見出し画像

まつのことのはのたのしみ その十二

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。和歌(やまとうた)と鉄道(まがなみち)そして、旅とサウナを好む玉川可奈子です。

 係長ガチャで苦しい思ひをした季節が終はりさうです。
 また気分転換をかねて、サウナ、リュック、生活面…色々と変へてみようと考へてゐます。

 最近は鉄道関係の記事が多くなつてゐるので、たまには和歌のことをば。どうか、最後までお付き合ひください。まつのことのはシリーズは読みやすいやうに手短に記してゐます。よろしければ、その一から通読いただけると幸甚です。

 和歌には、土地の名前が読み込まれたものが多くあります。
 歌に詠まれ、やがて、伝説的、かつ歌をする人たちの憧れになつた土地、または定型的に歌に詠み込む名所を「歌枕」といひます(当初の意味は、歌を詠むにあたり相応しい言葉といふものでしたが、平安時代あたりで地名に限られたやうです)。
 さう、藤原実方が「歌枕を見て参れ」と言はれた「歌枕」です。なほ、実方のことは以下に書きましたので、ご参照ください。

 私は、「歌枕」を訪ねるのが好きで、しばしば行つてみるのですが、「歌枕」を実際に訪ねてみると、歌に詠まれた景物と現実が違ふなと感じることがしばしば起こります。
 それは、土地が時代とともに変はつたこともありますが、多くの歌人は歌枕を実際に見てゐないのです。彼らはつまり、歌枕と呼ばれてゐる土地に行かずに想像と人から聞いたことを元にして歌を作つてゐたと考へられるのです。

 実際に、当時の交通事情で歌枕を見に行くことはとても難しいことでした。鉄道もない、バスもない。もちろん飛行機もありません。
 旅は常に何かの官命を帯びてゐると同時に命がけでした。だから、『万葉集』の時代には望郷の歌や、家に残した妻を思ふ歌がたくさん生まれたのでした。
 多くの歌枕は都人の想像によつて「作られ」と言つても過言ではありません。しかし、だからといつて歌枕の価値が下がるわけではありません。


 私の歌の先生は、私にかう言ひました。

 「そこに梅がなくても、うぐひすが鳴いてゐなくても、あるかのやうに作る。これが和歌の本質です」

と。
 何かを感じることは、和歌を作る上でもつとも重要なことです。歌枕も同じです。そこに、海がなくても、山がなくても、まして、千賀の浦や沖の石がどのやうなものかわからなくても、想像して作つて良いのです(ただし、宮城野の萩のやうな定型的な用ゐ方をする歌枕もあります)。

沖の石
「百人一首 二条院讃岐の歌
我が袖は 汐干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし」

 そして、さうすることによつていにしへびとと言葉と心で結ばれるのです。なんと素敵なことでせう。それが和歌の面白さでありませう。

 ところで、府中に鎮座する大國魂神社をご存知でせうか。

 鳥居の前の信号を渡つた前には、万葉の次の歌碑が建つてゐます。

 武蔵野の 草葉もろむき かもかくも 君がまにまに 我は寄りにしを

万葉歌碑
写本から取つた字なのでとても上手

 巻第十四に収められた、東歌です。「武蔵野に生える草がなびくやうに、私はあなたに靡いてしまつてゐます」といふ女性の立場の歌です。かういふ歌を、好きな人に送りたいものです。

 もちろん、この歌の中の武蔵野が、府中のこのあたりと断定することはできません。しかし、このあたりのいにしへびとが、この歌を歌ひ生活してゐたと考へることはできませう。その方が面白いですし、私はさう考へます。

 なほ、大國魂神社の近くには、chaiといふ名のカレー屋さんがあります。とても美味しいので、興味がある方は行つてみてくださいね。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。
 読者の方の身近にも、きつと和歌とつながりある土地があるでせう。機会があれば、探してみてくださいね。私も歌枕を訪ねる旅を続けることといたしませう。(続)

この記事が参加している募集

古典がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?