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マスコミは信用できるーー「ジェンダー」「性的指向」「憲法9条」のことを除いては

日米共通の「マスコミ憎悪」


アメリカの若い政治学者(コロンビア大学リサーチフェロー)、リチャード・ハナナイア(Richerd Hanania)氏が、1月18日に投稿したメディア論が、ネットで注目を集めている。

「メディアは正直で善良だ:ニヒリズムに陥ることなく報道機関を批判する Why the Media is Honest and Good : How to critique the press without devolving into nihilism」


注目されたのは、今どき「メディアを信じろ」という主張が珍しいからだろう。皮肉や逆説ではなく、真面目な議論である。ハーバード大のスティーブン・ピンカーなどもリツイートしていた。


日本では「マスゴミ」などと言われるが、「マスコミ不信」「マスコミ嫌い」は現在、日米共通の現象だ。

とくに保守派は、リベラルなマスコミを憎悪しており、マスコミ批判が(ハナナイアに言わせれば)趣味のようになっている。それも日米共通だろう。

国際政治を専攻するハナナイア自身は、基本的にリバタリアニズムの保守的スタンスで、反wokeであり、知り合いの多くは保守派だという。

しかし、保守派の「マスコミ憎悪」には同調しない。彼の議論のあらすじは、以下のようになる。


・主流メディアは、間違いも起こすが、基本的に信頼できる。何と比較するかにもよるが、右翼メディアや右翼コメンテーターよりはるかにましである。

・リベラルメディアは、基本的に嘘をつかない。だから、基本情報を得るのに、保守派もそれに頼るしかないし、それで大きな問題はない。

・ただし、リベラルメディアは、「人種、ジェンダー、性的指向」のことになると、突然に狂う。それらについては信用できない。

・しかし、それらのテーマでも、リベラルメディアは「嘘をつく」わけではない。事実の解釈で間違えるだけである。

・主流メディアに代わる代替メディアは現在存在しない。基本的に事実を伝えている主流メディアを信じないと、我々はねじ曲がった情報に頼ることになるか、ニヒリズムに陥る。そうすると、ソーシャルメディアも含めて、正しい方向に変えることも難しくなる。

・だから、リベラルメディアを含めて、主流メディアを全否定することなく、もっと冷静に付き合っていくべきだ。

筆者は、こう結論している。

「メディアの特定の部分、特定の記事や間違った語り口を、どうしてもそうすべきなら特定のジャーナリストを、憎むのは構わない。
 しかし、少なくとも事実に基づいた正確な情報が発信される、機能的な社会の中で生きたいと思うなら、メディアへの憎悪はどうぞ控え目にしてください。」

(Hate certain parts of the media, including specific articles, false narratives, and even, if you must, individual journalists who represent the worst of their profession. But if you care about having a functional society in which forming accurate perceptions of at least some portions of reality is possible, please temper your criticism.)


日米の「マスコミ」の分類


言葉を少し定義しておくと、ここで「主流メディア Main Stream Media  MSM」とは、以下のようなメディアのことだとしている。

アメリカの主流メディア

<リベラル派>
ニューヨークタイムス、ワシントン ポスト、3 大テレビ ネットワーク(NBC、ABC、CBS)、CNN、ロイター、アトランティック、など

<保守派>
ウォール・ストリート・ジャーナル、フォックス、など (右翼のニューヨーク・ポストやデイリー・メールなどは含めない)

ここで、論文の中でも、上記のようなリベラル派・保守派を含めた既成メディア全体を「MSM」としている場合と、とくに保守派の憎悪の対象となるリベラルメディアを「MSM」としている場合があるようだ。

いずれにせよ、ここでいう「MSM」は、日本で言う「マスコミ」とほぼ同じだろう。主要新聞、地上波、およびそれらが運営する各種電波、ソーシャルメディア、という感じだろうか。

日本のメディアに対応させると、以下のようになるだろうか。

日本の主流メディア(マスコミ)

<リベラル派>
朝日、毎日、中日(東京)などのブロック紙、主要通信社、多くの地方紙、地上波テレビ、など

<保守派>
読売、日経、産経、一部の地方紙、など

「読売、日経、産経」を一緒くたに「保守派」とするのは違う気がするが(学者はどう分類しているのだろう)、同じ「マスコミ」と見られているのは間違いない。(ここで雑誌や夕刊紙は、たぶん微妙な位置にある)

日本には、アメリカのフォックスのような保守のテレビ局がない。フジも日テレもテレ東も、朝日やTBSのように青木理のような人は出さないにせよ、おおむねリベラルに追随しているように見える。その分、日本のテレビは政治的自由度が低い。

また、ハナナイアが上記の論文で、主流派ではなく、嫌悪感を与えられるが、興味深いメディアとして扱っている「VICE」に匹敵するようなメディア(一種の保守アナーキズムというべきか)も、日本にはない と思う。

いずれにせよ、日本でもアメリカでも、既成メディアではリベラル派が多数派である。主流メディアの主流派はリベラルだ。だから「主流メディア」「マスコミ」=「リベラルメディア」と見られるのだろう。

メディアの信用とその限界


かつてメディアの中にいた者として、このハナナイア氏の意見には基本的に賛成だ。

主流メディアは、自分たちの売り物、自分たちの生命線が、「事実を伝えること」であるのを知っている。だから、「事実と違わない」記事を書くことをみっちりと仕込まれる(そこで、事実を曲げずに記事に角度をつける「偏向」の秘儀を教わる、とも言えるが)。

ハナナイアは、保守派のフォックスですら、2020年の大統領選でバイデンがトランプに勝ったことを認めた例を挙げている。フォックスは、それによって、右派の視聴者をかなり失ったが、それはフォックスにとっての名誉だった。メディアとしての信頼性を守ったのである。

そのモラルがある限りは、いかに欠点があろうと、トランプが勝っていたというメディアや、まして1・6事件(議事堂襲撃事件)を肯定したり、ワクチン陰謀論を好んで広めるようなメディアよりもましだ、というのは、日本のメディアについても、その通りだと思う。

だが、重要な例外がある。

「テーマがリベラルの「聖なる三位一体」、つまり人種、ジェンダー、性的指向(race, gender, and sexual orientation)のことになると、信頼性は失われる。しかし、その場合も、問題は嘘でも、イデオロギーでもない。こうしたテーマでも、リベラルメディアが提供する事実は、正しいことが多い。ただ事実の解釈が間違っているのである。」

There is a major exception when it comes to the “holy trinity” of liberalism, that is topics having to do with race, gender, and sexual orientation, but even here the problem is not lies as much as that the press is blinded by ideology. The facts they give you even on these sensitive topics are usually correct, but it’s simply that the interpretation of these facts is wrong.


リベラルメディアが特定の問題、ハナナイアが「三位一体」という「人種、ジェンダー、性的指向」に関して、決まって「狂う」というのも、日本でも同じだと思う。

最近のcolabo問題も、ジェンダーに関わるから、日本のリベラルメディアが早速「狂っている」と見える。

この「狂気」を内包する限りは、私は「メディアを信じろ」とは言いづらい。


日本のメディアを発狂させる「三位一体」


ただし、日本の場合は、「人種」はアメリカほどまだセンシティブなテーマではない。

最近、アイヌの問題が、日本におけるその問題のようになりつつある(あるいは左翼が問題にしようとしている)のかもしれないが、まだマイナーだろう。

その代わり、日本の場合は、アメリカではそれほど対立軸とならない安全保障問題、とくに憲法9条に関して「狂う」。

政治家や文化人が改憲に触れる政治的リスクは極めて高く、そのため率直な国防論議ができない(ウクライナ戦争で改善されつつあるが)。その状況の多くはメディアが作り出している。

改憲派と見ると、リベラルメディアは牙をむく。「アベガー」もそれだったと言えるだろう。見方によっては、それで政治家の命まで奪う。

この問題になると、いわゆるハト派の意味での「平和主義」も、ガンジーの「平和主義」も、日本共産党の「平和主義」も、全部一緒になる。メディアに知性がなくなり、あからさまに党派的になるのだ。メディアのそうした「発狂」を、私はその発生源近くで何度も目撃してきた。

だから、日本のメディアが正気を失う3つのテーマは、「ジェンダー、性的指向、憲法9条」だと私は思う。


リベラルと左翼の違いに敏感になろう


なぜ、特定のテーマに限って、普段はまともなメディアが正気を失うのか。

それについては筆者はここでは論じていないし、私も完全にはわからない。

しかし、日米のメディアで、同時に同じようなことが問題になっているのがわかる。

colabo問題を見ていると、「ジェンダー」をめぐっては、政官にマスコミを加えた利権構造があるのかもしれない。マスコミも含めて、彼らは天下りで「理事」などの役職を得るのにとても熱心だが、そのあたりは私の知らない世界だ。


私は、リベラリズムを守る目的から、左傾した日本のマスコミをずっと批判してきた。

上記の問題は、リベラルメディアが、左翼(とくにフーコー流の文化左翼)の思想を無批判に受容するから起きる、と思ってきた。

ハナナイア氏は、「三位一体」にイデオロギーの影響が少ないように書いているが、私は日本ではやはり影響があると考えている。共産党や新左翼の存在感や、「マルクス学」が重きをなしてきたアカデミズムの性格でも、日本はアメリカとかなり違う。

(そもそも「突然狂う」のは、思考の結果ではなく、イデオロギー的な脊髄反射である証拠に思える。)

私は左翼の存在そのものは否定しない。しかし、日本の主流マスコミの中の左翼は害悪でしかない。アメリカに劣らず、あるいはそれ以上に、メディアが政治に影響力を持つからなおさらだ。それが、私の体験からの教訓だ。

それなのに、メディアの中の人も含めて、人々はリベラルと左翼の違いにあまりに鈍感なのだ。(たぶんアカデミズムでもそうだと思う)


ここでは、以下に(単純化を恐れず)図式化し、見分けやすくしておきたい。


リベラルは、言論を抑圧しない。左翼は、言論を抑圧する。

リベラルは、個人の自由を尊重する。左翼は、徒党を組む。

リベラルは、ダブスタに敏感。左翼は、ダブスタに鈍感。

リベラルは、自活する。左翼は、タダ乗りが平気。

リベラルは、現実的改良を語る。左翼は、夢のような理想を語る。

リベラルは、手段そのものの正当性を求める。左翼は、目的が手段を正当化すると考える。


メディア・リテラシーとして、日本の読者や視聴者にも、その違いに敏感になってマスコミと付き合うことをおすすめしたい。





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