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潮に書かない文化人

リベラル系の文化人(学者やライター)は、少し名前が出ると、「潮」や「第三文明」といった創価学会系の雑誌から、原稿依頼が来るんですね。

そこで、原稿を書く人と、断る人がいる。

書いた人は名前が出るからわかるけど、断った人は表に出ない。

だけど、私は業界にいたから、誰が断ったか、知ることがありました。

私は、原稿を断った人と仲良くしたい人でしたね。


あくまで個人的価値観です。

出版の自由や信教の自由があるからね。

創価学会に共感するから書く、というならそれはそれでいい。

生活のために、その原稿料が必要な人もいるでしょう。

でも、断る人がいる以上、私は断る人のほうを評価したいわけです。


色がつく、とか、そういうのともちがうんだな。

たとえば、「HANADA」に書いたり、「週刊金曜日」に書いたりするのは、逆に気にならない。

でも、創価学会系の雑誌に書くのは、私の感覚では、ちょっとちがう。

その雑誌に書いて、中立でありうると考えているーーそれが、私には理解できない。


私の感覚と逆の編集者もいるわけです。

私の知る限り、創価学会系雑誌は、雑誌不況どこ吹く風という具合に、電車に中づり広告を出していた。

そういう雑誌に書いている文化人は「数字」をもっている、とか、御しやすい、とか感じる人もいる。

そういう雑誌の御用達のような人もいて、それはやっぱり、もうかるのでしょう。「売れてる」感じがする。それにあやかりたい、という編集者もいる。


創価学会の信者は、それはそれでいいけれど。

でも、信者でない場合、そういう雑誌に書く人と、書かない人の2種類に、リベラル系文化人は分かれていた。

私はその区別に敏感で、後者の人たちしか信用しなかった。







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