ポセイドン

自分の中の恥ずかしさを保存する為の保存容器。

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マガジン

  • っつー話です。

    日常から溢れでたアレ。

  • 読書感想文に見せかけた自分語り

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第二回「一万文字書くまで寝れません。」

 ウォーミングアップもせずに、また何かを書く。書き始めたら最後、回転が回り続ける。おっと、良くない癖が出てる。理解されなくても、いろんな理解があっても良い文章ばかり書いて、それを詩と呼んで、それはそれで素敵なのだけれど、そればかりに逃げてた。ちょうど良い。少し長めの休みがもらえて、時間にかなり余裕が出来た。ちょっとここらで冷静に、自分の気持ちを整理して、詩じゃない文字を書いてみる。いわゆる人生の棚卸。  まずは、何になりたいか。とか考えてみる。  就職して一年経って、やりが

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    • 寒い寒いとぶるぶる震える

      今日はコートを職場に忘れて、コートのポッケにイヤホンを忘れたので、しかたなく、しかたなく、文字を書いています。 今日も仕事は上手くいかず、そこそこの成果で帰路についています。転職してもうすぐ一年です。仕事には慣れたけれど成長はしてないとそう思う。 文章は、短くサクッと、濃い内容を詰め込むのが肝要で、軸になるのはもちろん主張で、主張がないままダラダラと書いたいように長々と、書いたって仕方がないから今日も歩きながら考えよう。伝えたいことを考えよう。 最近自分が面白くないと感

      • 千文字

        一万文字書くまで終われませんやりたいんですけど、時間と体力と書くことがないので、執筆不足解消に千文字くらい。 最近は、インスタやTwitter含め本当に全然文字を書いていない。そもそも文字は書こうと思わないと書かないもんだし。書けないもんだし。その、棋力がなくなっているのだろう。と、言うか露骨に、あからさまに、何かを考える事が減った、と言わざるを得ない。なぜか。 それを考えたい。別に文字を書く事自体を誰かに熱望されているわけでもなければ、文字を書いて生計を立てているわけで

        • 分かったふり

          寝れないから何かを書く、が習慣化してきている。何かを読むという事を最近はあまりしていない。深みが出ないとは思うけれど仕方ない。興味がわからない。体力がない。僕の思う自由はそれは本当に圧倒的な自由の事で、それを思うとおいそれと自由が欲しいとは言えない。それはとんでもないわがままに聞こえるからだ。僕が考えていることはやっぱりおかしいらしい。文章の前と後で整合性が取れず、一貫した信念がなく、自分勝手。責任を全て人に押しつけて開き直ったような態度で、いつもいつもいつもいつも、意味もわ

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        第二回「一万文字書くまで寝れません。」

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          献血くん

           献血に行く理由。僕には珍しくいくつもある。一つじゃ腰が上がらないし、痛みを我慢するほどの根拠にもならない。けれど、いくつもの理由を組み合わせて、なんとか、年に何度か足を運ぶ。 理由①「感謝される」  最近はなぜ献血に行くの?と聞かれたら、「感謝されるから」と答える様にしている。その際努めて綺麗事に聞こえない様に利己的声を意識する。ただ感謝される。それは素晴らしい。嬉しい。  ちょっと考えてみて欲しい。感謝される事は意外と難しい。良かれと思って、という言葉が示すのはその結果

          2022/3/29 一年ぶり二度目の春。

          貴方に十数度目の手紙を書いて、ポストに放り込んだ後から、まずい、と思った。僕は、もしかしたら、文章を書く事に慣れてしまった。 内側から抉る角度で言葉を絞り出す。 ありていにいえば、書く事と、書かない事を、分別するのが、いたについてきた。それはちょうど中学2年生の頃、独自につけた変なあだ名で友人の事を呼ばなくなった時のように。ある程度、楽しく。ある程度、人目を気にしながら。ある程度、後から困らないように。ただ、書く事と書かない事を分別し始めた。 だから。一回。すきなように

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          2022/3/29 一年ぶり二度目の春。

          最悪

          誰も悪くない。なんて事はない。誰もが少しずつ少しずつ、悪い。彼はその一言で人を傷つけてしまうという事がわからぬか人を傷つける事が悲しいと思わぬほどに、子供だったし、彼は傷ついた、くらいで、何かを辞めてしまくらいに、弱かった。あるいは誰もがそれほど辛かった。悪くない、なんて事はない。全てが悪い。 荒れ狂う炎の様子を淡々とリツイートし続けるのは、現代人としての矜持だ。小説よりも奇怪な物語を現実に見出したいという、業が、僕らを創作へと駆り立てる。一言文句を言ってやりたいという思い

          否定されたくないだけ

          寒いからかもしれない。するべき事が出来なくなるのは心が疲れてるからなのだろうか。何かを作らなければ死んでしまう。そんな言葉が聞こえてきて何も作らないうちに何かを作る気力が失われてそれで何も完成されずまた辛い悪循環。かと思いきやもしかしたら寒いから辛いだけなのかもしれない。 むかつく。一生懸命考えている事をなんとなくで否定されるのを避けて避けて避けて僕は嘘をつく様になった。書く事が難しいと感じる時、僕は少し書く前に読み過ぎたのかもしれない、と思う。人にどう思われるかを考えて文

          否定されたくないだけ

          歌舞伎町シャーロック

          *この記事は多大なるネタバレを含みます。ネタバレなしには語れる感想はなかったので、申し訳ありませんが、「歌舞伎町シャーロック」本編を見ていない方は、どうぞご覧になってからこの記事をお読みください。ポセイドン。 物語は終焉した。そして、その先に続く物語は、今までよりもきっとずっとつまらない、けれどその先が見たくなった。 モリアーティーというキャラクターは非常に不思議な人物だった。物語が進むにつれ彼が悪人である事が明らかになっていった。確実に悪人であることが、どんでん返しがな

          歌舞伎町シャーロック

          一万文字書いたけど書きたいことはまだまだ書けない。

          一万文字書いたらどんな想いが出てくるのかを、知りたい。割とnotoにも沢山の文章がたまってきた。そろそろ、まともな文章を書けるようになりたい。しかし、その前に、書きたいように書けるだけ書いたら何を書くのかを知りたい。 素晴らしいものは地獄からしか生まれない。不幸を肯定する弱気な楽観を言葉にしてくれたあの漫画。この苦しみがいつか糧になると妄信していつか、不幸を待ち望むようになっていく。彼は僕より大変そうだ。恥ずかしい。彼女は僕より忙しそうだ。居心地が悪い。成果ではなく過程、過

          一万文字書いたけど書きたいことはまだまだ書けない。

          「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」読んだ

          過度な暴力とそれを受け取る者との描写に触れた時に、これはファンタジーだ。と感じるのは、僕の人生が一点の曇りもない、清らかなものだったからなのだろうか。不幸を貪る事を是とし、消えてしまいそうな感情の灯に、なんとか燃料をくべ続ける姿に憧れるのは、僕が幸福の渦中にいる証なのだろうか。寂しい。寂しい。寂しい。生まれてから不幸しか味わわなかった者には、この幸福の苦味が分からない。 この小説を中程まで読んで何がどうなるのだろうと思った。しかしただ、そこにはなる象徴的な生活が必然的な纏ま

          「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」読んだ

          誰もキミにはキョーミないよ。

          自己紹介なんだから、自分の事を喋れば良い。と思うのだけれどどうしても固まる。何か相手にとって有益な話を、思い上がる。僕は今ここで誰にも求められてなどいない。それは分かっているけれどそれを超える何かを、叩き出したいと思うのは、わがままですか? 自己紹介の時、誰もが何かを求めている、のではないか。少なくとも僕がそうだ。単調な固有名詞の置き換えの連続にうんざりして、風向きがリズムが香りが少しだけ変化するのを待ち望んでいる。変化を起こすべきなのは僕じゃないし、きっと誰でもない。しか

          誰もキミにはキョーミないよ。

          息切れの詩

          終わらない反省会。僕達の問題点を洗い出す事は、それを解決しようと本気で思わない間楽しくて仕方がない。やらなくていい事に本気をつくし、仕事じゃないから良いと思いますか?自己満足という言葉が好きではない。その言葉はきっと何も意味しないから。仕事でさえなければと思う事もありますし、仕事でなければならないと思っている事もありました。自分の為、にならない事どこかで他人の所為にしてしまえるから不安定でそれでも安心ではあります。 曝け出す事が強さじゃない。とは知っているし、死んじゃダメだ

          息切れの詩

          めだかボックス(未完成)

          漫画は読書に入りますか?という愚問を胸に今日もページを捲る。僕の本棚のど真ん中を堂々と陣取るその漫画は22冊で一つの作品だ。それでいて何度も何度も締切がきて、何度も何度も話が折れた、いくつもの物語だ。 「めだかボックス」は僕の人生に大きく大きく傷をつけた。その傷の痒みで僕は今日もこんなだ。脳を掻きむしり、言わなくても良い事を言って、見下さなくて良い物を見下し、負けなくて良いものに負ける。 球磨川禊は、敗北者。これは絶対のルールで覆してはいけない。この縛りがきっと僕の心を掻

          めだかボックス(未完成)

          圧倒的なものとの対峙

          圧倒的なものと対峙すると、碌なことが起きない。碌なことをしない。言わない。だから矮小なものに意味を持たせようと必死で、そういうものを愛でている間は、僕は変人でいられるから、安心して、うだうだ言ってられる。圧倒的なものにはみんなが圧倒され、ぽつりぽつりと何かを語り始める。するとそれぞれの中に、ちゃんと意味がある事が浮き彫りになって、それで僕は埋もれる気がする。 勉強は嫌いじゃなかった。きっと嘘じゃなく、勉強は嫌いじゃなかった。それはきっとみんなが勉強があまり好きではないからで

          圧倒的なものとの対峙

          肋骨と肺が痛い

          サッカーをした2週間前から、肋骨が痛い。僕は人生の安定について考えた。きっと体育をすれば怪我のリスクは高まるし、じゃあサッカーをしなければ僕の人生は今より安定していたのだろうか。 お化粧と整形は似てるけれど、お化粧は好きだし整形は好きじゃない。整形はオーバーテクノロジーだ、と言い続けたいし、そうでなくてもずっと裏技ではあって欲しい願う。所詮は程度問題なのだろう。 子供の頃は大人になればもっと何かが為せる人になっていたけれど、今になって子供を見ると本当に愚かだなと感じる。子

          肋骨と肺が痛い