ付きのかばんを引いてゐる人を見ますが、私からすれば夜逃げしてゐるやうにしか見えません。何を彼らは運んでゐるのでせう。謎です。
 しかも、敢へて言ひ辛いことを記すと、あのキャリーバッグつて結構邪魔ですよね。

ノビノビ座席

 定刻の九時五十分に、サンライズ瀬戸は東京駅を出発しました。この時点で、ノビノビ座席の乗客は十人ほどしかゐません。思ひの外、空いてゐます。外を見ると、遅くまで仕事をしてこれから帰る人や、イベント帰りと思はれる人の姿が見られます。
 列車は、順調に横浜駅に着きました。五、六人の乗客がありました。上段には、現時点で四席空いてゐます。下段は三席空いてました。
 熱海駅に着くまでの間、車内散策とラウンジで外を眺めてゐました。ぬばたまの夜更け、時間が止まつた暗闇の街を見ながら行く鉄道の旅は、夜行バスでは味はへない風情があります。

ラウンジ

 闇の向かうの相模湾を見てゐるうちに、列車は熱海駅に着きました。向かうのホームに、E257系が停まつてゐるのが見えました。

熱海駅

 熱海駅で、大量の荷物をもつたおぢさんが乗つてきました。眠くなつてきたので、自席に戻り、横になりました。この時点で、上下段合はせて五席空いてゐました。

サンライズ瀬戸 車内

 …さて、翌朝。

 起きたのは五時四十分ころです。姫路駅を出発して間もないころでした。外は生憎の空模様で、ザアザアと雨が降つてゐます。しかし、車窓に見える山にはもやがかかり幻想的です。

今回のきつぷ

 昨夜から首が痛く、寝返りをするのも困難な状況です。

 「首が回せない…」

さういへば、昨日のサウナでも痛かつた。

 今年は、サンライズ瀬戸の中で誕生日を迎へました(昨年は、奈良交通バスやまと号の中でした)。
 数へでは四十三ですが、満年齢では玉川可奈子、四十二歳、厄年。月に一度の休日は、創価学会員と激しく殴り合つてをります(念の為、これは鳥肌実のネタです。女性の厄年は三十三歳です。厄年など、坊主の金儲けのための口実なので、信じてません。さらに追記すると、何故か私のところには選挙前に創価学会員からの電話がかかつてきません。理由は察してください)。

 今年から、「孤高」を目標に生きて行かうと考へてゐます。

 雨のそぼ降る車窓を眺めてゐると、定刻六時二十七分、岡山駅に着きました。ここで、サンライズは出雲と瀬戸に分かれ、それぞれ山陰と四国に向けて走ります。私の乗る瀬戸はいふまでもなく、四国に向かひます。

 切り離し作業を見に行くと、人だかりができてゐました。

瀬戸と出雲の切り離し

 サンライズ出雲に先立つて出発し、サンライズ瀬戸は宇野線、瀬戸大橋線をひた走ります。
 児島駅に着くと、車窓には瀬戸内の海が広がります。サアいよいよ瀬戸大橋を渡ります。短い時間ですが、サンライズ瀬戸の旅のハイライトです。

児島駅を出ました。

 ひさかたの天つみ空を飛ぶが如く、いさなとる海の上を走るサンライズ瀬戸の車窓は、まさに絶景です。途中の島々には、民家が点在してゐます。

瀬戸大橋を渡ります。
橋の上から島を眺める。
島々の眺め。
島々の眺め。

 車窓左手に、柿本人麻呂が石中の死人に挽歌を詠んだ沙弥島を望めば(反対側なので見えません)、いよいよ四国です。そして車窓に香風園が見えてくると、七時九分、坂出駅に着きました。

坂出駅が近付きました。
サンライズ瀬戸の車窓 四国に入りました。

 車窓にうどん屋の看板が目立つやうになりました。

高松駅到着

琴電乗り潰し

長尾線

けふ、使ふきつぷです。
ことちやんが可愛いですね🤓

 高松駅に着きました。サンライズ瀬戸の高松駅到着は七時二十七分。岡山駅からちやうど一時間です。楽しかつたサンライズ瀬戸を降り、の写真を撮り、乗り越し清算(多度津から560円)をして駅を出ました。

玉藻公園看板
海水池
けふは魚の姿を見ませんでした。

 駅前の海水池を眺め、玉藻城跡を見、高松築港駅にきました。これから高松琴平電気鉄道(ことでん)に乗ります。

琴電高松駅
琴電高松駅
玉藻城 内堀

 なほ、玉藻城ですが、その名の由来は沙弥島で柿本人麻呂が詠んだ上記の挽歌に由来します。冒頭で、「玉藻よし 讃岐の国は…」と詠まれてゐるのが、それです。

玉藻城

 そして、高松城の城主であつた松平頼重は、水戸藩第二代藩主である義公・徳川光圀の兄です。兄を越えて家督を継いだ光圀は、戦々兢々の日々を送り、晩年になつて兄の子である綱條を養子にします。このことは、光圀の「梅里先生碑」にも書かれてゐます。詳しくは、水戸史学会会長の以下の書をどうぞ。

 高松築港駅は、玉藻城の石垣の脇に造られてをり、その石垣と堀がすぐそばにあります。堀を覗くと、小さなフグやハゼがゐるのが見えました。

 八時六分発の長尾行きの列車に乗つたのですが、瓦町駅で車両交換のために乗り換へました。
 瓦町駅は、思ひの外、大きな駅でした。乗り換へた車両も古く、昭和四十六年に川崎重工で作られたものでした(京急で運用)。私よりも十歳年上、大ベテランです。車内は結構揺れてゐます。住宅地の中を縫ふやうに走り、駅間も短いです。

琴電

 高田駅のあたりで、景色が変はつたやうに感じました。少しずつ、住宅地から田舎の景色に変化し、畑が目立つてきました。
 池戸駅には、有害図書を入れる白ポストがありました。私は教員時代から、「わが国の歴史の教科書(東京書籍とか山川出版とか)を捨てる」ように言ひ続けてゐましたが、効果はありませんでした。
 なほ、山川出版は、もういちど読むシリーズを出してゐますが、もういちど読む価値はありません。同じ会社が出してゐる図録を眺めてゐる方がはるかに有益です。

 学園通り駅に着くころには、車内は私以外に乗客は二人しかゐなくなりました。白山駅はその名の通り、すぐ近くに白山神社が鎮座してゐました。車内はついに、私だけになりました。二両編成のオールロングシート車を貸切つてゐる状態です。

琴電 車内

 公文明駅は「くもんみょう」と読みます。ここを発車すると、次はいよいよ終点の長尾駅です。

長尾駅

 長尾駅からJR高徳線の造田駅まで歩かうとした矢先、タクシー会社があつたので、乗ることにしました。寡黙な運転手は、何も話すことなく運転してゐました。造田駅まで1,310円。途中、タクシーの外を見ると、麦畑が目立ちました。青々とした穂を付けてゐました。

造田駅
造田駅

 造田駅に着くなり、すぐに高松駅行きの列車が来たので急いで跨線橋を渡り飛び乗りましたが、特急列車通過待ちのために十五分止まるとのこと。無駄足でした。

高松駅行き 高徳線

 造田駅と長尾駅の周辺には、静御前ゆかりの長尾寺や、古代サウナのから風呂など、いくつかの名所があるさうですがけふは先を急ぎます。

造田駅周辺観光MAP

志度線

平賀源内 出生地

 高徳線を、志度駅で降り、琴電志度駅から再びことでんに乗ります。志度は、平賀源内の故郷です。彼のお墓は私の住んでゐるところの近くですが、生まれた街に来たのは初めてでした。

 うなぎの支配する惑星に平賀源内が生まれたら、どのやうな仕打ちを受けるのか、中学生時代からの疑問です。

琴電志度駅

 志度駅から、再び瓦町に戻ります。

琴電志度駅

 小さいホームに入線してきた車両は、昭和四十九年に作られたもので、京王のお古です。

志度線 車両

 車内は女子中学生と思しき子が数名。いきなり騒ぎ出したと思つたら、虫が出たようです。

 「田舎の子が、虫如きで情けない…」

と心の中で云つたのは秘密です。

 九時三十四分に出発しました。原駅を出ると、すぐに志度湾が目の前に広がります。良い景色です。
 原駅の次の房前駅は「ふさざき」と読みます。藤原房前を連想します。房前駅を出発してから、少しだけ志度湾を見、塩屋駅に着きました。これで海とはしばらくお別れです。
 八栗新道駅に着いたころ、虫騒動で混乱してゐた中学生連中は落ち着き、スマホに興じてゐました。
 大町駅で反対方向から来た列車と交換しました。遠くの低い山にはもやがかかり幻想的です。車窓も住宅地ばかりで面白みにかけますが、マルヨシセンターや新鮮市場きむらなどの地元のスーパーが気になります。

 琴電屋島駅は、屋島の戦ひの地。那須与一の祈りが、そして、扇を撃ち落とした刹那の歓声。義経が弓を拾ふその姿が、瞑すれば見え、聞こえてくる心地がします。
 屋島の戦ひについて、引用したいのはヤマヤマですが、平泉澄先生の『物語日本史 中』(講談社学術文庫)をお手にとつてお読みください。

 列車と行き違ひ後、潟元駅、春日川駅、沖松島駅と列車は進みます。潟元駅と春日川駅間では、四国では珍しい大きな川を渡ります。
 車内を見て気付いたのですが、座席に

「この座席は7人掛けです。7人が座れるよう詰めておかけください」

といふ貼り紙がありました。これは、利用者が普段から詰めて座らないから貼つてあるのでせう。

 ところで、サウナが好きな私は、サウナ室内で広々と座つて詰めない客が嫌ひです。二人座れるところを一人で占拠してゐるのを見ると、イラつとします。ストレッチをしてゐる者や、タオルを絞る者は気にしませんが、詰めない者、五月蝿い者、ドラクエ行動(常に集団行動する者ども、ドラクエのパーティみたいだから、さう呼びます)が本当に嫌です。電車でも同じですね。ちなみに、今、私の目の前ですが、詰めない客が一人ゐます。

 考へごとをしてゐるうちに、瓦町駅に帰つてきました。ここから琴電琴平駅まで行くのですが、朝昼を兼ねた食事をします。

さぬきうどん食べ歩きMAP

琴平線

 まづは、瓦町駅から三分ほど歩いたところにある、さぬき麺之介といふお店に行きました。

さぬき麺之介
何にしませうか。

 肉うどん(599円)をいただきましたが、これが美味しいけど、美味しい。

肉うどん

 うどんも美味しいのですが、特に出汁が絶品で、さくさくの天かすをひたして食べると、まさに「食つてみな、飛ぶぞ」です。

 さらにお店をはしごしました。次は、商店街の中にあつた晴屋製麺所です。

晴屋製麺所

 かけうどん小(280円)を注文しました。レジのお兄さん、何を血迷つたのか、打ち間違へて4,180円を請求してきました。
 ここのうどんも、シンプルで美味しいのですが、流石に二杯目はキツい。

かけうどん小 わかめを添へました。

 一味唐辛子をふりかけて味変し完食しました。お店を出た後、レジのお兄さんが店先にゐたので、とても美味しかつた旨、お伝へしました。彼は、うどんが好き過ぎて東京から香川県に移住してきたといひます。

 瓦町駅から、みたびことでんに乗ります。最後は琴平線です。昭和四十二年生まれの車両で、けふ出会つた車両の中では一番年増です。
 中学生くらゐの少年が、たくさん乗つてきましたが、次の栗林公園駅で降りて行きました。車内が静かになつて良いです。
 一宮駅に着きました。念のため、讃岐国の一宮は田村神社です。田村神社は旧国幣中社で、御祭神は倭迹迹日百襲姫命ほか四柱。創祀は、和銅二年(七〇九)ださうです。

 岡本駅手前では、車窓左手に池が見えました。さういへば、香川県はため池がたくさんありましたね。それもあつてか、水田よりも麦畑が目立つて見えます。

ため池

 挿頭丘といふ、ゆかしい駅名の駅は、夏草に囲まれた小さな駅でした。
 綾川駅には、駅前にイオンモールがあるお陰か、若い人が随分降りて行きました。
 羽間駅のすぎ左手にも池がありました。旅人にとつて雨は好ましくありませんが、かたつむり、そして香川の人にとつて雨は恵でありませう。
 土器川を渡り、榎井駅を経て、列車は琴電琴平駅に着きました。そして、無事にことでんを完乗しました。

琴平線 車両

 これから雨の中、金刀比羅宮を参拝します。雨足が強いのが気になりますが…。

琴電琴平駅

琴平

 参道沿ひの街並みと、商店を見るのは楽しいものです。

参道を歩きます。
階段の前、いよいよ登ります。

 そして、七百八十五段の階段を昇ります。私は階段を昇るが好きで、かつての恋人からあべのハルカスの一番上まで昇つてみるのを勧められたくらゐですし、一時期、ダイエットの一環で階段ダッシュも行なつてゐました。

少しずつ登ります。

 傘を右手にギョサンで昇るのはある意味で苦難ですが、ギョサンは雨の日だからこそ強いです。滑らないし、靴と違つて濡れる心配がありません。

まだまだ登ります。
今ここです。
掃海殉職者顕彰碑建立の由来
掃海母艦はやせ主鋲錨

 楼門をくぐると、いよいよ清浄の空間に至ります。

楼門の前。街がよく見えませう。
楼門をくぐります。
平坦になりました。
まだまだ登ります。
本宮が見えてきました。

 二十分少々で本殿までたどり着きました。御祭神は大物主大神。一年前の誕生日、山辺の道を歩いた際に参拝した大神神社の御祭神も大物主大神です。神様に導かれてのことと思はざるを得ません。

 天子様の玉体安穏、を天壌無窮に祈願しました。

金刀比羅宮 本宮

 下りは楽々です。

 途中、神馬がゐました。私は馬が好きなので、しばらく眺めてゐました。とても、優しい目をしてゐて癒されます。そして、馬は繊細でとても優しい動物です。

神馬
月琴号 いいお年です。
ぷい😾
ルーチェ号 マヤノトップガンの産駒!
神馬

 そして、金丸座を見学しました。

金丸座
金丸座
金丸座

 金丸座は天保五年に建てられた現存する最古芝居小屋で、コロナ前は平成中村座もここで歌舞伎を披露してゐました。

金丸座
金丸座 奈落
金丸座

 中村勘三郎さんをここで観てみたかつたのですね。

金丸座 勘九郎は後の勘三郎さんです。

 この昇り降りで、うどん二杯分のエネルギー消費は、恐らく……できたでせう。

松山へ

琴平駅

 琴平駅に戻り、十五時十三分の高松駅行きの列車に乗りました。ここから多度津駅に出て特急に乗り換へます。

多度津駅へ向かひます。
高松駅行き普通列車 車内

 琴平駅では、特急南風が雨の影響で阿波池田駅止まりとなつてゐると放送が入ります。高知方面に行く人には申し訳ありませんが、阿波池田行きの特急南風は珍しいものです。どうやら、終日運転を見合はせるとか。しかもバス代行もないとのこと。

南風が阿波池田止まり!

 乃木希典将軍、空海ゆかりの善通寺駅を経て、多度津駅に着きました。

 特急しおかぜ17号の指定席券を確保しましたが、残念なことに、海側の指定席は取れませんでした。

 このあたりの駅では列車が接近すると、ご存知「瀬戸の花嫁」が流れます。

「瀬戸わんたん、日暮天丼、夕波小波そらーめん、あなたの島エビフライ、お嫁に行くのりたま、若いトンカツ、誰もがんもどき、心配するけれどーナッツ…」

瀬戸の花嫁

 と頭の中で変換されてしまひます。これを職場で歌つたら、年齢詐称疑惑をかけられました。まだ花も恥じらふ四十二歳です。ちなみに私、年齢より若く見られます。三十代前半と言はれることが多いです。

特急しおかぜ17号

アンパンマン小咄

 定刻の十六時二十四分より少し遅れて、しおかぜ17号は発車しました。反対側のホームにアンパンマン列車が来て、すれ違つて行きました。アンパンマンの創造者である、やなせたかし氏が高知県出身といふことにちなんでの列車です。

 ところで、アンパンマンて、ジャムおじさんの軍需工場で作られたアンパンマンといふ兵器が、バイキンマンといふ生物化学兵器と戦ふ内容の戦争もののアニメだと思ふのです。

 ちなみに、憲法九条に従へば、アンパンマンのゐる国はバイキンマンに攻められた時点で、降伏しなくてはなりません。残念なことに、バイキンマンは北朝鮮や中華人民共和国のやうな「平和を愛する諸国民」ではありませんでした。アンパンマンは海は弱いけど、陸と空では明らかに戦力です。いふまでもなく、憲法九条に違反してゐます。しかも、たまに現れるアンパンマンの味方が当然のやうに集団的自衛権を行使してくれます。私はそのやうにアンパンマンを見てゐましたし、政治経済や現代社会の授業で集団的自衛権や憲法の話をしてゐました。

 さう考へると、やなせたかし氏は「戦争はきらひ」と言ひながら、戦争物を創造する軍国主義者ですね。頭の悪い共産党の人などは、アンパンマンこそわが国の軍国主義化を招く元凶として槍玉にあげるべきではないでせうか。そして、その反対の立場の人は、アンパンマンをたくさん子供に見せて「国防教育」をすれば良いでせう。商売で保守をやつてゐる人の話しよりよほど役立つでせう(商売で保守やつてる人つて、自分がさうだと自覚してゐないのもゐるから面倒)。

 また、アンパンマンといへば、その主題歌で「愛と勇気だけが友達」であることを取り上げられ、笑ひのタネにされます。しかし、私はそのこと以上に、

「ああアンパンマン やさしい君は 行け みんなの夢 守るため」

といふ一節の方が残酷だと思ふのです。「アンパンマン、君は優しいね!良い人だね!」と持ち上げてから、「行け」といふ命令形の後に「みんなの夢 守るため」と続きます。これはもつと身近な例に置き換へると、学校等で「玉川さん、君は本当良い人だね、優しい人だね!ぢやあ、掃除全部やつといてね」といふのと同じです。
 私は思ひます。

 「そんな友達ならゐらない。アンパンマンと同じく、友達は愛と勇気だけで良い」

と。

松山到着

 閑話休題。車窓右手には遠く瀬戸内海。左手には琴電とさほど変はらない民家の景色です。退屈なので、読書をして過ごしてゐました。

 すると、車内清掃のおばさんが、ゴミ袋を持つて客席をまはつてゐます。これがまた親切で心を打たれました。平泉澄先生の『山彦』(勉誠出版)中にある「車内掃除」も四国でのことでしたが、奇しくも同じ体験をしました。

 列車は発車してすぐに、進行方向右側に瀬戸内海の景色が広がります。反対側から見ても、その凄さがわかります。
 そして十六時五十一分、川之江駅に着きました。指定席は満席といふ放送があつた割には、いくつかの空席が目立ちます。
 伊予三島駅では反対側からきたしおかぜと交換しました。
 十七時十二分、新居浜駅着。
 十七時二十分、伊予西条着。この駅には、かつてホームに湧水がありました。
 石鎚山駅で、列車交換を行ひました。車窓左手に見える小さい山にはもやがかかり全容がよくわかりません。
 車窓はしばらく海から離れ、あまりよく見えなくなりました。車内も空席が目立ちます。タオルで有名な今治駅を経て、伊予亀岡駅で特急列車との行き違ひました。待つてゐる間に十八時になり、外ではチャイムが鳴りました。そして十八時十三分、伊予北条駅着。さらに松山駅が近付いたあたりで、古への熟田津と考へられる堀江の海を見て、終着の松山駅に着きました。

 松山駅に着き、伊予鉄の路面電車に乗り大街道駅で降りました。

伊予鉄 大街道駅

 ホテルに行く途中、塩だれ油そばのお店で夕食をいただきました。なかなか美味しかつたです。

でぶ丼に惹かれます。

 そして前回、松山に来たときと同じ、チェックイン松山に投宿しました。

 お風呂に入つた後、マッサージを呼びました。女性の方で、足の裏からふくらはぎをオイルマッサージしてくれたのが効きました。旅先のビジネルホテルで、マッサージしてもらふのは、旅の楽しみの一つですね。

 明日は、松山市内を巡ります(ひたすら電車に乗る)。どうか、お楽しみに。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。(続)

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