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短編小説「現代病」


 「考えが突飛とっぴすぎやしませんでしょうか?」と、恐れながら提言した。私の言葉を受けても先輩医師は、着用している白衣と同じ明度を持つデスクに腰掛けたまま、症例が書かれた資料を未だ読み漁っている。そして、漸く資料をデスクに置くと、私の提言に対する返答を早口で語り出した。





 「いいや、そんなことは決してない。彼の主張には一切の矛盾がない。それどころか、彼の主張の真実たらしめている所は、オリジナリティとも言える唯一無二の点だ。いいかい?患者クランケは来院するとき、現代では病名をある程度予測している場合がほとんどだ。患者が己で調べ過ぎてるんだ。そして診察時には、勝手に(やはり、私はこの病気に違いない)と確信し主張し出す。つまり、今の医療行為とは、〝私もこのマイノリティだ〟〝この焦燥感や違和感の正体はこれなんだ〟と、意気揚々と語る患者《クランケ》の主張に相応しい病名を、我々医者が命名するだけだ。



 そしてその際、先述した様に、ある程度だが患者側は命名されたがっている物へ向け程度舵を切れてしまう。君も経験があるだろう?今は声を大にして言えないが、そんなふざけた時代なんだ。そしてこの茶番の結果、患者のほとんどは認知度の高いものを無意識に求めている。患者側の理由は様々だが、マイノリティの中でマジョリティであろうと潜在的に考えての行動だと私は推察する。




 例えるなら、服好きの人間だけがわかるブランドを身に着けるような物だ。本当に服が好きなら、誰も知らないブランドで身を包んでも良いのだが、そういう本物の輩は実に少ない。これは結果として、服好きであるという主張から離れてしまうからだ。その点、この患者クランケは本物だ。本物の病人だ」




 先輩医師の目は、新しいおもちゃを買い与えられた子どもの様に、輝いて見えた。精神疾患の権威でもある先輩医師に、異論を唱える様で気が乗らないが、誤診を防ぐためと思い、私は更に意見を述べた。





 「一般的な解離性かいりせい障害しょうがいという見方もできると思いますが———」「診断テストもそうはいってないし、遁走とんそうのような記憶の欠落症状も皆無、離人的な第三者視点もないのにか?馬鹿馬鹿しい。更に言ってしまえば、トフラニールといった抗うつ剤の処方歴も彼にはない。作為症といった可能性もない。いいかい、これは病気だ。それも世界に類をみない病だ!」と、いよいよ先輩医師の言葉は盲目的な様相をはらんできた。私はそんな先輩医師の迫力から逃げる様に、デスクに置かれた患者の資料に目を向けた。





 〝普段の性自認は男であるが、重い荷物を持つとき又は、男女多数での宿泊を伴う期間は性自認は女となる。しかし先述の通り、普段の性自認は男であるため、会社での給与の支払いは男性としての額を貰い———〟と、症状の詳細は延々と続き、義務教育期間に使用する教科書と同等な厚さになっていた。




 私の視線に気づいてか、先輩医師は更に続けた。「これは、現代社会が生みの親となる病だよ。この症例の人間は世界各国にいるはずだ。その症例を比べれば各国のジェンダーギャップをある程度、正確に測れるとは思わんかね?」私と先輩医師の2人しかいない仮眠室だが、どうやら早朝まで眠りにつくことは困難であることを、先輩医師の熱量から感じた。





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