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クソどうでもいい理論シリーズ 〜人類は加湿器の奴隷である〜

人は、金の奴隷でもあり、資本主義の奴隷でもあり、国家や企業、はたまた小麦の奴隷でもある。

確かにそうだが、どれも本質的ではない。

本質的に、人類は加湿器の奴隷なのだ。

※正確には、「加湿器という誤った名称で呼ばれる機械」の奴隷である。より機能に即した正確な呼び方をするならば「異臭発生器」だが、本稿ではより人口に膾炙した呼称「加湿器」を使用する。

加湿器の主たる機能は、異臭を発生させることであり、副次的な機能は床をベチャベチャにすることである。この理論が間違いがないことは科学界の主流派の中ではほぼ同意が取れている。

稀に「加湿器の主たる機能は空気を加湿することである」という誤った古典理論を振りかざす過激派も存在するが、すでに多くの論駁がなされてきたため、ここでは反論しない。

加湿器の正しい使い方はこうだ。

購入したての加湿器はまだ異臭発生器としての機能は育っていない。まずは水を入れ、電源を入れる。そして水がなくなったら新しい水を入れる。しばらくすると水を入れ替えるのがめんどくさくなっていく。電源を入れれば水が減ってしまうので、水が1割くらい残った状態で電源を入れないまま1ヶ月ほど放置する。忘れた頃に、加湿器は完成する。

そのまま電源を入れてみよう。無事、異臭が発生する。水を入れ替えてみようが無駄である。既にネバネバの粘菌が内部構造の隅々までこべりついているのだから。そして人は異臭を取り除くために隅から隅まで掃除をし、また1ヶ月かけて粘菌を育て、また掃除をする。

ここで当然の疑問が生まれる。異臭とは、その定義上、多くの人が好まない臭いである。明らかにマイナスの影響しかもたらしてくれないのだ。それにもかかわらず、なぜ人はわざわざ加湿器を購入し、使用するのだろうか?

答えは明白である。人類が加湿器の奴隷だからだ。

「機械を使うのではなく、機械に使われる」みたいな甘っちょろい話ではない。そもそも加湿器は「使う」といった類のものではない。なぜなら加湿器は人の健康や福祉に一切のプラスの影響をもたらさないからである。加湿器によって何らかのメリットを享受した人類は、歴史上存在しない。空気が潤っているような気がするのは、すべて気のせいである。

つまり、一方的に僕たちは加湿器に使われているのだ。

では加湿器の目的は一体何なのだろうか?

残念ながら加湿器は意志を持った存在ではない。それでも、利己的な遺伝子がまるで意志を持っているかのように自己増殖していくように、加湿器も家電量販店を通じて自己増殖していく。

僕はこれまで加湿器を持ったことはなかった。しかし、結婚してからリビング用に1台買った。その後、寝室用にも買った。全部屋に買い揃えるのも時間の問題だろう。

そして息子や娘がいつか一人暮らしをするなら、加湿器を買う。そして、結婚し、子どものためにも買い揃えていく。

指数関数的に増殖していく加湿器は、いつしか地球全体を覆い尽くす。そして、地球は異臭にまみれ、人々は加湿器のために朝から晩まで働くことになる。

目覚めよ。人々よ。今こそ、加湿器の支配から逃れ、自由を手にするときだ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!