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2023年3月の記事一覧
『テイルズオブアライズ』から、社会批判という遊びを考える
最近は洋ゲーばっかりやっていたので、久しぶりに和ゲーがやりたくなって、購入した。僕はFF派でもドラクエ派でもなくテイルズ派だ。陰キャはテイルズ。常識だろう。
このゲームのシナリオは「支配」に対する考察によって構築されていると見せかけて、最終的には支配の根源である資本主義への批判があった。もちろんメタファーを通じての批判だ。
こういう批判は、「俺はいま深い意味のこもったストーリーのゲームをプレイ
「機能性見せびらかし消費」「コスパ見せびらかし消費」(再考)
かつて、片手間でこの2つの概念を紹介した。これはネモ・ノーベル経済学賞を受賞した重要な概念でありながら、あまり体型的にまとめてなかったので、改めて書いておこうと思う。
前提として
「見せびらかし消費」はダサい。空疎なブランドに踊らされるのはバカな成金や田舎のヤンキーだけである。これはほとんど社会の共通認識であると言っていい(全身GUCCIで固めることがクールであると信じて疑わない中年男性もいる
3歳児教育放棄マニュアル
3歳になる息子がショッピングモールで騒いでいるのを見ると思うことがある。親の顔が見てみたい、と。
子育てには不安や後悔がつきものだ。それでも心が病んでしまわないように、僕はいくつかの鉄則を心に秘めて子どもと接している。
それをここで紹介したい。子育てに悩むあなたはきっとこう思うだろう。こんな奴でも親を名乗っているんだから大丈夫だ、と。
3歳児が身に付けているのは服ではない。脱着可能な雑巾であ
頼むから子どもにおもちゃを売らないで
たいていの親ならば、おもちゃとは子どもが遊ぶため道具ではなく、騒いだ子どもを黙らせるための道具であることを理解している。
子どもはファミレスのレジに並べてあるちゃちなおもちゃが欲しいと延々と駄々をこね、周囲の客の目を気にした親は渋々購入するも、そのおもちゃは帰りの車の中でほんの少し遊ばれる程度で、家に着く頃にはもう忘れ去られる。そしてまた子どもは新たなおもちゃを欲しがっている。故に以下の法則が常
僕たちは本当に「子孫を残したいだけ」なのか?
「男なんて結局やりたいだけ」と言ってシニカルに恋愛相談に乗る女は洗練されて見えるし、「ぶっちゃけやりたいだけ」と言って開き直る男はクレバーに見える。
そういう風潮のせいで、男が女に優しくする行為の究極の目的はセックスであるとみなされる場面は多い。Twitterで病みアカウントに慰めのメッセージを送るのも、キャバ嬢に4℃のアクセサリーをプレゼントするのも、迷っている観光客に道案内するのも、すべて「
何が出産を窓口対応にさせるのか?
昨日、娘が生まれた。
生まれたあとは幸福に包まれて、それまでの苦労(といっても僕自身の苦労はほとんどないのだけれど)もすべて吹き飛んでいくような気がしていた。
1日経って幸福の熱量が落ち着いてくると、「これっておかしくないか?」と思い返すことが増えてくる。
妻にとって出産は命懸けだ。だが、とりあげてくれた助産師や看護師にとっては、どうもそうではないように見えた。
出産の30分前ほどだろうか
出産を病院に丸投げした僕たち
出産を経験したことのある女性なら、「陣痛の間隔が10分以内になったら病院にきてください」という親切な助産師の言葉を信用してはならないことを知っている。実際に10分以内になって病院に電話してみると、たいてい「どれくらいの痛みですか? 出血量はどれくらいですか? …あぁ、それくらいならまだまだですね。不安なら一度きていただいても大丈夫ですけど…たぶん入院できずに家に帰ってもらうことになりますよ?」と、
もっとみるクソどうでもいい理論シリーズ 〜人類は加湿器の奴隷である〜
人は、金の奴隷でもあり、資本主義の奴隷でもあり、国家や企業、はたまた小麦の奴隷でもある。
確かにそうだが、どれも本質的ではない。
本質的に、人類は加湿器の奴隷なのだ。
※正確には、「加湿器という誤った名称で呼ばれる機械」の奴隷である。より機能に即した正確な呼び方をするならば「異臭発生器」だが、本稿ではより人口に膾炙した呼称「加湿器」を使用する。
加湿器の主たる機能は、異臭を発生させることで
ChatGPTは池上彰の仕事を代替する
AIは仕事を奪わない論者の僕だが、別にテクノフォビアではない。ということで、ブームに乗っかってChatGPTで少しだけ遊んでみた。
とりあえず質問したら、AIが答えてくれるらしい。AIの返答は基本的に膨大な情報をインプットしてきて統計的にそれっぽいものを出してくるだけなので、何か質問してもおそらく一般論が返ってくるはずであり、独自の見解なんてものは持ちようがないだろう。また、質問の意図を正しく捉
「大量生産品」って「奴隷が作った」って意味なんだと思う
「大量生産品」という言葉には、よく注意すべきだと思う。その言葉は本来は「大量に生産されている商品」という以上の意味はない。
それにもかかわらず「大量生産品」という言葉からは、数人のオペレーターが退屈そうに画面をチェックしておけば、あとは全て機械が作ってくれる商品であるような印象を受ける。
実際、うまい棒みたいな商品であれば、そんな風に大量生産されているのかもしれない。しかし、そうではないものの
肩書販売所としての大学はYouTubeやオンラインサロンで代替できるか?
リクルートスーツに身を包み、不安げな顔で合同説明会に出席する大学生に次のように質問してみよう。「東大卒と同程度の能力か、東大卒の肩書か、どちらが欲しい?」と。そうすれば、大学の主たる機能が「肩書の付与」であることは明らかになる。
授業をサボり、レポートの代筆してもらい、試験問題を先輩から入手しても、微笑ましい悪知恵として許されるのはなぜだろうか? 学歴に相応しい能力を獲得するための正当なプロセス
100年後も食いっぱぐれない子どもを育てる方法
英語と、非認知能力と、STEAMを習得させて、一流大卒の肩書を与えるために、腹ペコのバスの乗車権を買う。そんな風にして権力の座に子どもをつかせようとしないことは、ある種のネグレクトに見られるかもしれない。しかし僕は、乗車権を買うつもりはない。
バスの定員は決まっていて、乗車権の値段は釣り上がっている。それに、権力は足が早い。一流企業に就職して権力を得たところで、その権力がいつまで持つかはわからな
選挙カーとかいう公害
そういえば統一地方選挙が近いらしく、近ごろ地元の政治家たちは浮き足立っている。駅前だけではなく家の近所にまで選挙カーがうろつき始めた。
もうすぐ娘が生まれることを思うと憂鬱だ。0歳児の寝かしつけをしたことのある人なら、選挙カーがどれだけ邪魔な存在か、理解できるだろう。長い抱っこと度重なる背中スイッチを乗り越えて、ようやく寝入った赤ん坊の寝顔を微笑ましく見つめながら、ようやくひと段落ついた瞬間に限