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出版「団塊」時代の終わり 目黒考二氏と北方謙三氏の報道に接して

「本の雑誌」創刊者で文芸評論家の目黒考二(北上次郎)氏の死去と、直木賞選考委員からの北方謙三氏の退任が、ほぼ同時に報道された。

偶然とはいえ、この2つのニュースが重なったのは、かつて出版界にいた者として感慨深い。

目黒氏も北方氏も、団塊のど真ん中世代だ(目黒氏1946年、北方氏1947年生まれ)。

1つの時代ーー団塊世代(漫画の「島耕作」の世代)が出版界で重きをなした時代、が終わった、という感慨があるのだ。


「本の雑誌」創刊者で、文芸評論家・北上次郎、競馬エッセイスト・藤代三郎の名で幅広く執筆活動をしていた目黒考二(めぐろ・こうじ)さんが、今月19日に肺がんのため亡くなったと公式サイトが伝えた。76歳。(Yahoo!ニュース 1月25日)


日本文学振興会(東京都千代田区)は24日、作家で直木賞選考委員の北方謙三さん(75)が19日に行われた選考会を最後に退任したと発表した。(時事ドットコム 1月24日)


「団塊」以外で、2人に共通するキーワードは「冒険小説」だ。

目黒考二(北上次郎)氏は評論家として、北方謙三氏は実作者として、1980年代から2000年代前半まで出版界を席巻した「冒険小説ブーム」にかかわった。

もっとも、北方謙三氏の出発点が日本冒険小説大賞(「眠りなき夜」で第一回受賞者)だったことは、もう忘れられているかもしれない。目黒氏の代表作は「冒険小説の時代」「冒険小説論」だ。

彼らは、それまでの「SF」作家を駆逐して、しばらく文壇の覇権を握る。編集者は、SF作家クラブではなく、冒険小説作家クラブに集まるようになった。

私は以前、「『団塊文学』としての冒険小説」というのをnoteに書いた。それに、以下のように書いている。


その小説は、団塊世代の左翼的な価値観を基本にしている。

テーマは、反体制、反国家、反資本主義、反米、第三世界へのロマン、警察の腐敗、など。

そして、全共闘の敗北以降、価値観を喪失した者のニヒリズムが投影されているのも特徴だ。

ハードボイルド小説の形を借りた、一種の社会派サスペンスだった(高村薫は第二の松本清張と言われた)。

作家は団塊世代が中核で、程度の差はあれ、学生運動の経験者だった。高村薫はやや若かったが、頭の中は「団塊サヨク」だった。立松和平と北方謙三が文学的同志であったのは有名だ。

それに、藤田宜永、宮部みゆき、大沢在昌、馳星周などが「弟・妹分」として加わっていた。

この期間、彼らが、とっかえひっかえ「直木賞」を取っていく。まさに冒険作家が文壇を席巻した時代だった。


しかし、「冒険小説」を語る人は少なくなり、あのブームも昔話となった。

今回の報道でも、2人に関連して冒険小説ブームを振り返る記事は、今のところ見当たらない。すでに忘れられているのだろう。

その意味では、出版界の「団塊」時代は、もうずっと前に終わっていたのかもしれない。今や、生き残りもみんな後期高齢者になったところだ。


私は、団塊サヨクが嫌いだったが、今となっては懐かしくもある。

「本の雑誌」や「冒険小説ブーム」は、1980年代文化の可能性の一部だった。

それは、ニューアカや伊丹十三の映画と同時代で、何か新しい文化が日本に生まれつつある気分があった。

しかし、気分だけで終わった。個々に作品は残るにせよ、「時代」としては不発だった。そして、日本は落ち込んでいく。団塊サヨクが日本を悪くしたのは間違いない。(その下の世代である我々にも責任はあるが。)


それについては改めて書きたいが、2人に関する報道に接して、私は新宿ゴールデン街の「深夜プラスワン」のことを思い出した。ちょっと前、ゴールデン街の火事のニュースがあったときも、少し気にはなっていたのだ。

「深夜プラスワン」は、当時の冒険小説ファンの「聖地」だった。出版の「団塊時代」とは、新宿のゴールデン街で飲んでいた連中が、銀座の文壇バーで飲めるほどに出世していった過程、とも言える。

あのブームの中の人物で、「深夜プラスワン」マスターの内藤陳さんだけは好きだった。最後まで「一ファン」として新宿に留まって、新宿で死んだ。

彼と相対して飲んだ夜のことは忘れられない。あの店はまだあるのだろうか。

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