vol.47 中島敦「李陵」を読んで
誰も興味さなそうな、古い古い中国の話。この作品、新潮文庫100選図書になっており、もう一つの代表作、「山月記」(vol31)もとても印象深かったので気になっていた。漢書を原典としているだけあって、漢字が多く戸惑った。それでも、主要な人物の思考や心情、変わっていく心持ちなどが端的に描かれており、評価の高い所以だと思った。
<あらすじ>
中国、古代の統一王朝、前漢のことを記した歴史書「漢書」を原典とした短編小説。
舞台は、漢最盛期の武帝が治めていた頃、匈奴という遊牧民族と戦い、捕虜となった李陵という男を中心に描かれている。李陵、司馬遷、蘇武という漢王朝に生きる3人の男が主要人物として登場する。
李陵は、大軍を敵に回し奮戦するも、匈奴の捕虜となってしまった。自害せず、単于(敵の王)の寝首を掻く決意をする。匈奴に止まってチャンスを伺っていたが、武帝に身内を処刑されたことを知り、もう漢には戻れぬと、匈奴で生きることを決める。
李陵が捕虜になったという知らせを受けた武帝は激怒する。武帝に逆らうことができない臣下たちもみな李陵を批難した。そんな中、司馬遷だけは李陵を弁護した。その結果武帝の怒りを買い、宮刑という去勢する刑罰に処される。それは耐え難い屈辱だった。司馬遷は、武帝を恨み、臣下を批難し、自分自身をも蔑んだ。しかし、漢時代を記録することが使命だと考え、史記の完成に全力を尽くす。
李陵とは20年来の友である蘇武も匈奴の捕虜になっていた。あるとき、李陵は蘇武のところへ行く。蘇武は湖の辺りでネズミを掘り起こして食べるような酷い生活をしていた。しかし、頑として、匈奴に寝返ることはなかった。漢の国に尽くすことだけを考えていた。李陵は同じ境遇である蘇武と比べて、自分が恥ずかしくなる。
やがて、武帝が崩御し、蘇武は帰国し、司馬遷は史記を完成させる。李陵の行く末は不明で、漢以外のところで亡くなっていることだけは伝わっていた。(あらすじまとめサイトを参照)
やはり心に残るのは、3人の男の心理描写だ。
この時代に生きている人々を想像した。中央集権的な支配の中で、農民は奴隷化され、命の重さなどまるでなかったと想像できる。王に仕える臣下などは、自分の意思は持てず、当然選択の自由などもなく、他部族との奪い合いに、命を捧げる。そんな生き方しかできなかったのかもしれない。
そんな社会で3人の男たちの心の葛藤を思う。
紀元前100年のころ、李陵、司馬遷、蘇武という、頑固で無骨で意志の強い男が実際に、懸命に生きていた。2000年以上前の歴史は、次の歴史の上に成り立っている。今僕が生きている日本の社会秩序や生活習慣は、李陵たちと何かが繋がっているかもしれない。壮大な空想を楽しんだ。
ちなみに、司馬遼太郎さんの名はこの司馬遷から取っているらしい。 (ウイキペディア参照)
おわり