「ひとりを越えていけ」は案外深いかもしれない
某星野源さんの楽曲”恋”。そのなかで「ひとりを越えていけ」という歌詞があります。
勿論恋愛を意識して作られた楽曲なのでしょうが、もっと普遍的な意味が込められていたとしても不思議じゃないなと思います。
そう思ったのは、ひとりで起業をしたからです。
ひとりで起業する
企業インターンも合同説明会も全然興味が無く、大学に入り浸り図書館に通いある意味ザ・学生だった2年前の自分は、一応通っておくべきだと思った道の一つ、企業面接でも珍回答をかまして変な空気になったりで、どうしたものかと考え込んでいました。
悩んでいたのは経済活動への関心が薄かったばかりではなく、前年に訪問したパレスチナの印象が強く残っていたからでした。
パレスチナへの先入観を覆すカルチャーショックやそこで受けた刺激、見たもの聞いたものが心の中にあって、何とか関わって生きていきたいと思いながらも、通じる道が見つからず右往左往していたのです(すべての道はローマにしか通じないからなぁ・・・)
だって、日本で社会人やってたら、パレスチナと関わってる時間ないでしょう!?
ただの趣味にはしたくない、ちゃんとやりたいんだ!
そう思って、自然ソーシャルビジネス的軸足に移っていきました。
・・・ん?
なぜビジネスに興味が無い自分が起業しようとしているのか?
2年前の自分は、しかしこれだ!と迷うことを止め、開業届を提出して晴れてフリーランスになりました。
そして卒業。大学の進路調査に記入するの、ちょっと気まずかったのを今でも覚えています。
一年目
個人事業主になった自分は、勿論専従者を雇うお金もないものでひとりで動き始めました。
最初のころはコロナ禍にぶち当たり、渡航もできずに大幅に計画が狂い、それに伴ってフェアトレードの進み具合もゆったりしたものでした。
まだ実際に商品もお金も動かしていない状況、つまりマーケティングも営業も無い状況では、広報や現地との土台を固めながら、ひとりで家の基礎を作っているような感覚でした。
しかも、自分のアイデアベースで始まったことで、かつ商材と呼べるものは自分の渡航経験だけとなると、他人を巻き込むフックが無く、またその必要も感じていませんでした。
でも、いよいよ打って出るぞ、というときに
一人分の視野で大丈夫なんだろうか?
という気持ちが芽生え、ボランティアに手伝ってもらうプログラムに参加、
人に全面的に頼るきっかけになりました(笑)
クラウドファンディング
3月、稀にみる急斜面の伸び率で、最後の数時間に滑り込んだクラウドファンディング。
「ヒヤヒヤしました」
というお声をそこここからいただきました。
自分はヒヤヒヤどころか途中で鬱になってましたが、最終日はもうやるしかないと思うと目が据わって、それが功を奏したんじゃないかと思います(遠い目)。
実際の達成理由は、ギリギリまで皆さんにシェアしていただいた結果多くの人に届いたからです。
個人事業主でもひとりじゃないし、ひとりじゃ何も出来ないことをこの時痛切に感じました。
それにしても最終日は感動しましたね・・・人にヒヤヒヤさせといてあれですけどね。
ひとりじゃ気づけなかったこと
皆さんご存じ、表題の答えは”全部”です。
物理的にひとりでこなす仕事はたくさんありますが、実質的にひとりで完結する仕事はそう多くありません。
クラウドファンディングを終えて、実際にフェアトレードを始めて、去年よりたくさんお金が出ていきますが(そして戻ってこない。一方通行なんだな)、去年関わった倍以上の人と話をし、意見をもらい、分業し、仕事をお願いし、協働したりしています。
おひとりでされているんですか?
と聞かれることも多いですが、最近は答えに困ります。うーん、何人でやってるんだろう?
ゆるやかな関係人口で捉えると、その時その時で色んな人に手を貸してもらっているので、算数苦手なのも相まって←
本当有難いです。
直近では、絵が描けない自分に代わり、一緒にデザインのブレストをしてくださる人達に出会ったり、新しい協働の話が持ち上がっていたり。
実は、お察しのように集団行動が苦手なタイプなのですが、
ひとりで起業しても、誰かと仕事をするものなんだ、と気づけたことは、社会人2年目で一番嬉しかったことかもしれません。
お読みいただきありがとうございました。
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架け箸はこれからも継続的にパレスチナを訪れ、日本に出回らない生の情報を発信したいと思っています。いただいたサポートは渡航費用や現地経費に当てさせていただきます。