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vol.31 中島敦「山月記」を読んで

たぶん、高校以来。中国古典を素材にしたこの作品、舞台は楊貴妃の1300年前の中国、官僚の階級社会。冒頭のとっつきにくい文体に戸惑ったが、すぐにその気高さに引き込まれた。余計なストーリーは一切なく、背筋がまっすぐになるような文章だった。教訓じみているけど、短編ということもあり繰り返し読んだ。

李徴(りちょう)はなぜ虎になったか。それは、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいである」と、その理由を明確にすることで、人間の内面世界を描いたのではないかと思った。読者は、その内面をのぞきながら、あれやこれやと考える楽しさが味わえる作品だと思った。(ちょっと高校授業っぽい感想になってしまった)

李徴は人付き合いが苦手で、プライドばかり高く、自分で自分をこじらせる厄介な男。若くして秀才と呼ばれながらも、官僚の仕事はくだらないと詩人を目指す。詩人としての名を死後100年残そうとするが、たちまち生活に困窮し行き詰まる。

数年後、困窮に絶えず、妻子の衣食のために再び官の仕事につく。しかし、かつての同僚ははるか高位に出世しており、彼らから指示されることが、秀才の自尊心を傷つけてしまう。そしてある日、出張先の宿でついに発狂する。そして虎になる。現代でも「夢破れ借金あり」的な話はよく聞く。

俺には誰にも負けない才能があると、安定の公務員を辞めて詩人を目指してけど、たちまち生活に困り、妻子にも辛い生活を強いてしまう結果になった。だけど、高いプライドが邪魔して、人に助けを求めることが怖い。(臆病な自尊心)

とりあえず、妻子の衣食のために、かつての職場で働くことになったが、大見得を切って公務員を辞めたのに、自分には詩の才能がなかったことや、かつての同僚から指示を受けることも絶えられないほど恥ずかしかった。(尊大な羞恥心)

とにかく虎になってしまったらしいけど、僕は李徴はどうしようもない男だなあと思う。側から見るともう結果が見えているのに、いつまでも自分の夢を捨てきれず、扶養の義務を果たせないでいる生き方を美化し続ける、自己陶酔型の無責任男。まあ、ここまでは家族内でのことかもしれない。

だけど、数年ぶりに偶然道で会った旧知の友、袁傪(えんさん)に、中途半端な30編もの詩を書き写させ、世に伝えて欲しいと手のかかる依頼をするだけでなく、俺はもう虎になったから働けないので、俺の妻子の生活もよろしくと、身勝手甚だしいことを躊躇なく言い放っている。その上、虎になった俺は、もうすぐ凶暴になるからお前を喰ってしまうかもしれないぞと、自嘲しながらも相手を上から見続けている。

この男、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を自覚していながらも、やっていることはどうも信用でいない。

いっそのこと、秒殺でかつての友袁傪(えんさん)を頭からパクリと喰って、淡々と遠吠えしながら他の虎と仲良くする方がいい。彼に「欠ける所」は、現状認識と仲間意識と切磋琢磨ではないか。カフカ「変身」のザムザは、朝起きたら虫になってたけど、慣れてくると虫も悪くないと、虫を楽しみながらも家族の一員でいようと努力していた。李徴は虎になってもなお、人間社会に未練を残し、名声さえまだ捨てきれないでいる。

厄介な内面は誰にでもあると思うけど、不条理な社会を感じたときでも、自分の中の自尊心と羞恥心をハンドリングしながら、他者と折り合いをつけて生活するしかない。そんなことを考えた。うん、読書は楽しい。(おわり)


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