【日本語】強調表現のインフレについて
若い人は無意識に使っているだろうが、私のような老人には、
「めっちゃ」
という言葉がめっちゃ使われているのは、いまだに気になる。
veryに当たる方言は、九州北部の「そーちゃん」、愛知の「どえリゃー」、北海道の「なまら」など、各地にある。
「めっちゃ」は関西の方言だが、漫才ブームで1980年代以降に全国に広まった。
今では方言という意識がなく、全国で使われているだろう。方言から共通語に格上げされた言葉の代表例だと思う。
「めっちゃ」が多用されるのは、ダウンタウンなどの偉大な影響力もあるが、「とても」「非常に」のような強調の副詞を、人々が常に探し求めているからでもある。
何かを人々に伝えたいとき、それが「非常」なものであることを示すと、注目度が増す。
「とても」などの普通の言葉では「非常」の意味が出にくい。そこで新しい言葉が工夫され、表現が過激になる。
「激おこプンプン丸」などのギャル語はその強調表現の宝庫で、教室の内外で日々新しい誇張された(で、ちょっとかわいい)言葉が生まれているだろう。
言葉のプロである編集者やコピーライターたちも、そうした表現を常に探している。私も編集者時代は、宣伝文句に「圧倒的」「超ド級」などの言葉を何度も使い、もっと強い表現はないかと思っていた。
メディアは、そうした強調表現をよく使うーーそして、しばしば使いすぎになり、言葉のインフレになる。
最近の「〜すぎる」は、当初は新鮮に思われた強調表現だった。
「非常に美しい」の代わりに、「美しすぎる」を使う。
しかし、この「〜すぎる」も、「〜のリアル」と同様、とっくに使われすぎだと思う。
「ガチ」「ガチで」は、本来若者の口語だったと思うが、いまはその若者たちが大人になり、普通の広告に出てきてもあまり違和感がなくなった。
「たった1つの」という表現も、ひところよく使われた。これも、ある種の強調表現だ。
「出世するためのたった1つの〜」というように。
話題の三浦瑠麗氏のツイートのおかげで、最近「端的に言って」が、これに加わった。
「端的に言って、幸せすぎる。」
「端的に言って」と「〜すぎる」の合わせ技で、「幸せ」を強調している。
「端的に言って」に、知的な感じがするのがポイントだ。「めっちゃ」にはない味だ。
「端的に言って〜すぎる」が今年の流行語になりそうだと、作家の百田尚樹氏もツイートした。
「端的に言って、めっちゃラクで、儲かりすぎる、たった1つの投資術」
のような見出しが現れる日は近いと思う。
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